紀ノ川から和泉山脈を越えて
12月議会で「稲倉池と及びその周辺付帯施設を大阪府から譲渡を受ける」案件があります。通常、池の所有者は自治体ですが稲倉池は大阪府が所有していたとは何故?担当課に質問しても明確な答えはありませんでした。それもそのはず昭和32年に管理委託契約を締結しています。しかし、私の中では答えはあります(稲倉池に関しては私の仮説であり根拠を示す文献を探しましたがたどり着いていません。但し紀ノ川大堰を建設し泉南地区に水を供給する計画があった文献は見つけました)昭和32年と言えば高度経済成長が始まろうとしていた時期でもあり大阪府での水不足が懸念されるようになってきました。そこで和歌山県の紀ノ川から水を持ってくる計画があったはずです。稲倉池に隣接した山が大阪府水道局の所有でその土地を泉佐野ボーイスカウトがキャンプ場にお借りしていました。聞けば紀ノ川からの水道管?を設置する予定でしたが計画がとん挫し使っていないことで、ある時代からボーイスカウトがキャンプ場に借りていたという事実があります。そして紀ノ川から来た水を一旦、稲倉池に貯水する予定であったことは想像に難くありません。しかし水需要は淀川水系で賄うことが出来たのでしょう。一つの歴史に幕を引く案件が上程された令和3年12月議会であったことを心に留めておきたいと思います!!