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テーマ:てんかんについて(183)
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夜に座談会と称し社会福祉士の話と患者の話を聞いた
私が発表したことは2つ。 周囲の患者に質問。 「作業所と呼ばれるところで、あなたは僅かな賃金で仕事をしたいと思いますか?」と、尋ねてみました。病人が他の病人と一緒になって仕事をするということは実はとても難しい。健康な人でさえ病人団体に混じるのは大変なことだし なので障害者ばかり集めた作業所というとこで病人だけで仕事するのは大変な苦労がある。運営自体もとても大変でそんな作業所で仕事をしてみたい患者はいないのだ。。何度も言うがかなりの低賃金。 しかし大人の患者は行き場がない。家にだっていい大人がずっといるわけにもいかない。やはり数人の男の子は部屋に引きこもってた話が目だったし、女性も家族とうまく行ってない場面が多々あった その中で病気を語る女性に出会った。 私は聞いてみました本当の思いを。 二つめ、私達はよく発作の時だけ病気で後は、普通だと強がっているが落ち着いていた発作が再び起きた時の恐怖感は自分に対して失意を抱き、悲しみを産む・・・・このやり場の無い挫折の体験は、実は誰かに打ち消して慰めて欲しい気持ちになりませんか?と。 私達の病気は病院に行っても報告するだけの孤独な戦いで、このショックを受け止めてくれる機関は存在しません。誰かに恐かったね、でも僕が付いてるから大丈夫だからね。と言ってくれる人が欲しいもの・・・・そう思ってる人いませんか?と、尋ねてみると患者の女性は同じだと共感してました。 発作じゃないのです、私達の病気の辛さは。 まるで罪悪感が吹き出すかのような挫折・喪失、このやり場の無い思いを受け止めて欲しいと、患者はそれを願ってるいるのです。 私だけでない共通の思いのようでした
患者側も私達はいったい何を望んでいるのか具体的に語らなければ周囲から理解や支援はもらえません。そのためには自分の病気である てんかんをもっと隠さず伝える努力が必要になります と言うような、話を私はしましたところ養護学校の先生や社会福祉士の方によく理解いただけたようでした。そして一緒にいた他県の患者さんももっとカミングアウトしてくれるようでした
この場所主治医が育った所、先生が同じ空を眺め同じ海で遊んで育ったのかと、ずっと遠くをみつめ思ってました。その場所に立ち 本当のやさしさという気持ちについて いったい何なのか考えてみました 患者の親から言われた事に、 何故 てんかん患者ですとか・患者本人です・とか、当事者です・とか、自分のことをそう呼ぶのか。まるで自分で自分を傷着けてるかのような呼び方は これ以上止めた方がいいと。 てんかんも他の病気も大差が無い。てんかんだけが特別ではないのに 特別扱いは良くないと言っていた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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