カテゴリ:年子との生活
今日、仕事が休みだった義母が遊びに来ました。義父と義父の知り合いの人が久留米の知人のお見舞いに行くらしく、それに便乗して義母が途中にある我が家へ遊びに来たのです。
しばらく家の中で子どもたちと遊んでいたのですが、せっかくなので少し遠出して大きな公園に遊びに行くことにしました。私とはぁちゃんが遊具で遊んでいる間、義母はそうちゃんを見ていてくれました。義母曰く「子守りは体力がいるから私には無理」だそうです。 義母は「子守り」という言葉をよく使います。「毎日、2人の子守りで大変でしょう。」「私が代わって子守りをしてあげたいけど仕事がいそがしいから・・・」とか。 「子守り」という言葉は何となく一時的なもので、親以外の人間でもできる行為のような気がします(←あくまでも個人的な考えです)。「育児」は長期的で、子どもと密接な関係をもつ人間が行う行為のような気がします。 だから、私の子どもに対して義母が「子守り」という言葉を使うのは全く問題ないのですが、義母は「私も4人の子どもの子守りをしたけど大変だった」と自分の子どもに対しても「子守り」というのです。 なんだか、変な感じです。 義母は高校の養護の先生をしているのですが、4人の子どもたちは同居していたおじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが世話していたそうです。一応、老人4人が見ていたそうなのですが特に担当のようなものがあって、おばあちゃんが私の主人の担当をしてくれていたそうです。 だから主人の服やおもちゃなんかはおばあちゃんが買ってくれていたそうです。病気をしてもおばあちゃんが病院に連れて行ってくれていたそうです。 そんな感じだから義母にとって自分の子どもを見るということは「子守り」だったのかもしれません。主人は母親に甘えることができなかったことが寂しかったらしく、私に「子どもたちが幼稚園に入るまでは働かないで」と言っています。 私は働いているママが悪いなんていいたいわけではないし、周りに子どもをみてくれる人がいるなら預けて働くのって全然問題ないと思っています。 うまく言えないのですが、義母のように自分の子どもに対して「子守り」という言葉を使うのはなんだか変な感じで、聞いていると心がもやもやしてしまいます。私は自分の子どもの世話をすることを「子守り」とは言いたくないと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年06月08日 19時35分22秒
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