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テーマ:最近観た映画。(39882)
カテゴリ:今日見た映画
ポニョはやはり興行成績がいいのか、レビューもたくさんアップされていてついついたくさん読んでしまいました。(私の感想はこちら→■) 賛否両論あるのですが、面白いのは批判的な意見の人のリサへの風当たりがとても強いことです。 確かに私も彼女には面食らいました。 子どもたちにお湯をかけるだけの即席ラーメンを作るところは、母親にとってはかなり自尊心を傷つけられるシーンです。5歳の子どもに即席ラーメンを食べさせるというのは、ある意味母親にとって敗北を意味するのではないでしょうか。疲れきってぐうの音も出ない、あるいは39度の熱が出て頭を上げることも出来ないような極限状態に追い詰められないとなかなかコレを食べさせようとは思えない。だから、私のようなぐうたら主婦でさえ、未だにチ○ンラーメンを食べさせるというのは何となく罪悪感があります。(私自身は結構好きだったりするのですが)なので、このシーンは、私が作ってるわけでもないのに宗介とポニョに申し訳ない気持ちでいっぱいに。。。 そして極めつけは5歳の子どもを一人残して仕事場へ戻ってしまうこと。ここは、リサの気持ちの優先順位がいったいどこにあるのかかなり疑いを抱いてしまうところです。普通一般の母親なら他所のおばあさんより自分の子の安全を一番に考えるでしょう。 こう見ていくと、リサという母親はかなり雑駁で向こう見ずな母親のように思えます。
つまり、少年少女の冒険のためには、両親は早々に物語の舞台から退場しなければならない。
宮崎作品で例を挙げていくと、ナウシカでは母親は彼女を産んですぐ亡くなり、父親は彼女の目の前でトルメキア兵に殺されました。シータとパズーは孤児。トトロではお母さんは入院、お父さんは、まあいてもいなくても一緒(爆)ですな。キキは13歳で独立だし、千と千尋では豚にされちゃうし。。。とにかく、子どもが自分の力で冒険するためには、親は邪魔な存在なのです。何となれば、親がいる状態では、子どもは親の枠の中でしか行動できないし、責任は親が取ってしまうからです。 しかし、現代日本の一般的な家庭の場合、5歳の子どもから母親を奪うというのはかなりの"力ずく"を要するのではないでしょうか。嵐の夜に5歳の宗介を信じて外に出かけていくような母親とはいったいいかなる母親なのか。一般的な日本家庭の、愛情深く(笑)思慮深く(笑)用心深い(笑)母親ならこの物語は成立しなかったでしょう。 向こう見ずではねっかえり、5歳の宗介を対等に扱い(だから自分のことをリサと呼ばせているのかな)、仕事に対する責任感は強い。高台にある家だから多分大丈夫との計算をして宗介に留守を任せて外に出て行くリサ。この、正直言ってこじつけ臭い設定の全ては、嵐の夜に宗介とポニョが二人きりになるためのお膳立てにすぎないのです。この話は、はっきり言ってここまでが前フリと言ってもいいでしょう。 そして翌朝家の前から船を漕ぎ出すところからが二人の本当の冒険の始まりなのです。 ですので、リサはちょっとかわいそうな役回りなのですよね。 また、赤ちゃんを抱いた婦人のシーンも、何で5歳児の食料を何の遠慮も無くもらうことが出来るのか、という意見も目にしましたが、これって、このご婦人が完全に子どもと対等に接しているからなんですね。ポニョが差し出すスープやパンをつき返さずに素直に貰う、好意を受け取るということは、実は子どもにとってかなり重要なことだと思うのです。だから、そこのあなたも、ちびっ子がよだれだらけの飴ちゃんやおせんべいを「あげる~」といって差し出したら、どんなに嫌でもにっこり笑って貰ってあげて下さいね。 ということで、ポニョにおいて大人の不可解な行動はあまり気にせず、ポニョと宗介にポイントを絞ってみる方が精神衛生上よろしいのではないかと思われますが、いかが?(笑
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