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カテゴリ:家庭
ずいぶんご無沙汰してしまいました。
何から、書こうか、まだ混乱中なのですが・・・・ グレートを6月に亡くし、寂しさの中、 命ってと向き合う時間を多く持てた中、その寂しさに浸る間も無く 私の母が大腿骨骨折で7月入院。 母に看護されてた父もその居場所を自宅から病院に移し両親のW入院。 私は自分の使命をグレートから今生きてる命を大切にしなさいと身を挺して教わった気がして、両親の看病に通う日々を送ってました。 仕事帰り、職場から近い実家に直帰しそのままその日の洗濯物を持って、父か母のどっちかの病院へ通い続けた日々。 でも父は、昨年10月亡くなりました。 母は、病院からお葬式へ出ましたがその後 母は退院しなんとか歩けるまでになりました。 私は、昨年何度となく睡眠中に肩を脱臼し再び脳外科へ相談に行くと肩の脱臼の治療に、再びてんかん薬の服用を勧められ納得して通院を再開しました。そしてまた車の運転をストップさせられました。 で、どうしたかというと・・・・ 以前診ていただいてた、離島に消えた前の主治医に意見を求めに一人飛行に飛び乗って(って感じかな。同じ一両日中に2つの病院)予約もとらず判断を仰ぎに・・・、バック1つで一日半かけ離島目指し・・・旅立つ・・・・ 途中で娘と合流し 娘の祖父母である私の両親の経過が良くなくその看病をし続けるのに、車は必須だった事情を知ってる娘は、私に同行してくれて・・(旅行に必要な女性の必須アイテムのお化粧品等娘が貸してくれて一緒に離島まで同行 という、昨年までの私。 娘も、迷惑な母に合わせ仕事も休んで着いて来てくれまして。 離島に居た前の主治医は、何の連絡も無く急に来た元患者の私にきっとエライ迷惑だった事でしょう。そして再び戻って今の主治医に何て報告しようか困った・・・・(しかし前の主治医は今の主治医に私が来てるのでその場で何があったのか今の病院に電話してお医者さん同士で直に話してまして・・・) そして再び今の病院。今年の診療予約日。 私の行動のバカさ加減を自覚しながらも、全て知ってる今の主治医になんて言ったらいいのと、迎えた診察日。 今の主治医、離島まで行った不届き旋盤な患者にちょっと呆れながらも「飛行機乗っていってどうでした」と優しく尋ねられ 私が、正直に「×××・・・って言ってた」と答えると 今の主治医 その答えに受けたのか、安心したのか笑いながら 「そんな事いってたの。それは、○○先生のやさしさだからね」と。 前の主治医の結構クールな対応にあしらわれた私の答えの話をフォロー。 ついでに、事の経緯の全内容を知ってる娘に後日伝えると 娘は、今の主治医を「先生、いい人じゃん」と、メールで返す。 これまた、母親の私はまた娘に励まされ飛行機代出して娘と旅行出した甲斐があったし、 何よりとっても楽しかったと、割り切るのでした。 その娘の結婚式を今年4月、デズニーランドで行いました。 当初、大腿骨骨折の母は欠席予定のでしたが車椅子で、孫の結婚式に参加。式が終わって皆で車椅子交代で押しながら、ディズニーランドも見学。 今年の秋には私にも、孫ができる予定です。 ざっと、これが私の1年間の流れです。 グレートと父を失くし命を見つめ 命って、限りあるものと教わったけど 命って 生命って実は別の形となって 際限なく続いてるもの。それを皆で大事に育んでいくものだって事、教わったような気がする1年でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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