カテゴリ:だから
男はレザーソファに座りマニュアルを読んでいる。
それは女が残していったフードプロセッサーのものだった。 台所にそれはあった。 その新しいマニュアルには各種の料理が出ていたが食べたことはない。 やがて男は冷蔵庫から大根を出しそれにかけ、ゆずの皮をわずかに入れた。 すぐに夥しい量の大根下ろしが溢れ出した、京都を思い出させるその立ち上るゆずの香りの中で、フラッシュバックしていく気分をたじろぎながら、新雪のような大根下ろしの堆積に、彼はちいさくひとつため息をついた。 彼は彼女との結婚と彼自身が芸術家になることに苦しんでいた。その段階で彼女はだめになることが、彼女に癒されているのは侵食されているだけなのに気が付いてはいない。 彼女の愛は彼をまともにする、凡人としての幸福なまとも。彼の人生は彼女色に染まり、やがて彼自身が信じられないように普通の中年男がそこにある。彼女は変わり、彼は彼女の欲求を満たす限り危害を加えられないことを学習した生き物になっている。 彼の病気は重いと医者が電話で彼女に告げた。 彼女は新しい人生をはじめる準備を開始する決意をした。彼は歳を取りすぎた。44歳。別れるにはいい年齢だった。いい生活が出来ると考えた。彼はキャッシュもカードも彼女に与えなかった。彼の口座のNETの暗証番号を決めたのは彼女だったが、彼からの彼女用の彼名義の口座に彼から振り返られるものは、彼のビジネスの請求金額の10分の1以下なのを彼のサーバーのあのファイルで見た。しかし彼は完璧に申告し最低な税金を納めている。彼女のコストは彼の収入の一割にみたない。 彼の医者は大学に彼を紹介したがっていた。研究材料。彼はクランケなのか進化した精神構造をもつ新しいタイプの人間なのか。彼はその申し出に逆らわなかったが、臨床医に彼の何がわかるだろう。彼は固有の概念を創り出す、彼は新しい価値観を造り古い価値観を無意味にする。それが可能なのは囚われのないマインドが彼に備わっているからだった。拘りは無意味だった。 怒り反撃衝動感情を押し殺して 恥ずかしいという感情を否定して 自分の欲求に素直になれず それを自己鍛錬によって克服 さらけ出しているうちに、次第に慣れてきて、羞恥心がなくなる 自分の感情を殺して人に合わせる 感覚をそのまま認めて、何も考えない 何とかしようと考えるから、人の意見で自分の感情を否定して、自分を変える 他人の意見や気持ちよりも、自分の感情を一番大切にします それを包容力と勘違いしている 過剰な責任感は、「人に認めてもらいたい」心から起こる 責任感が強く、よく気が付き、能力も高いが、 内心はとても孤独で少しのことで傷ついてしまう 「人に認めてもらいたい」心は、孤独で愛に飢えていることから起こっている。 しかし、人は一緒にいて楽な人を愛するので、 責任感があるからといってその孤独感は癒やされない。 人に認めてもらおうと行動するよりも、自己満足を前提として行動する。 対応を迫られる可能性に怯える必要はない 完璧主義は噴飯ものだ 喜怒哀楽があって人生は楽しいものだ むかつくとき むかついていいんだ 押し殺して別な要素にしてはいけない 納得できないものは納得しなくていい NETには答えは見つからなかった。 ** 小説は事実ではない、かつドキュメンタリーやルポルタージュでもない。したがって作者の経験を記述したものではない。しかし林檎を剥くシーンを小説化する場合それは作者の経験に依存している。ここに本件の問題が顕在化する。 私小説は私小説である。 私が書く文章は日記でなく経験談でなくそれは私のイメージが作り上げるちいさな世界の物語でしかない。それが受け入れられない場合著作物として問題があるか、時代に遅すぎるか早すぎるかでしかないと、割り切っている。 私は林檎を剥くが48Fの非常階段でSEXした経験は残念ながらない。またそれを表現した経験もないが、必然性がないシーンは描写することもないと認識している。 著作物はリーチを想定している。登場人物と読み手の関係性の醸成が作者の任務であり、その2者間の共有感覚なくして作品としての存在意義はないとも思う。しかしリーチ、到達、意識、感情、意思への共感、感銘、シンクロニシテイ、時代への迎合性に関しては、読者の好みに依存するところが大きい。またそれを無視して幸福な作品の誕生はない。 ** 昼下がりの加茂川端を歩く。白鷺がまどろんでる。穏やかな冬の日ざしが、長い二人の影を落とす。仁和寺に行って、二人なにも話さずに石庭の砂の湾曲した流れを見ていた。それは流れているが流れていない。彼女は私の視線を意に介さず、何かを考えている。長すぎる脚、細すぎる二の腕、美しい横顔、趣味のいいバーバーリーのセーター、アルマーニのコート、Cクラスのベンツ、この女に愛を語ることの無意味さを教えてもらった。愛について教示されることは稀だ。静寂の深夜の東名高速に雨はやがて雪に変わる。 ふたり生きている。 その寺でぼんやりと、修行僧のように、愛し合わないままで、愛することを考えている。 女は私の秘書である。 彼女は私のことを私よりよく知っている。 彼女は私を防御し制御し、その姿勢は愛されている状態に似ていた。 同じVISIONに向かって組織を動かしていく過程で、彼女と私は秘書とCEOという関係性で把握しきれない共犯関係にあった。 彼女は必要最小限の言葉で、必要最低限のことを私に伝え、私の意識を遮らない。私の意識は事業に専念できる状況を継続させることのみに細心の注意を払っている。彼女は私を支援し、哀れみ、悲しみ、喜び、情緒なしにビジネスとして接している、そのけなげさ、ひたむきさに、打たれる。 彼女は私に自己同一視を向けてそのそぶりもない、共有する目標、経済活動が円滑に最大化することのみに衷心している。 人として敬愛できる関係に癒されることに驚いている。有能な秘書とはそういうものかもしれない。 つけたままのビデオがホワイトノイズに代わって、応接間のソファに眠り込んでしまった貴之を目覚めさせる。カーテンを開け放したままの窓はSOSを意味している。隣接しているビルの貿易会社からこの部屋は格好の気晴らしの対象だった。 1025室は照明が落ちることはない。 仕事から帰り貴之は誰もいないくらい部屋に帰ることはできない。つけたままのモニターや、ミキサーのインジケーターが貴之の証だった。彼はすべてを開け放っていた。 夜明け前にホワイトノイズに抗らって、ソファに目覚めると、5年止めていた室内での喫煙をして、咥えタバコのままキッチンでココアを作る。そして端末に向かい朝の入力をはじめた。帰宅してそのビデオをソファで見る。最後まで見たことはない。深夜、電話もメールもない。2重サッシの静かすぎる部屋のソファで、また彼は眠りに落ちてしまう。 タツーはすき? ふつう 翔華との短い会話を突然思い出す。彼女は繁華街で客引きのビジネスをしている。冬は寒い、彼女は午前5時まで客引きを続ける。客がつかまらなければ彼女のギャラはない。3日間立ち続けてゼロだったこともある。あまりにも客がいない夜は店が早仕舞いになる。そんな夜は店のソファで横になり始発を待つ。貴之に電話しても奴は出ない。 或る朝まだ暗い始発に乗るために街を横切ると貴之が花屋の横で携帯で誰かと電話している。こいつのことは良く分からない。時々短い意味不明なメールを寄越す。顔見知りだが、いい客ではなく、上がったこともない。 おなかすいてないか そう言って、彼女の横で煙そうにタバコを吸う。 うん すいてる 奴は2時間分の金を近くで監視しているマネージャーに払い、こっちにこいとサインをした。 焼肉か?すしか?しゃぶしゃぶか? しゃぶる タクシーを拾う。午前3時の都心はタクシー自体の渋滞時間だった。貴之は電話で予約したTV局の島にある地下のシャブシャブ屋に彼女を連れて行き和牛を食わせた。 メロン食うか? うん メニューにないメロンを出させる。 タクシーが見慣れた風景に止まる。 仕事がんばれ うん ありがと メロンうまかった 彼女は俯いたまま躊躇いがちに小声で言った。 ねえ こんどさ テファニいかない? 仕事で? いや なんかかってほしい 記念に うん どうしたんだ なんとなくさ おねだりなんてはじめてだな いつかナイキのベンチコートくれたじゃん あの夜はさむかったもんな じゃあな 静かにタクシーは麻布方面に右に曲がり、テールランプが消えた。 ありふれた夜がそこにもどってきた。 翔華は20歳ですべてに疲れていた。夜眠れないで、夜の仕事をしている。疲れ果てないと眠れない。日没後が彼女の朝だった。 彼女の舌にはグルタミンとしか思えないような和牛の旨味が、よぎった。たしかにあいつと私はシャブッたようだったが、彼女の関心は仕事に戻っていた。 (一部再掲加筆しました) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Dec 23, 2006 10:34:19 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|