東急5050系東横特急飯能行き乗車レビュー
3月16日、待ちに待った東急東横線と東京メトロ副都心線との相互直通運転が開始された。西武池袋線・東武東上線と東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線が一つの線路で繋がれたことは、西武池袋線沿線に住み、かつ東急電車ファンの僕にとっても、横浜方面へのアクセスが格段に向上したため、一度直通列車に元町・中華街駅から乗ってみようと予定を立てていた。そして、3月30日、東横線の看板列車「東横特急」の西武池袋線直通、飯能行きに乗ることにした。直通先の副都心線では急行、西武池袋線では快速急行と種別が変わり、両駅間を95分で結ぶ、今回の直通運転での目玉列車である。僕が選んだのは、9:49、元町・中華街駅発の51K(051-092)列車。ホームに入線した車両は東急5050系電車4000番台10両編成4107F。2012(平成24)年に総合車両製作所で造られた最新型である。5050系は8両編成が5151F~5175Fの25本、4000番台に区分された10両編成が4101F~4109Fの9本が在籍する。副都心線との直通運転開始以来、特急はすべて10両編成での運転になった。5050系4000番台は、それまで8両編成ばかりだった東横線で、初めての10両編成を組むの車両だ。このうち4107F~4109Fの3本は、東急電鉄で初めての総合車両製作所製の車両であり、3月16日、直通運転開始と同日に営業運転を開始した。僕は、乗客の増減の変化が激しいと思い、4号車の座席に座った。発車メロディが鳴り、列車は元町・中華街駅を定刻に発車。ここから西武池袋線飯能駅までの新しい旅が始まる。この日は天気が曇りだったせいもあるのか、元町・中華街駅からの乗客は少なめで、空席が目立っていた。みなとみらい線内はみなとみらい駅・横浜駅と停まり、横浜駅から東横線へ入る。横浜駅は横浜高速鉄道と東急電鉄の会社境界であるが、元町・中華街駅から東急電鉄の乗務員が乗務しているため、乗務員の交代は見られない。横浜駅は主要駅の1つであり、ここから乗ってくる乗客が多く、席は完全に埋まった。乗客は、行楽目的と思われる家族連れに加えて、休日出勤のサラリーマンと思われるスーツ姿の男性客も見えた。東白楽駅の手前で地上に上がり、東横特急らしいスピードが出てきた。次の停車駅の菊名駅で先行の各停渋谷行きと接続し、各停からの乗換客を受け入れ、立ち客もでてきた。窓の外に目をやると、すれ違う車両は5050系と西武6000系電車が多かった。つい10年前は東急8000系電車・8590系電車・9000系電車といった、昭和生まれで東急電車独自の個性を持った車両が走っていたが、5050系がこれらをを一掃し、一気に新型車両ばかりになってしまったかと思えばそうではなく、新たに直通してくる東京メトロ7000系電車や東武9000系電車のような昭和生まれの車両も乗り入れてくる。東横特急は停車しないが、日吉駅から目黒線との並走区間が始まる。日吉の留置線で埼玉高速鉄道2000系が出番待ちしていた。目黒線は日吉駅から目黒駅へと至り、東横線のバイパス路線として機能している。東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線と都営地下鉄三田線へと直通し、浦和美園駅、または西高島平駅まで運行している。東横線と副都心線の直通運転開始に伴って、東横線と目黒線の接続も改善された。武蔵小杉駅では、複々線区間で並走し、元住吉駅を出て一旦地上に降り武蔵小杉駅手前で再び高架に上がった目黒線と対面接続する。東京都交通局都営三田線の6300形の各停西高島平行きだった。武蔵小杉駅も目黒線からの乗り換え客も含めて多くの乗客が東横特急に乗ってきた。近年、武蔵小杉界隈は高層マンションの建設進み、発展著しい。駅のホームからもこれらが何軒も立ち並んでいる様子を見ることができる。2013(平成25)年4月には、東横線・目黒線ホーム直上に、商業施設や川崎市立図書館が入居する「武蔵小杉東急スクエア」がオープン予定となっている。4号車の前には武蔵小杉東急スクエアへの連絡階段がすでにでき上がっており、4月2日のオープンまでの間仮囲いをしている状態だった。東急で初めて採用された発車メロディが鳴り、ドアが閉まる。新丸子駅~多摩川駅間で多摩川を渡り東京都へ入る。多摩川には桜が綺麗に咲いていた。ちょうど満開といったところだろうか。多摩川駅、続いて地下駅で、目黒線と別れる田園調布駅を通過すると、次の自由が丘駅まではあと少しだ。大井町線との乗り換え駅でもある自由が丘駅に到着。ここで各停石神井公園行きの東急5050系と接続する。各停に加えて、大井町線からの乗り換え客も多く、ここで車両の奥の方が見えなくなるまでに混雑し始めた。自由が丘駅を発車し、なおも東横特急は順調に飛ばしていく。中目黒駅に到着した。隣のホームには東京メトロ日比谷線の03系が入線していた。東横線と日比谷線は、副都心線へと直通する前日の3月15日まで菊名~北千住間で直通運転を行っていたが、副都心線への新たな直通ルート開拓によって1964(昭和39)年から続いた日比谷線との直通運転が終了した。それまで直通で通勤していた乗客には乗り換えが増えて面倒くさくなった感があるものの、向かいのホームで乗り換えられる利便性は今でも健在だ。日比谷線へと乗り換えていく客も数人見られた。中目黒駅を出ると、列車はカーブを描いてトンネルへと入り、トンネルの途中からホームが始まる代官山駅を通過。代官山駅を出ると、直通に合わせて線路が切り替えられた新しい地下線へと潜る。今回の副都心線との相互直通運転に合わせて、代官山駅~渋谷駅間の線路を地下化し、副都心線と繋がったわけだが、それまで85年の長きに渡って列車の終点だった旧渋谷駅は、5月までイベントスペースとして開放された後に解体され、跡地にはJR埼京線・湘南新宿ラインのホームが移転し、高層オフィスビルも建設される予定となっている。渋谷駅では、中線の5番線に到着した。ここで乗客がどっと降り、また彼らと入れ替わるようにどっと乗ってきた。東横線・副都心線の渋谷駅4番線・5番線も、3月16日から使用が開始された。新しい渋谷駅のホームは地下5階に位置しており、改札階が渋谷駅前の新しいシンボル、渋谷ヒカリエの地下3階と直結している。2008(平成20)年に副都心線の駅として開業した時点から東急電鉄の管轄となっていたが、今回の直通運転開始で、名実共に東急電鉄の駅に昇格した形だ。また同じ東急の田園都市線への乗り換えも、旧駅時代は一度改札を出る必要があったが、地下化後はその必要もなくなった。ここで最初の乗務員交代があり、東急の乗務員から東京メトロの乗務員に変わる。ここで東横線の種別「特急」から副都心線の種別「急行」に変わる。5番線の発車メロディは、旧3番線の楽曲がそのまま使用されている。いよいよATOによるワンマン運転が実施されている副都心線に入る。東横特急から副都心線の「急行」に変わった列車は渋谷駅を発車し、飯能駅に向けてさらに進む。渋谷駅での降車客が多かったため、空席がちらほら見られるようになった。副都心線は、山手線・埼京線に次ぐ渋谷~新宿~池袋を繋ぐ第三の路線として2008(平成20)年6月14日に開業した。いずれも池袋駅を起点とする通勤路線である西武池袋線と東武東上線に、本線の途中駅(西武池袋線は練馬駅、東武東上線は和光市駅)から分岐する形で直通運転をしており、池袋駅でJRへ乗り換えずとも新宿・渋谷方面へ直通できるようになっている。副都心線に入って最初の停車駅は土休日のみ急行が停まる明治神宮前駅。原宿・表参道エリアへ向かう客、特に学校が休みとなる土休日の若者の利用拡大を狙って2010(平成22)年より土休日のみ明治神宮前駅に停車するようになった。しかし僕が見たところ、明治神宮前駅での降車客はそんなに多くは見受けられなかった。次は新宿三丁目駅に停車する。東横線にはかつて、旧渋谷駅から山手線の西側を走り新宿まで延伸する計画があったものの実現しなかった過去がある。この直通運転で、一度は挫折した東横線の新宿乗り入れがようやく実現した。一部の各停が新宿三丁目駅止まりであり、東新宿方に引上線が設けられている。大都市新宿に位置しているとだけあり、乗降客も多かった。しかし渋谷駅から空席が見られるようになったため、新宿三丁目駅発車後の車内は再び座席が埋まる程度の乗車率だった。新宿三丁目駅を出て最初の通過駅、東新宿駅は上下2段通過線がある駅であり、通過線からは壁で仕切られているため直接ホームを見ることはできないものの、ポイント通過時に「ガタンゴトン」という音が大きくなるため、東新宿駅を通過したことが解った。西早稲田駅、雑司が谷駅を通過し池袋駅へ。池袋駅は降車が多く、乗車が少なかった。東横特急最大のライバルであるJR湘南新宿ラインとの競合区間はここで終わるが、列車はさらに先へ向かう。小竹向原駅で2度目の乗務員交代。今度は西武鉄道の乗務員に交代した。ここで再び種別が「快速急行」へと変更される。快速急行は西武鉄道の特急料金不要の種別でもっとも停車駅が少ない列車である。小竹向原駅では東京メトロ10000系の有楽町線川越市行きと接続する。小竹向原駅は有楽町線新木場方面、副都心線渋谷方面、有楽町・副都心線和光市方面、西武有楽町線練馬方面の4方向に分岐するジャンクション駅。ここで有楽町線と副都心線、和光市方面と西武線方面との列車が接続できるようにうまくダイヤが組まれている。ここでの乗降は乗換客がほとんどで、有楽町線からの乗換客と和光市方面への乗換客の数はほぼ同数だった。小竹向原駅を発車しゆっくりと新桜台駅に入線した。新桜台駅は西武鉄道管轄の唯一の地下駅で、練馬駅と小竹向原駅に挟まれた場所に位置しており、西武線を利用する場合は練馬駅、有楽町線・副都心線を利用する場合は小竹向原駅に出た方が利便性がよいということもあるのか、ホームには人がまばらで閑散としていた。地上に顔を出し、高架の練馬駅に入線した。隣のホームには池袋駅からの西武2000系の準急西武球場前行きが到着し、接続を待っていた。この日は西武ドームでの埼玉西武ライオンズの試合が開催されていたこともあり、こちらから準急への乗り換え客も見られた。この先、西武球場前行き列車との接続がないためである。西武池袋線の快速急行は、特急料金不要の種別ではもっとも速いもので、練馬駅を出ると、石神井公園、ひばりヶ丘、所沢、小手指、入間市、飯能にしか停車しない。「東横特急は速い」というイメージを西武池袋線でも損ねたくない、しかし西武鉄道での「特急」は追加料金が必要なレッドアロー号を指すため、その妥協案として快速急行で運転し、東横線直通に限って練馬駅にも停車するという形で決着がついたというように見て取れる。練馬駅を過ぎると、車内は席が埋まる程度に戻り、立ち客が目立たなくなった。ここから石神井公園駅までは複々線区間となり、快速急行(東横特急)は持ち前のスピードを出して、中村橋、富士見台、練馬高野台の各駅を通過。複々線区間の末端駅、石神井公園駅では西武6000系の各停保谷行きが待っていた。石神井公園駅と隣の大泉学園駅の間では高架化工事が進行中で、線路は仮線に移り、そのすぐ隣では高架橋の建設がたけなわである。仮線区間を走り終えるとすぐに大泉学園駅を通過する。僕がいつも利用している見慣れた駅を、颯爽と通過する大好きな東急電車の車窓から眺める。長年夢見た光景がやっと実現したと、一瞬うっとりとした。続く停車駅のひばりヶ丘駅も緩急接続が可能な駅であるが、ここでは接続列車がなくそのまま発車。ここでも乗降はほぼ同数であった。ひばりヶ丘駅の次は所沢駅に停車する。改正前は地下鉄直通の最速列車が快速だったためにひばりヶ丘駅からは各停になってしまい、所要時間の面で地下鉄直通列車が不利な立場にあった感があった。しかし快速急行はひばりヶ丘以西も通過駅があるため、ここから先も軽快に走っていく。所沢駅の一つ手前の秋津駅を過ぎて埼玉県へと入る。東急電鉄の車両の埼玉県への進出は、埼玉高速鉄道直通の目黒線、東武伊勢崎線・日光線直通の田園都市線に次いで3例目となる。正確には秋津駅のホームの途中に東京都と埼玉県の県境が通っており、多摩川のように区間の途中にある目立った目印ではないため、いつの間にか埼玉県に入っていたという感覚だ。所沢駅では西武30000系の準急飯能行きと接続。準急や新宿線への乗り換え客も多かったため、またしても車内は空席が目立つようになった。所沢駅を過ぎると、住宅が目立つものの緑もところどころに見える武蔵野台地特有の風景が広がる。次の停車駅は小手指駅だ。小手指駅も緩急接続可能だが、接続はなかった。小手指には西武電車の車庫があり、多くの車両を車内からも見ることができる。東急5050系の姿も見え、東横特急(快速急行)の一部は小手指駅止まりとなっている。狭山ヶ丘駅、武蔵藤沢駅、稲荷山公園駅と順調に進み、次の停車駅、入間市駅の前後は急カーヴとポイント通過の影響でゆっくりと走る。急カーヴを曲がり終えてスピードを上げて飯能駅へのラストスパートへと入る。仏子駅、さらに入間川を渡り元加治駅を通過、八高線をアンダークロスするとまもなく終点、飯能駅。1分遅れで終点、飯能駅に到着した。東横特急の80.7kmの長い旅路の終わりである。元町・中華街駅から所要96分。曇り空で時々小雨が降る、行楽日和ではない日であったにも関わらず、横浜~池袋間は平日のラッシュ時程までではないものの、相当な乗車人数がいた。所要時間ではほぼ互角であるが、運賃の安さと運行本数の多さ(湘南新宿ライン特別快速が30分に1本であるのに対して、東横特急は15分に1本)では東横特急の方が勝っている。副都心線内にも通過駅があり、西武池袋線へも乗り換えなしで行けるメリットは、改めて大きいと実感した。さらに言うと、これは4000系に限らず東急5000系シリーズ全体に言えることだが、揺れが少なく乗り心地がよかった。東急4000系には適した運用であると言える。On March 16th, the going-through service between Motomachi-chukagai and Hanno or Shinrin-koen via Yokohama Minatomirai, Tokyu Toyoko, Tokyo Metro Fukutoshin, and Seibu Ikebukuro, or Tobu Tojo Lines started. Because connecting these lines gave me, living along Seibu Ikebukuro Line and loving Tokyu trains, better access toward Toyoko and Minatomirai Lines, I planned to travel with a going-through service train from start to end. Then, on March 30th, I tried that plan.The train I chose was a 51K(051-092) operation, which is the most notable train, a limited express for Hanno on Seibu Ikebukuro Line, and changed its kind express on Fukutoshin line and rapid express on Seibu Ikebukuro Line, by 4107F set of Tokyu 5050-4000 Series built in 2012 at J-TREC factory in Yokohama. 5050 Series exists 25 8-carriage sets and 9 10-carriage sets classfied 4000 numbers. Since the start of the going-through service, All limited express operated by 10-carriage trains. 5050-4000 Series(also simply 4000 Series) is the first 10-carriage train on ToyokoLine, only 8-carriage trains had been in service before the going-through service. 3 of them, 4107F, 4108F, and 4109F sets, are the first train made by J-TREC on Tokyu and debuted on the same day as the start of the going-through service.I sat on a seat in carriage no.4 because it seemed that many passengers get on and off, from which I could know the passengers' trend. Ringing a departure sign, the train left there on time. Due to a cloudy weather, some seats kept vacant.On Minatomirai Line the train stopped at Minatomirai and Yokohama stations. Though it is the boarder of Yokohama Minatomirai Railway and Tokyu Corporation, the train driver and conductor changed because they were on their job from Motomachi-chukagai. Due to a big station, many passengers got onto all seats went occupied. Most of them might be families for their pleasure, but some men wearing suits were there as well.Going up to the ground level and passing Higashi-hakuraku, the train boost its speed. At the next stop Kikuna, it connected to a local train and some passengers moved from that. In the train some standing passengers, mainly that transferred from the local train, appeared.Watching the meeting trains, most of them were Tokyu 5050 Series, 5050-4000 Series, and Seibu 6000 Series. 10 years ago the trains made in Showa period, such as 8000, 8590, and 9000 Series, which had had the originality of Tokyu, had been in service on Toyoko Line. The new ones, 5050 and 5050-4000 Series, replaced them in a short period of time. Though all trains Tokyu owns become the new ones, the ones made in Showa, such as Tokyo Metro 7000 Series and Tobu 9000 Series, are also in service.Before passing Hiyoshi, I saw Saitama Railway 2000 Series, which came from Urawa-misono via Tokyo Metro Nanboku and Tokyu Meguro Lines, waiting for its service at the side track. Meguro Line spreads from Hiyoshi to Meguro (between Hiyoshi and Den-en-chofu running in parallel with Toyoko Line) and functions bypass route of Toyoko Line. Meguro Line trains goes through not only Nanboku and Saitama Railway Lines, but also Toei Mita Line to Nishi-takashimadaira. As the start of going-through service between Toyoko and Fukutoshin Lines, the transfer from Toyoko Line to Meguro Line improved.At Musashi-kosugi the train connected to Meguro Line train to Nishi-takashimadaira by Bureau of Tokyo Metropolitan Transportation 6300 Series. There many people including those who transferred from Meguro Line got onto it. Recently around Musashi-kosugi Staiton high-rise apartments are building and some of them can be seen from the platform. On April 2nd, Tokyu Musashi-kosugi Square, where shops and Kawasaki City Library would move, is opening above the station. I saw a new stairway to Tokyu Square from the window. As the time to depart came, the departure sign music which was introduced first time on Tokyu.Between Shin-maruko and Tamagawa, it crossed Tama River, going into Tokyo Metropolitan Area. At the riverside the cherry blossoms were fully blooming. Passing Tamagawa and Den-en-chofu, at which Meguro Line separated, Stations, it was soon approaching at Jiyu-gaoka, where it connected to a local train for Shakujii-koen and Oimachi Line. It got more crowded that I couldn't see the end of the carriage. It ran smoothly toward Shibuya.The next stop was Naka-meguro, where connected to Tokyo Metro Hibiya Line. Before the going-through service, some Toyoko Line trains had been through Hibiya Line to Kita-senju, which had had continued since 1964 and finished on the day before the new going-through service. However, the convenient transfer on the same platform still be existing. Some passengers transferred to Hibiya Line train stopping at the neighbour track.Leaving Naka-meguro, it pass through a curve and went into a tunnel, into which a half of the platform of Daikanyama Station went. Soon after passing Daikanyama it went down the newly-built underground track toward Shibuya and Fukutoshin Line. The old Shibuya terminal, which had been used for 85 years, was temporaly used as an event place until this coming May, and altered to the JR platform for Saikyo and Shonan-shinjuku Line and a high-rise office building.The train dropped into the track 5, which started to use together with the 4 on March 16th, and many passengers got off and on. The new Shibuya Station locates on the 5th underground floor of Shibuya Hikarie, the new commercial and office building produced by Tokyu standing in front of the old station building. The new station had been opened in 2008 as the terminal of Fukutoshin Line and, since then, had managed by Tokyu to prepare the going-through service to Toyoko Line. This time the station became a Tokyu train station in reality and in name. When the old station was in service, people wanting to transfer from Toyoko Line to Den-en-toshi Line had to went out of the station gate once and into again, but since the Toyoko Line went into the underground they don't have to.There the driver changed first time, from Tokyu to Tokyo Metro, and the conductor got off. The kind of the train changed from a limited express on Toyoko Line to a express on Fukutoshin Line. The departure sign kept using before Toyoko Line came to. It was ready to go into Fukutoshin Line.Changing the train kind to express, the train departed Shibuya and went into Fukutoshin Line. Due to many passengers' getting off, some seats became vacant.Fukutoshin Line functions the third railway connecting Shibuya to Ikebukuro through Shinjuku to ease the congestion in the rush hour and opened on June 14th, 2008. It also connects to Seibu Ikebukuro Line and Tobu Tojo Line, both of which are the important railway for commuting starting from Ikebukuro, to branch off from a middle station (Wakoshi on Tojo Line and Nerima on Ikebukuro Line) to get rid of the transfer to go to Shinjuku and Shibuya. The first stop on Fukutoshin Line was Meiji-jingu-mae, where the express train stops only on Saturdays and holidays only. To get more users, especially the youngstars, on Saturdays and holidays, the express trains stops there on these days since 2010. However from my eye, not so many passengers got off on that day.The next stop was Shinjuku-sanchome. In the old time Toyoko Line had planned to be extended to Shinjuku running the west of Yamanote Line, but it couldn't achieved. After many years, going through Fukutoshin Line, Toyoko Line trains goes to Shinjuku area. Some local trains finish its service there and the station has sidetrack for these trains. Because of in Shinjuku area, many passengers got on and off. Almost all seats on the train were occupied after leaving there.The first passing station after Shinjuku-sanchome, Higashi-shinjuku, is two-layered structure with passing track. From the passing track people couldn't see the platform because of over the wall, however I knew the train approaching Higashi-shinjuku from the loud sound when it passed the shunt. Passing Nishi-waseda and Zoshigaya, the train dropped into Ikebukuro. There, many passengers got off but a few got on. Though the competing section with Shonan-shinjuku Line finished, it went farther.At next stop, Kotake-mukaihara, the driver and train kind changed again; the crew did to Seibu Railway's driver and conductor and the kind from a express on Fukutoshin Line to a rapid express, the second fastest service, on Seibu Ikebukuro Line. It also connected to a local train from Yurakucho Line for Kawagoeshi on Tobu Tojo Line. Kotake-mukaihara Station is the junction of Yurakucho, Fukutoshin, and Seibu Ikebukuro Lines toward Shin-kiba, Shibuya, Wakoshi, and Hanno. The timetable arranges that both upper and downer trains can connect to the other one toward the other direction. There people got on/off might be from/to Yurakucho Line.The train went into Seibu Ikebukuro Line. The next stop, Shin-sakuradai, which was only one underground station managed by Seibu Railway, was quiet because when people use Seibu Ikebukuro Line Nerima Station was more convenient, and when use Yurakucho or Fukutoshin Line Kotake-mukaihara was more convenient.Going up to the elevated track, the train dropped into Nerima, the junction of the main line and toward Yurakucho and Fukutoshin Lines. On the neighbour track a semi express train for Seibu-kyujo-mae, the closest station to Seibu Dome, from Ikebukuro was stopping and some passengers transferred to that train because of an baseball game at Seibu Dome.After Nerima, the rapid express train stops at Shakuji-koen, Hibarigaoka, Tokorozawa, Kotesashi, and Irumashi Stations before arriving at Hanno terminal. I saw why Seibu gave the limited express from Toyoko Line the fastest kind without additional fee is to keep the image of Toyoko Limited Express which is fast but on Seibu Railway limited express needs the special fee and as a compromise it got the second fastest kind, and the ones only from/to Motomachi-chukagai stopped at Nerima.Departing from Nerima, all seats were occupied again and few standing passengers in the train. The train ran on quartable track to Shakujii-koen at fast speed.At Shakujii-koen, the end of the quartable track, the train connected to a local train for Hoya. Between Shakujii-koen and Oizumi-gakuen, a new elevated track is under construction and the regular track moved to the temporary one. Soon after finishing the temporary track section the train passed Oizumi-gakuen Station, where I always use. My dream that I see the station from the window of Tokyu train came true and I got little carried away.At Hibarigaoka, there was no connecting train and left soon. The increase and decrease of passengers were the almost same. After Hibarigaoka it stopped at Tokorozawa. Before the connection to Toyoko Line, I saw the train from/to Fukutoshin Line had paled against the ones from/to Ikebukuro; the fastest from/to Fukutoshin Line had been rapid, which had stopped all station between Hibarigaoka and Hanno. However the train zipped along because new rapid express train passes some stations after Hibarigaoka.In the middle of Akitsu Station the train went into Saitama Prefecture. Entering Saitama Prefecture of Tokyu train is third case, following Meguro Line into Saitama Railway and Den-en-toshi Line into Tobu Isesaki and Nikko Lines.At Tokorozawa it connected to a semi express for Hanno. Many passengers got off to transfer the semi express or Shinjuku Line and some of the seats got vacant again.Leaving Tokorazawa, passengers could see the unique scene of Musashino Plateau with forests and residentials from the window. Though the next stop, Kotesashi, had sidings, there was no connecting train waiting for the rapid express. Near Kotesashi Station a big train shed is located and passengers could see the trains waiting. Tokyu 4000 Series was also seen and some Toyoko Limited Express (rapid express) was bound for Kotesashi.Passing Sayamagaoka, Musashi-fujisawa, and Inariyama-koen Stations, the train slow down before arriving at Irumashi because of the tight curve and the shunts. Finishing the tight curve the train boost its speed again and pass Bushi Station, Iruma River, and Motokaji Station. Passing under the high-level track of JR Hachiko Line, arriving Hanno terminal was soon. As the terminal came, the train was delayed 1 minute. It finished its 80.7km travel taking an hour and 36 minutes from Motomachi-chukagai to Hannno.Though the cloudy weather, especially between Yokohama and Ikebukuro, not as many passengers as on the weekday morning, I found it carried many passengers. The time, compared to Shonan-Shinjuku Line, is equally matched but the number of Toyoko Limited Express' operation is more than Shonan-Shinjuku Line special rapid train (special rapid has 2 operations in an hour but Toyoko Limited Express 4 operations in an hour). I felt the merit of passing some stations on Fukutoshin Line and no transfer to Seibu Ikebukuro Line are convenient. At last, this is not only on 5050-4000 Series but also on all Tokyu 5000 Series, the less roll and inertial force, and a silent sound makes the passengers comfortable.