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2007.07.30
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カテゴリ:今日読んだ本

精霊の守り人 上橋菜穂子著

以前からタイトルは知っていたものの、数多ある粗製乱造の和製ファンタジーなのではとの思いから今まで読まずにいた。今回またまた放蕩駱駝さんにお借りして読んだのだが、それが大間違いだったことに読み始めてすぐに気がついた。
主人公の女用心棒のバルサが川に落ちた少年を助ける導入部から、いきなりぐいぐいと物語世界に引き込まれてしまったのだ。

物語はアジアの雰囲気を持つ異世界、新ヨゴ皇国が舞台。この国には建国にまつわるひとつの伝説があった。伝説によれば、干ばつをもたらす魔物に卵を産み付けられた幼子が水妖に変化し、初代皇帝に退治された。その水妖の血が泉に流されこの地に豊作をもたらしたという。その建国神話に登場する魔物の卵が、あろうことか現皇帝の第二皇子チャグムに産みつけられてしまったのだ。チャグムはそのため2度にわたって暗殺の危機にさらされたが、その2度目の危機を救ったのが、バルサである。皇子の母は今生の別れを覚悟して、バルサに皇子を託すのだった。

歴史の中で、真実というものはいとも簡単にたわめられ彩られて、新しく形作られる。それは時の為政者にとって、人心を掌握するためのひとつの手法なのだ。そして、土着の民の信仰や儀式といったものは、新しい時代とともに忘れられ、形骸化していく。そんな中で、太古の昔に起きた事件が再び起こったら。。。神話によってすり替えられた真実が立ち表れ、形骸化した祭の中にある本当の意味が解明されていく。非常にスリリングでワクワクする、久しぶりに終わってしまうのが惜しいと思えるお話だった。

もちろん、チャグム皇子の成長物語としてもとても面白い。子どもに買い与えようかと検討中。

 



闇の守り人 上橋菜穂子著

守り人シリーズの第2作目。
精霊の守り人でチャグムを守り通したバルサが、自分のルーツをたどる物語。

カンバル王国の国王の主治医だったバルサの父カルナは、バルサの命をたてに取られて王弟による国王暗殺計画に加担させられる。命の危険を感じたカルナは親友のジグロに娘を託す。ジグロは6歳のバルサを連れて国境を越える。

親友の娘のために、自分の生活の全てを失い犯罪者として追われるジグロ。そのジグロの思いを傍で感じ取りながら成長したバルサ。両者とも、お互いを深く愛しながらも、その底に憎しみも飼っている。ジグロ亡き後も、バルサの胸の中でじくじくと傷み続ける心の傷を癒すために、バルサは故郷と向き合う。

私はこの物語を読んで、最後には不覚にも涙した。これは娘と亡き父との対話の物語だからだ。
私にはこれ以上何も言うことは無い。出来れば、この本を手にとって読んでいただきたいものだと思う。

 

 


上橋菜穂子や荻原規子、小野不由美といった和製ファンタジーの秀作を読んで思うのだけれど。。。

日本のファンタジーには、私には何となく「宮崎駿以前・以後」という世代差(思春期プラスマイナス10歳前後でナウシカ以降の宮崎作品を見た世代と、それより上の世代)があるような気がしてならない。

宮崎駿以前のファンタジー作家が憧れた世界は、やはり翻訳物が中心だ。(当の宮崎駿さん自身も含めて!)だから日本の作家なのに何故かバタ臭い西洋風ファンタジーが多く生まれた。
でも、宮崎駿以後の作家は、ナウシカやシュナといった、アジア的で土着信仰に根ざしたような強烈な世界感に触れて、何か、自分達の中にあるオリジナルに目覚めたんじゃないだろうかと思うのだ。もちろんその原因が宮崎駿だけではないだろうとは思うけれど、その一端を担っているには違いない。(宮崎作品はそれほどの影響力を持っていると私は思っている)

西洋ファンタジーを読んでいると、往々にしてキリスト教的世界観が現れる。一神教の人にとっては、信じるか信じないか、このふたつの価値観しか無い。、そこから善対悪、光対闇の対決というものが生まれ、最後は光が闇を制してめでたしとなるわけだ。
これがどうも、日本人的には嘘くさくてしょうがない。善と悪の間にいっぱい中間の人がいるんじゃないのかとか、その価値観以外の考え方を持ってる人がいるんじゃないのかとか、どうしても思ってしまう。八百万の神の国の人間にはどうしてもなじめない考え方なのだ。

その意味でも、日本オリジナルのファンタジー作品(児童文学)の秀作が次々と生まれてくるのは喜ばしいことだ。日本人としてすんなり入り込める、多様で雑多な世界感。その中で繰り広げられる血湧き肉踊る冒険。実に違和感無く気持ちいい。和製ファンタジーが今後どのように発展していくのか、今後の展開がとても楽しみだ。






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最終更新日  2007.07.30 23:34:59
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