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テーマ:最近観た映画。(39893)
カテゴリ:今日見た映画
以前shimikotoshioriさんが紹介してらっしゃった映画、「王の男」をDVDで見ました。 朝鮮王朝第10代燕山君(在位1494年~1506年)の時代。 チャンセンとコンギルは阿吽の呼吸で綱渡りや芝居を見せる大道芸人。しかしコンギルはその美貌から町の有力者に体を売ることを余儀なくされていた。チャンセンがそれに反発、挙句にコンギルが芸人の座長らしき人物を刺してしまい、追われる身になる。二人は漢陽を目指した。漢陽ではすぐさま芸人仲間を得て、芝居をはじめることになる。演目は王の妓生遊びを風刺するあまり品のよくない芝居だ。しかし、すぐにそれは役人の目に触れるところとなり、一座は王を侮辱した罪でムチ打ちの刑に処せられることになった。しかし誇り高き男チャンセンは「王様の前で芝居をしたい!王が笑えば侮辱じゃない!」と叫ぶと、王の重臣チョソンは思うところあるのか、「王が笑わなければお前達の首をはねてやる」と、王や重臣が打ち揃う中で一座に命がけの芝居をするよう申し付けるのだった。 見る前は、もっと血なまぐさいものを想像していたのですが、意外にどぎついシーンが無く、とても品良く仕上がっていました。とりあえずイ・ジュンギ君扮するコンギルの不思議な美しさ(女とは違う、妖艶でありながら清楚な美しさ)に酔いしれましたね。白い肌に、あくまで切れ長の伏目がちな目、ふっくりとした珊瑚色の唇、こんなに綺麗な男の子がいるんだなあと、不思議な気持ちになってしまいました。 一方のチャンセンがまたいい男なんです。度胸があって、機転が利いて、そしてコンギルのことを大事に思うそのまっすぐな心。夫にするならこういう人だよなあ、なんてまたしても思ってしまいましたYO。ハハハ。 それにしてもこの二人の関係って一体何なんだろうと、映画を見ながらずっと考えていました。兄弟のような身内の愛情とも違うし、愛し合う恋人のそれとも少し違う。でもそんな中に一瞬の艶かしさも感じる、不思議な深い絆で結ばれた二人。これが男女だったら、あっという間に夫婦になって終わりなんだろうと思うのですが、男同士であったがために、二人の間には踏み越えられない一線があって、こんな不思議な抑圧された深い感情を生むことになったのかも。。。などと思ってしまいました。二人ともヘテロだったのが不運(それとも幸運?)だったのかしらね~。 さて、この朝鮮王朝第10代燕山君(ヨンサングン)という人は朝鮮王朝の中でも屈指の暴君、暗君とも言われています。名君と言われる父成宗(ソンジョン)の時代に、あまりの残虐さに廃嫡も考えられたほどだったそうですが、結局決心がつかないまま成宗が亡くなり、燕山君が18歳で王位についたそうです。チャングムを見た人は燕山君という名前に聞き覚えが有るかもしれません。チャングムの父親は時の王妃尹氏の処刑に立ち会ったために、長年隠れおおせていたけれどもついに逮捕され、また逃亡中に母親も亡くなる所から始まるドラマでした。チャングムが仕えた王中宗(チュンジョン)は燕山君がクーデターによって廃位された際に擁立された燕山君の異母弟です。チャングムの中宗王は、なかなかいい王様なのですが、重臣達の発言力がとても強くて思い通りに出来ないのは何故なんだろうと思っていました。それがこの映画を見て、燕山君に対するクーデターで反対勢力に祀り上げられた王だからなんだなあ~と何となく思い至りました。王の男とチャングムを続けて見ると、この李王朝の流れがとても良く分かりますね。う~ん勉強になるなあ。 名君と言われた成宗王でしたけど、出来の悪い長男を廃することが出来ず後世に禍根を残したあたり、王様と言えども一人の愚かな親だったんだなあという気がして人間味を感じますが、映画の燕山君も、ただ残虐だというのではなく、孤独で愛を知らない子どものような人物として描かれていました。自分が思ったことをことごとく反対され、事あるごとに先王と比較されることに苛立つシーンには、あれで善政を敷けというのも酷な話だと思いましたね。王は確かに人の心を解するということを全く知らない人物でしたが、それは王の周りの人間の責任であり、モンスターになる前に、人として育てられなかった罪を、クーデターと言う形で結局背負うのは当の王様なのですから、何だか不当ですね。 そんな王の孤独や哀しさ。 人の想いってままならないものだなあということを感じた映画でした。
あ、そうそう。映画を見る前はカム・ウソンってのだめのハリセンに似てると思っていましたが、むしろ吉本の辻元茂雄!?
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