カテゴリ:だから
愛していると言えなくて、彼女は一人で夜を過ごす。会いたくても会いたがらない人に会うのは辛いから、どうしてもあなたのこと考えてしまう。 そして暇な時間にあなたは電話してくる。わたしは都合のいい女として扱われるのに慣れてるから、別に気にしていないし、彼がわたしの体を抱きたいのならそれはそれで仕事のうちだと考えている気配がする。 そんな夜は友人が支えた。遠い海鳴りのような記憶が鮮やかに黄泉がえる。 そばにいないと感じた夜、電話を切った。あなたは私に会いに来ないだろう。心のなかの湖が見えないと言った。その水面は鏡のような風景を写している。 不幸な女ばかりが私を愛してくれる。自己憐憫になるのは嫌だけれど、不幸な生い立ちの自分を認めることで、少しは穏やかな気分になれるかもしれない。 家族に恵まれない境遇はさして珍しい事ではないが、女と新しい関係を築き上げて、信頼や敬意や恋や愛の束縛する感じに時めいた時代は終わっていた。満ちた月は欠けゆくものだ。そこには透明な私がいて、私の知らない私が、楽しい振りをしている。私は愛されるのが怖くなっていた。その儀式は私にたくさんの代償を要求したし、最も最終的な立場で、欲望を満たしていく、まるで宴の後を貪るように。 ほとんどの人間の人生を憎んでいた。嘔吐を感じる偽善や馴れ合いのすり合せで出来たその幻想の共有を拒んでいた。世渡りの社交辞令は辟易していた。だから私を招待してくれる会合には出たくないような感じがいつもそこにあった。 私を見初めて愛していると、酔った挙句に。、、彼は囁いた。電話番号を聞かれたが電話をくれたことはない。男の印象が私のなかで拡がりを見せ始めている。現実離れしすぎた恋の時間だけがそこにあった。手繰り寄せるように、傷を舐めるようにして愛しあった。男の淫媚な視線に晒されると感じた。体を与えることの意味がなくなっていた。放逸な関係は気休めにさえならない時代だった。 男の部屋にカーテンは無かった。隣接するビルではガラス越しに、仕事をしている人々が見えた。 角部屋の壁は、一面のガラス窓で、私は金魚鉢のなかにいるようだと言うと男は無視した。 その中は蚕の中だった。 現実をガラス越しに眺めるだけで、干渉されない時間が流れていた。 私が死の予感に怯えて、そばにいたい男がこの男だった。男には死の匂いがしていた。生きているが死んでいた。死に怯える女と死に侵された男が一体何をしでかそうというのか。 気紛れに電話をすると、冷たい金属のような男の声がする。ネクタイをして、事務的な会話になった。 「敬語はやめて」 「畏まりました」 激しい寂しさが込み上げてきた。このまま永遠に会えないような気がした。男の心は隙だらけだった。彼女が誘惑すると落ちた。 男の部屋の電話が鳴った。前の女は裁判を起こし、金を欲しがっていた、生きるために。私は慇懃な彼の電話の冷たさに曳かれた。なんて悲しい人なんだろう。受話器を持つ背中を、レザーのソファに横になって、眺めていた。 男はなにかに囚れたように、私のハグを求めた。抱き寄せる男を力任せに払い除けた。 私が忘れていた筈の嫉妬が蟄いた。 男は一瞬無表情から寂しげな様子になり、すぐに、いつもの衒いのない無関心な表情に戻った。 彼女は彼を愛していたから、彼を諦める決心をした。 彼の人生に、彼女の役に立てることは、何もなかった。彼にふさわしい女性は彼女でないことを理解した夜、彼との時間の記憶が、その後の彼女の人生の誇りになるような気がしていた。 彼は多忙だったので、別れたとしても彼の不在自体は変わらないが、彼に抱きしめられないこと、彼の不得意な、けれど愛らしい笑顔が見れなくなること、彼に触れなくなること、そこまで考えて涙が溢れ出るのを感じた。それは熱い涙だった。頬が焼けるように熱く感じた。 彼を愛している女達はそういった涙を落とした。 大学の最後の夏が、そこに来ている。 就職はしたくなかった。そのことで自分が変わって行くのが怖かった。彼と会って彼女は変わった。人の気持ちを考える女になった。 彼は彼女を大切にして、彼女の意図を現実化する支援をした。 いくつかの彼女の願いは現実化した。そういった現実化の寂しさを彼は知っている様子だった。 彼は生き急いで、体や心を消耗させて生きている。そういった男達を彼女は知らなかったので、当惑した。それがごく当然な男の生き方なのを、彼は言葉でなく彼女に教えた。 もし彼女がそこにいなくても彼に支障はなかったかも知れない。女の存在で揺らぐ何かがあることは彼の意にそぐわない。支え会うような脆弱な時間は刹那的な幻想だと考えていた。 しかし彼は彼女を求めた。 彼は漠然としたストレスに晒されていた。 彼女に電話を意識的にしなかった訳ではない、喘ぐような、彼女の彼を占有できない悲しさの、電話は不意に切れて、彼を愛していることを気がつかない、彼の無意識を非難した。かれは疲れ果てて、彼女のそういった兆しに気がつかなかった訳ではないが、彼女の優柔不断な彼を責め抜いた。 ある朝不意に彼は電話を止めた。すべてのメールを停止した。不必要な人間関係の消去に彼女が含まれていた。 彼に会うためには、彼のエリアで偶然を待つ状態になった。彼女達は、彼の行方を案じることなく、意外な狭さの都会は、彼の存在を過去のものにした。 あけた窓、あなたの好きだった金魚鉢のリビングに、ベイエリアのざわめきが部屋に入り込んでくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 23, 2006 10:27:59 AM
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