カテゴリ:だから
日曜日の夕方Aと図書館にいった。Aと私は私のマンションに帰った。そのドアの前に、桜の花びらが数枚おちていた。
「これなに」 「桜の花びらだねえ」 「なに?」 「だれかが置いていったのかなあ」 「いったいだれがあなたに桜のはなびらを持ってくるの?」 「そうだねえ」 それは来訪のしるしを置き去りにすることは、来訪者であるAにBの訪問の事実を伝えるのが目的なのか。明確に複数の異性と交際しているのか聞けばいいのに、その手紙の意味の解釈を求められことても想像の域をでない。 バスルームの床には、長い髪や細い髪がおちている。だれもそれを掃除などしない。せめて自分の髪くらいは、各自ダストにしておいてほしいものだが、彼女らの、そういった見て見ないふりは、私の信頼を落とすだけなのだが、娘たちのシャワーの時間のそういった、儀式のようなものに、ながばあきれながら、キッチンに料理酒をかってきて、なにもつくったことのないAや、私ののまないウーロン茶のボトルをキープしているBの純粋な不純に、わたしは深夜のキッチンで、呆然とした。 彼女たちは複数でわたしをささえていた。 それがすべてだった。そしてだれもいなくなる日曜日の深夜にひとりシャワーをあびながら、その狭いバスルームの彼女たちのイメージが、おそいかかってきて、不埒な動揺のまま、たじろいで、こんなまにあわせのような無為な日々を、笑って思い出せるような日々はくるのだろうかと、とても不安になった。 そんな日曜日の深夜には、眠れないで、じっとあさのくるのを、まつしかなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 5, 2006 08:19:33 PM
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