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ご承知の様にブラジルへは多くの日本人が移住していますが1908年の笠戸丸によって始まります。初期の移住は我々が訪問したサンパウロ州のコーヒー農園への雇用契約移民でした。ただし初期は不作、不慣れ、低賃金等で脱耕する者が多く出たとあります。 (サンパウロにあるブラジル移民資料館に展示されている笠戸丸の模型ですが当時はこの船で40日から50日掛けてブラジルに渡航されていました!) それでも1924年からは国策として多くの日本人がブラジルへと移住します。日本における不作等による貧困で夢を描いてブラジルへ移住したと推測します。この移住者送り出し事業は1993年まで続き終了します。 (ブラジル移民資料館より) ブラジルに移住された方は戦前戦後を通じて25万人余りを数えます。現在ではその方々を先祖に持つ日系人はブラジルの2億5千万人の人口の1%の250万人を数えると言います。 移住者は日本との生活習慣の違いでの戸惑いや重労働や天災等による不作で想像を絶する苦労をされた様ですが日本人持ち前のバイタリティーで高収益の上がる胡椒や綿花等の生産に乗り出し農業協同組合を組織するなどブラジルにおける日本人の地位向上に尽力されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 4, 2024 10:26:59 AM
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