テーマ:恋愛について(2606)
カテゴリ:だから
湾曲した白塗の壁が暖色の布張りのベルベットの座席を囲む部屋に隔てられたレストラン。
窓際に沿ってテーブルが配置されている。 秋子の肩越しに奥の壁鏡を眺めながら食事をした。暗がりに交差点が見えている。室内の風景の向こう側の景色は一人で食事している気持ちにさせた。流れる車の明りの、交差点の気配を際だたせては元の暗がりが取り戻すことの繰り返しを眺めている。 「恋をしたら、教えてくれ」 「どうして」 「用意がある」 「あなたは考え過ぎなのよ」 「僕もそう思うよ、思わせぶりな言い方はきみのほうが得意だ」 感情を高ぶらせる受け答えをした。それに秋子が応じた。 「声をかけられたのよ、学生だったわ」 「それで」 「それで」 「お茶を飲んだ」 「お茶を飲んだ訳」 「珍しいね、きみが乗るなんて」 「暇だったから」 「いずれにしろ退屈だった」 「いずれにしろ、退屈だった。たいくつ。あなたとわたしみたいに」 「退屈紛れに会うのかい」 「なぜわたしと会うの」 秋子はどこか焦りを抱え込んでしまったような真撃さで問いかけた。 「目的を知りたいのか」 「退屈紛れでないことは確かだわ」 「恋をしたのよ」 「それで」 「どうすればいいの」 「話したい事をだけをはなせばいい」 「あのね、わたしね、あなたとわかれてね、あなたに恋したい」 「まあ、相手の希望もある事だしね」 「わたしは片思いなの」 「それはきみが決めることだ」 「わかれるなら、なぜ誘ったの」 「わかれないなら、なぜ来たの」 「きたのが間違いなのね」 「そう思うのならそれだけだ」 「要するに別れたいのね」 「壊れるものは壊れる」 「好きなものは好きだわ」 「それはそれでいい」 「何かの間違いなの、あなたすこし優し過ぎるわ」 肩先を過ぎる視線を無視した。 「抱きたいと言われたいのか」 眼鏡を外しながら低い声で言ってみた。口元にクロスを当てた姿勢のまま隣のテーブルに鋭利な視線を振った。強度の近視特有の曖昧な輪郭、濃いベルベットの座椅子のフレームの中、秋子の小さな両肩が滲んでいる。 秋子の仕草に村上は見えているような気がした。それ以上の追確認は不要と思っていた。秋子の譲歩を読み取る処で二人の作業の終りを感じ取っていた。秋子と合うのに理由づけを用意している自身に蟠りを覚え始めている。 サラダの小蝦をフォークの先で転がしている。白磁のサラダボールの傾斜で、小蝦は同じ所を行ったり来たりしている。気持ちが悪くなったといって殆ど手を付けていないままのサラダは、異様に多い量の海産物で盛り付けられている。薄暗い照明の下で、それらは汗ばんだ様な艶をしている。村上に子供は好きかと聞いて、好きではないと答えた時と同じ怪訝な表情で、蝦を転がしている。 「あなた、遊びのつもりなの」 「きみを」 「だれを」 「誰が遊ばれているのかな、遊び遊ばれる、どちらがそうでなく、譲歩し 、されているわけでもない」 「なにものぞまないのね」 「つまりね、わたしたちは何か慰めを求めていると思う。互いの失敗を認め合ったうえでの」 秋子の深みを計りかねて、フォークとナイフを揃える形で皿に置いた。 そしてある回復の試みが誤りかけているのを認めた。 差し替えるべき言葉を捜して語り掛けようとしている。クロスで口元を拭いながら中空に投げられたままの秋子の視線を辿ると、窓の外の交差点型に区切られた静かな街並みを斜めに横切った。人影の疎らな街は幾らか寛いでいるように見えた。 「性急すぎるのね、状態のよくないときのあなたの兆候だわ」 「主治医と会食しているみたいだな。僕達に必要なのは慰みでなく、責任不在の会話かもしれないね、先生」 「責任」 秋子の抱えているイメージを操作する愉しみを通して、快適に歪曲する鏡のようなものを、利発的な秋子に重ねているに過ぎないことも、絶えず返答を意識しながら対話を組み立てていく姿勢も、むしろ生活を乖離させる方向は、単なる通気孔のようなものに位置づけられていると考えていた。 だが次第にその通気孔を通してのみ呼吸が可能な状況に追い導いて行こうとする自身に戸惑っていた。 奇妙な鎮静に衝かれ閉塞から逃れようとして秋子に会うのを躊った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 29, 2006 11:00:46 AM
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