|
テーマ:最近観た映画。(39907)
カテゴリ:今日見た映画
今日もしっかりネタばれありです。これから劇場へ行く方はスルーして下さい。 映画ゲド戦記を見てきた。 う~ん。。。これは何なんだろう。正直ここまでひどいとは。。。ちょっと頭を抱えてしまった。換骨奪胎はジブリ(宮崎駿)のお家芸といってもいいものだけど、やはりこれを出来るのは物語の仕組みというものをちゃんと理解している人だけだということがつくづく分かった。ハウルの変更はひどいと思ったけれど、映画としてはやはり筋が通っていたものね。生半可なものが作るとこんな支離滅裂になっちゃうのかという見本のような映画だった。 冒頭アレンは父を殺して剣を奪う。実はこの場面はとても興味をかきたてられたのだが、いったい何のための父殺しなのか全然わからない。「動機は本人にも分かっていない」と宮崎吾朗は言っているが、そういう行動に出るまでの過程は語られるべきではないのだろうか。 唯一、これは生身の言葉だと思えたのは、アレンがテルーに自分が父親を殺したことを告白したシーンだ。
なんかさあ。宮崎吾郎の精神的父殺し(父親を否定し、乗り越えることによって大人になること)を、我々はお金を払って見させられたってことなんだろうか。気持ちが良く分かると同時に、情けなくてシートからずり落ちそうになってしまったよ。。。 生きてる台詞と感じたのはそこくらいで。。。確かに映画のところどころに原作の言葉がちりばめられてはあるが、その言葉はほとんど意味を成してはいない。原作ではいろんなエピソードのつながりがあって初めて生きてくる台詞が、ただポコポコ並べてあって、確かに(原作中の言葉だから)いい台詞なんだろうけど、ものすごく刹那的で、説教臭いのだ。参ったなあ。
さて原作のゲド戦記の1巻に影との戦いという話がある。かいつまむと(内容が分かってもいい人は以下反転のこと)、 映画にもアレンの影のようなものが現れる。ふーん、影の戦いをアレンで再現するのか、まあそれも良いかもしれんと思ったのだが、影と対決!という場面で何故かクモに水を注され、結局影はその後アレンと対決することも無くうやむやに何処かへ行ってしまったのだ。こら~! 何だか、原作とのギャップがどうのというより、展開のワケの分からなさに途方にくれた。 アレンは何で剣を抜けたのか、そもそもあの剣はいったい何のためにあんなにクローズアップされてるのか。妖怪退治をするために親父さんから盗んだのかいな。 ああ、妖怪退治!この映画はまさにそういう映画だ。 ただの物まね映画だ。 クモって、あんな人キャプテンハーロックに出てたな~。 クモって最後の方、顔無しの出来損ないみたいだったな~。 アレンって時々顔が猫娘みたいだったな~。 精神的父殺しが一番大きな(吾郎的)テーマだったのに、シュナのイメージは父ちゃんから頂いちゃうんだな~。 ウサギはやたら生き生きしてておかしいし。(主人公死んでるのに。。。)そして、クロトワだし。 石が崩れるのはラピュタかな~。 お城の天辺で、敵がお日様に当たって滅びるってのは長靴をはいた猫だよな~。。。 まだあったかな。。。もう忘れたよ。
そうそう、今日気づいたんだけど、 ● 父を殺し、逃亡。非日常世界へ。→狼のような肉食獣に襲われる。→危機一髪助けられる。→チンピラに襲われ囚われる。→影に追いつかれ対峙する。 ●異世界へ飛び込む。→狼のような肉食獣に襲われる。→危機一髪助けられる。→濡れ衣を着せられ囚われる。→自分の影と戦う。 何だか気持ち悪いくらい似た展開なのだが、実は前者はゲド、後者はブレイブストーリーだ。しかもゲドはここで展開がうやむやになってしまうが、ブレイブストーリーは、影が自分自身であることに気づき影と一体となり勝利をおさめるのである。子供だましだと思っていたのに、よほどこっちの方が原作ゲド戦記の末裔といえる展開なのだ。天下のジブリともあろうものがこれはあまりに寒くないのか? 最後に一つ良かったところを。。。絵は素晴らしかった。ワト・ホートの街にとにかくワクワク(ホントは死に体の街なんでワクワクしちゃ駄目なんだけど)したし、アーキペラゴ(多島海)の風景にも感動した。テルーの歌も私は好きだ。(声は当てない方がよかったが)ウサギやクモのキャラも嫌いではないし、おばちゃん二人組みも脅威の上手さだった。 問題は監督だけだ。(爆)次回作は社内コンペでもして監督を決めたら如何だろうか。今時世襲制は無いだろう。。。 すみません。今日はちょっと感情的な感想になってしまった。。。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[今日見た映画] カテゴリの最新記事
|