カテゴリ:だから
Last updated Jan 28, 2005 07:57:28 PM
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むろん僕はそういった古風な彼女の家に敬意を払い、なぜか焼肉ばかりを食べる彼女のデートのために、いつも三人分の焼肉代を払っていたが、それは彼女と会うための必要経費だったし、彼女のお友達も僕のことを大切にしてくれた。 もしかすると私より綺麗で聡明でかわいい女の子はたくさんいるよ、ほんとうにわたしでいいの?という彼女のメッセージだったのかもしれないが、僕は彼女達の電話も聞かないし、僕にメールが来たこともない、それは彼女の「彼氏」だと彼女のお友達に認められていることだったかもしれないし、彼女の友人に恋におちる僕ならば、彼女との純愛は手をつないで歩くこともなく終わりを迎えるだろうだろう。 そして僕は美しい良家の子女を二人従えるようにして、夕暮れの表参道を歩いた。 「僕達、なににみえるかなあ」 「お友達じゃない?」 「新任の助教授と生徒にみえないかなあ」 「あなたは教授というより、あやしいPRODUCERって感じよ」 「何の?」 「そうねえ、お金儲けがすきな、知的なPRODUCER」 「ちがうよ、業種だよ」 「私達がいるってことだから、怪しくないわ」 「禿げ同」 「ねえ、幸子どう思う」 黙って聞いていた彼女の友人がいった。 「そうねえ、てるちゃんは、おぼったチャンだから、おぼっちゃんとおじょうちゃんにみえるかもね」 的確な答えで感動した。 彼女達はあまり職業に意味を見出さない。良家の子息は、会社経営といっても株を保管しているだけの実業家が多かったし、仕事をすることが、人生で必ずしも尊いことではないことに気がついていた。三代くらいの範囲で成功した親族がいれば、一族仕事をしなくてもいいくらいの資産は皆所有している。仕事というものは、趣味的というより、社会貢献のように考えている。そしてその収入は、そのまま寄付しても一族の生活には特に変化はない。 「じゃ餡蜜でも」 「うん」 僕達は彼女たちが幼稚舎から行っているいきつけの骨董通りの甘味屋に歩いていった。そういった狭い生息地帯だったので、僕はBMWを持っていなかったし、そもそも自分で運転などしない。免許などもっていなかった。 僕は週末には自由が丘のスタジオに籠っていた。自宅の作業のテープを再生して、ギターを鳴らした感じを確かめてみた。自宅からの機材は赤帽の田中さんがいつも運んでくれた。当時はBANDブームで、そのスタジオには、学園祭用のにわかROCKERであふれていたからベネトンのカバンを持っためがねをかけた僕はういていた。いつも一人できて、すごいカラオケをモニタしてた。 僕は人の人生を左右したくなかったし、そういったBANDをかりそめにすることは自分の音楽の実現には支障のほうが多いと感じていたので、一人で居たが、ボーカルの女の子がいないので、リードパートが録音できないでいた。 明子は北千束のお嬢様で、なぜか都立高校に進学している2年生だった。彼女は、スタジオがはけたあとにパイを食べに行くレストランでたまたまKEABOADMAGAGINEを読んでいた僕に話しかけてきた。 「キーボードのひとなんですか?」 「ギターですよ」 「ええええーー」 彼女達は4人だった。ケンドーンのお魚Tシャツをきた彼女は明子と名乗り、僕にバンドの練習をみてほしいと依頼された。断る理由はなかった。 僕は彼女達のためにBONJOBIを5曲コピーした。彼女達の行きつけの都立大学の安い古い狭いスタジオで、僕はドラムをたたいてみせて、ベースを弾いて、ギターを指導した。 彼女達はスタジオ代を僕に出させようとしなかったので、よくパイを食べにつれていった。 僕がそんな楽しい時間を過ごしていたときも高橋は、安いギャラのハマハの仕事をしていた。やがて彼はデビューしてしまう。 ある日スタジオのブッキングに失敗して、自由が丘のロータリーで僕達は相談してた。 「じゃあ テルのマンションにくるか、アンプあるし」 「そう、いいじゃん」 結局僕の部屋に高校二年の乙女が5人来た。 「汚なーーーい」 「そうかなあ」 当時その部屋で僕は地方の良家の子女と同棲していたし、ほかに大学生の彼女がいた。 バスルームから出てきた明子が言った。 「女の髪、みーっけ」 「えええええ」 「そうよじゅうたん、おんなの髪だらけ」 そのころにはキーボードの順子はキッチンの皿を洗い始めていた。 「短いのと、長いのあるじゃん」 ドラムの裕子は冷静にみていた。 「ガムテある?」 彼女達の部屋の掃除が始まった。 結局その日は掃除だけして彼女達はグレープフルーツジュースを飲んで帰った。田園調布の駅で僕は感謝してると言った。僕は近眼で髪のことは気がつかなかったといった。 「てるちゃん わるい女に気をつけるんだよ」 「うん」 明子は母のような不思議な台詞を残して自由が丘方面のホームに消えた。 部屋に帰ると、彼女がいた。 「なに、あれ」 「え」 「もてもてだねえ」 「ちがうよ、音楽教えてるんだ」 「なにおしえてるんだか」 「ねえ、一つきいていい」 彼女は長い髪を不機嫌なときのようにかきあげていった。 「なに?」 「あのさ、このへやの短いソバージュの髪だけどさ」 「それがどうしたの」 「しってた」 「あそこにも おちてるよ」 彼女が指差した先をみると、BEDがあった。僕はその視線をとうしたものかと、激しくためらった。恐ろしく長い沈黙がそこに支配していた。 「てるちゃんと、愛のあるSEXがしたい」 それは誘いというより叫びだった。受け取った私は過日交わした情事に愛がなかったことが問題なのかと考えてみた。たしかに問題があった。彼女が私を愛していたかはともかくとして、私は彼女を抱いたが、その間彼女をあいしていたかどうかは不明だった。 彼女のメールを穴のあくほど眺めて、彼女が私を愛してくれていたかについて思い出そうとしたが、記憶はさだかでなかったし、確かに彼女は懸命だったが、それが愛によるものか不明だった。 つまりどうやら彼女は私を体であいする準備ができたという趣旨のメールだと判断せざるを得なかった。しかし私にその準備はなかった。5分準備について考えた。結論は無理だった。一方で私だけ愛していないSEXをしたという仮定から再構築した。 前言通理にそれは事実だったはずだった。そこまで来て、自分が愛のないSEXをできないことに気がついた。たしかに愛のない行きがかり上のSEXはあるがそれは最後の暴発をともなわないのだった。それは奉仕のような状態のことを意味していた。貝原益軒は接して漏らさずといい、よみびとしらずは、接して行かずと言っていた。男と女は深い。 すると私はあいされていたと思い込んでいたことになる。 私は返信にこまった。もう一度愛してという意味なのにここまで考えて、考えすぎの自分の暇さに嫌になった。 すくに彼女に電話して、とりあえず食事することにした。 「おとなはいいよね、とりあえずって何?」 今年20歳になった彼女はそういって電話を切った。 彼はときどき携帯が止まる。理由ははっきりしない。しかしそのあいだ彼のPCにメールを打ち、かつ、ドメイン許可指定するか、無制限にEMAILを受ける携帯しか彼と連絡が取れなくなる。 彼が携帯をいくつ使用しているかは知らない。自宅の電話番号は知っているが、かけても呼び出し音が鳴るだけだ。聞いたことがかるが、彼の部屋には電話機という機械がないらしい。あれだけ機械だらけなのに。 彼は携帯が止まっている時間に、激しくPC対携帯のメールの送受信をしているらしい。自身の携帯がEMAIL拒否の設定になっていて、彼にMEILを打っても返信を受信できない淑女がいる。 彼の交友関係で経済的な事情なくNET環境にない方々は微妙だった。すくなくとも彼の友人にはなれないかもしれない。 彼のPCメアドはサーバー移転があった1997から変わりはない。 そんな状態から彼の携帯以外に彼へのアクセスができないグループの交友関係が彼の懸念だった。 すべての問題はそのあたりにあった。信じられないが、いまだに職業上の理由でメールを使用しない職種があるのだ。 饒舌な彼は実は寡黙な男だった。以前の同居人たちはそれを責めた。 「なにかんがえてるの」 いえないことを考えていた。 さて、携帯だがどうしたものかと考えていた。事実上ある世代は音声の会話を必要としなくなっていた。リレーションは感性で直接的なもので、音声のニュアンスのない事務連絡のようなものになった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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