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戦前においては入植地におけるコミュニティーの中心として日本語学校が建設され祖国文化を維持するために子弟教育が行われていました。しかし第二次世界大戦時にはブラジルは連合国軍側(アメリカと同様に日系移民は大変苦労されています)となり移民施策も中断され(戦地に赴く人を確保するため)日本語学校は閉鎖されますが戦後は1950年代に入って日本語学校連合会が発足し、家庭における意思の疎通、日本文化や勤勉、誠実、正直と言った長所の継承を目的として日本語学校が再出発します。
この日本語学校が今日の祖国文化を大事にする精神が宿り、我々訪問団への敬意に繋がっていると思います。 1950年半ばになりブラジル全土の日本人団体と統括するサンパウロ日本文化協会が生まれます。その後、この団体はブラジル日本文化協会、さらにブラジル日本文化福祉協会と改称し今日までブラジルにおける日系人を代表する団体として様々な活動を維持しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 6, 2024 08:32:19 AM
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