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妖怪の正体が見えてきました
していらっしゃるのか、まったく理解に苦しんでい ます。まるで、女児への性的虐待行為は罪ではない とでも考えていらっしゃるかのように、日本聖公会 の管区も、小審判廷の開廷を引き延ばしていらっしゃ るようにしか見えません。京都教区は、いままでも そうでしたが、ご自分達を守ることしか考えていな いように思えます。
の判決が確定したのですが、その後、京都教区主教 は、文書の中であの加害司祭による性的虐待はあっ たとお認めになっていらっしゃるのではないでしょ うか。2007年11月30日の文書には、「元牧 師が、真実に悔い改めて、被害者及び関係者に心か らの謝罪をし、被害者及び関係者が癒されることが できますように、今後も教区を上げて働きかけるつ もりです。」と記していらっしゃるにも関わらず、 あれから二年以上経っても、それらしいことをした という報告も噂も聞こえてきません。あれは、あの 時の単なる逃げ口上だったのでしょうか。
も口にしていらっしゃるようですが、その悪口が事 実を批判したものであるならば、まだ聞く耳がある のですが、根も葉もないことを口にされているよう に聞こえてきています。これは、最近になって為さ れるようになったことではなく、「糾す会」がその 活動を始めた頃から、幾度となく、ご自分達の正当 性を主張するために、好き勝手に捏造されたことも あるようです。何故なのでしょう。聖書の御言葉や 教会の神学を越えて、主教が口にしたことが事実に なるのでしょうか。被害者がいて、加害者もはっき りしていて、その加害行為をお認めになっていらっ しゃる京都教区主教が、加害者を擁護するような言 動はなさるべきではないのではないでしょうか。
の伝統よりも、聖職者達の方が正しいとお考えなの でしょうか。今夜ははっきり書かせていただきます。 被害者のお父様を怒鳴りつけたということを正当化 出来る聖書の御言葉はありません。聖書の中にある 「宮きよめ」のぺりこーぺの中で、商人や両替商を 排除されたのは、主イエスご自身であって、弟子た ちではありませんでした。仮に、使徒継承を認めた としても、主教に被害者の父親を怒鳴りつける権威 が与えられているはずもありません。日本聖公会は こうしたことをもう一度、根本から考え直す必要が あるのではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.09 21:41:04
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