ヴィヴィアンは、
エリザベス女王と会う時、いつも通りにパンツをはかずに、
ノーパンで行くのでしょうか?
昔、ニュース報道のゲストコメンターがそんな事を言った。
トルファンが、深い敬意を抱くデザイナーの1人が、
ヴィヴィアン・ウエストウッド。
トルファン 曰く・・・、ヴィヴィアンは、
ファッションデザイナーとしての職業意識が非常に高い。
都市の中にモードがある。
都市の変化に伴ってモードも移り変わる。
自分達ファッションデザイナーが、創造すべき未来モードとは・・・。
ある時、ヴィヴィアンと、モスキーノは、
お互い話し合わせたわけではなく、
別々の場所で、似たような事を真剣に悩み考えていた。
それは、相変わらず、昔ながらのシャネルスーツへの痛烈批判。
ヴィヴィアンは、小説家のフランツ・カフカのように
写実的手法を用いた象徴主義として都市とモードの相関性、
モードの未来を世界に発信した。
それは、『 ぼろファッション 』と呼ばれた。
( マルコムマクラーレンも一役買っていたみたい・・・ )
本来ならゴミ箱行きのデザイン画。
あんた達は、そんなデザイン画にしがみついて、
拾い集めて、いつまで金儲けするつもりなのよ !!
ヴィヴィアンは、
こだわり素材を惜しげもなく、ぼろぼろにして、
独自の斬新なシルエットとカットラインで、まとめ上げた。
『ぼろファッション』は、ヴィヴィアンの挑戦状。
今でも覚えている。この話をした時のトルファンは熱かった。
都市とモードの話は、やがて、ドイツのバウハウスへと移った。
バウハウスとは、
建築・美術・工芸・写真・デザイン等を含む総合造形学校。
更に、日本のロックミュージシャン・布袋ともやす(漢字忘れ)にも
話が及んで、彼の曲の詩は、他のミュージシャンだったら、
ゴミ箱に捨てるような詩だ。
あいつは、演歌なみに保守的な商業歌手だ !!
なんて、毒づいて・・・。
( 話が本題から逸れるので、カットします。)
一方、モスキーノは・・・。
シャネルスーツにクエスチョンマークのプリントを入れて、
ミラノ・コレクションで発表した。
トルファンは、モスキーノには深く幻滅したそうだ。
ヴィヴィアンと比較して、モスキーノは、あまりにも芸がない !!
どんな主張をするにしろ、
自分が作るモードに対するコダワリが感じられない。
それが無いなら、一丁前にシャネル批判なんかするな !!
・・・だそうだ。(笑)
トルファンは、ヴィヴィアン・ウエストウッドの
ファッションデザイナーとしての職業意識の高さに
とても深い敬意を払っている。
商業意識は、少し足りない・・・とも言っている。
トルファンは、ヴィヴィアンの服飾品は1つも持っていない。
尊敬するけど、感性は全く合わないから・・・。
だから、1つも持っていない。
結局、発信する側の意識レベルではなく、
マーケティングリサーチを徹底する事が、
商業デザイナーとして成功する大切な事なのかもしれない。
でも、都市とモードの関連性は、
建築デザイナーとファッションデザイナーの永遠のテーマ。
ヴィヴィアンは、まだやらなければいけない事を残している。
それは・・・、
トルファンが自分自身に言っている言葉なのかもしれない。
( でも今更・・・、遅すぎ !! )