カテゴリ:だから
ふりむくと女は、キッチンにたって、惇之をみていた。
浅い意識の中でまた新しい女がきたのかと考えた。経緯は思い出せなかったし、容姿は美しいか醜いか分からなかった。リビングに行くと、テーブルに見なれない雑誌があった。その雑誌は、美樹のものだった。その奇妙な行為が、美しいと思い込ませる目的ならば、少なくとも惇之には有効だった。グラビアに印刷されたそれは、美しく写されたもので、惇之に美樹が美しいかも知れないと思わせた。 美樹の父親は裕福だった。それを彼女の職業上の成功と、業界は間違えた。父親のコネは、美樹に実力を培わせるほど、強力なものだった。初めて会ったとき、レストランのソファでサンドイッチを前に、初老の中原と打ち合せをしていた。 美樹は惇之を見上げてから、慎重にスーツの足を組換えた。その後メルセデスで、白金方面に消えた。それからを思い出せなかった。だから、慎重に話しかけた。 「きみは、こういう仕事もしてるの」 「それが、はじめて」 「なぜ引き受けたの」 「驚かせたかったの」 「でも、きみの回りの人たちは、この手の雑誌を見ないだろう」 聞きとれなかったような表情をした、それは大きな鏡の前の椅子に、両手をついて、振り向いている写真と同じ表情だった。 電話が鳴った。時計を見ると、十一時半をすこし過ぎていた。 「最近電話くれないわね」 「今夜時間ないよ」 「違うの、さ来週から一週間躯空かない」 「凄いブッキングだな」 「アメリカにいくの、祐子、行けなくなって航空券が浮いているの」 「それで僕なの」 「まあね」 「まあねじゃないよ」 「そう」 「考えてみる」 「明後日の夜電話するね」 受話器を、ゆっくりとベッドサイドに戻した。美樹がドアを背にして立っていた。手にした白い平皿に、輪切りにしたオレンジが見える。 「輪切りって、食べにくくない」 「それがいいのよ、お仕事の、お電話」 「スケジュールの打診」 「そうなの」 わかっているくせに、頭のいい奴だと、考えながら、輪切りのオレンジを受け取って、少し困った表情になった。 「どうして、嘘を、せめない」 皿を置いてから、聞いた。 「短すぎておかしいわ、今のは。わたし、ボーイフレンド、多いですから」 惇之はピローケースを重ね直した。頭が切れるのを隠しながら、先読みをしないでひらいていくパターンだと思ったが、言っていることに機旦はなく、感情を直訳したような日本語を話し、曖昧さが無いので、精巧に出来たフエイクのような、嘘のようにみえる実物だった。 「はじめは、いつも、素直だね」 「はじめてのとき、素直じゃなくて、いつ素直になるのかしら。だって、お仕事で、わたしのこと口説いたんでしょ。虚構だとかって、私の脚がどうのこうのと書いてくださるんでしょう、いろいろな女の人が出できて、結局私のことが忘れられず、白い愛し合い方で抱くんでしょ、楽しみだなあ、どうなるのかしら」 「だてにボーイフレンドいないね」 「評論をよんだわ、惇之は寝る前に考えず、抱きながら考えるって、わたしが思っていたように、まるで不感症の愛し合いかたね。寂しいけど、あなたがじょうずだから、かってにいっちゃうしかないのよ」 「きみは、感じたのか」 「とりあえず、抱かれながら考えることにしたの、あなたの場合」 「わたしの場合」 「そう」 「わたし、二十二歳、健康です」 そこに恭子がいて、だれかに借りてきたような現実を話している。聞き手の位置を捉えて、そこからの転移を繰り返す。幾度も転移されると、惇之の皮肉は愛らしい冗談に変わってしまった。そして伝えたいことが聞こえてくるまえに、受け入れてしまった。 「ひとつ、きいていいかな、夕べ、私きみを誘ったの」 「おぼえてないの」 「ああ、失礼はなかったかと思って」 「きみ私とねてみたくないかって」 「それどこかで読んだことあるな」 「でしょう、黙っていればついていく訳でしょう、酔ったふり、ゴシップどうりにお上手で、車とお宅の鍵、同時に渡して、いきなりコピーつくった恭子どうしました」 「いきなり鍵替えましたよ、車もお宅も」 「で、眠ってしまうのも、なにかのまちがいなの」 「抱きながらかんがえるって話、あれ、嘘なんだ」 「わたし、信じるわ、その話」 「抱かれながら考えますって、嘘だったの」 「私を抱きながら、理恵とか、由紀とか、いってらっしゃったわ、覚えていないの」 「ところで」 少し考えて 「きみの目的はなに」 と聞いた。 「当て馬になっていただきたいの」 「わたしは、馬?」 「そう、あなたのちからで、男達の整理と、新しい人間関係を始めたいの」 「私がきみの人生をコンバインするわけ、騎馬したり、農耕したり忙しいね」 惇之は変化が、不思議だった。彼女は惇之を、変化させている、しかし、どこへ、それを恐れた。口説かれていく短い時間に、美樹と離れている時間を、想像しにくく感じさせた。 「わたしはあなたの女になるわ、てきとうな男が現れるまで、あなたのおつむをコンバインしてあげるわ、わたしにはそれができるのよ」 疲れさせないだけなのに、美樹は微笑んだ、あの表情で。 別のグループの女の子達と、海に出かけた週末に、恭子のことは忘れた。淋しく思っていても、紛れがちな淋しさでしかないと考えた。その女の子は、小型のオートバイで来ていた。海までの往復を、惇之は後続する車から、小さなヒップのオートバイを駆動する風景を、飽きもせず眺めて過ごした。麻美は時折後ろに向いて、手を振って見せた。夏の初めの、ステディをシャッフルする最後の時間。 「どこかに、いって、しまおうか」 グループから、ふたり、はぐれてしまったとき、いってみた。麻美は、ほほえんだ。条件設定の、甘さを、ほほえんだ。 「みんなが、心配するわ」 「そうだね、危ないね」 麻美は曖昧な眼つきで惇之を捕える。惇之は眺めたままなので、視線を外した。すると、ただ風景をぼんやり見ている表情になった。遊ばせながら、計算された受容は、ゆっくりとたかみへと、導いていく。無防備なしたたかさで、惇之を受け入れている。恭子は言葉を待っている。他の若い女性に、求めて得られなかったものを、恭子に重ねてみる。やがて惇之らは、残った一枚のガムを、半分づつかんだあとで、助手席と運転席のちょうど中間あたりで、初めてのときのように、舌が触れるのを恐れるキスをした。 別れ間際に渡されたメモに、チューリップ模様を添えて、電話番号が書いてあった。夕方その腕は、日に焼けたのを、はっきり認められた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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