引越しの予定が近いので、暇を見つけては身辺整理をしています。
「捨てる技術」という本を読んだので、結構いさぎよくいろいろと捨てられるようになりました。
今日は過去にもらった手紙の束をみつけました。
見たいような見たくないような・・・
過去の自分と対面するのは少し緊張します。
それでも気持ちが動いて何通かの手紙を読みました。
親友からの手紙や、中国人の知り合いからもらった手紙、それからお茶の先生からのもの・・・
もらった時に読んでるはずなのに、何一つ覚えてない手紙が多いことに驚きました。
過去は確実に消えていくのですね。
それをしみじみと痛感しました。
以前、本だったかテレビだったかで見聞きしたのですが、歴史というのは誰かが文章に残したからこそできるものなのだ、と。
文章で残さなかったら、それはただの過去、だと。
確かに、誰も何も残さなかったら、(語り継ぐ、ということもありますが)未来の人が知る術がありません。
過去の私も・・・
過去へ遡れば、確かに私が実在しているのですが、ほとんどのことは忘れ去ってしまっています。
過去の時間なぞ、実体もなく戻ることはできませんが、手紙や写真などは、過去の通過点の記録としていつまでも残っていく、というのをあらためて感じました。
今日の日も、私は忘れてしまうのだろうと思います。
パートに行って、家事をして育児をして・・・いつもの日常だったから。
最近モノ忘れが多くなってきたので、ますます忘れていくことが多そうです。
自分の歴史を残せるように、こうやって時々はブログを書こうと思うのですが・・・