カテゴリ:母・妻・女・私
夕方、家までの帰り道
ゆんこがベビーカー降りると言い出したり 歩くのいやで抱っこと言い出したり あと少しだから歩こうよって言ったら 「やだやだやだーー」 ま、抱っこしてもいいんですけど もう一度 歩こうよって言ってみた。 「ベビーカー乗るーー!!」 ベビーカーには荷物いっぱいのせてるしな。 さらにもう一回 歩こうよって言ってみた。 「やだやだ、びぇーーーん」 はいはい。泣いている顔がなんだかかわいくて 私も珍しくごねてみた。お母さんもやだやだやだーー そしたら、困っている親子の図に見えていたようで 近所をいつも散歩しているおばあちゃんが声をかけてくれた。 「おばあちゃんがベビーカーの荷物をもってあげるからベビーカーにのせてあげて」と。 荷物重いけど・・・でも おばあちゃんが子どものために何かしたいって気持ちが伝わって あえて持っていただくことにした。 おばあちゃんはとても懐かしそうに昔の子育て時代の話をしてくれた。 孫の話もちょっぴり。 そして「懐かしいねぇ」とうれしそう。 そのおばあちゃん、この界隈では有名なお散歩おばあちゃん。 少し認知症傾向あって何度あっても初めてのように挨拶している。 お洋服も季節はずれだったりする。 今まで立ち話したことは何度もあるが私のことは覚えていない。 そのおばあちゃんが私たちのために一役買ってでてくれたのである。 これはおばあちゃんのために私たちも頼ってみなければ、である。 なぜかというと おばあちゃんは一人暮らしである(近所のみなさんの見守りがある) 話によるとお子さんや親族はあまり訪ねてこないらしい ということは 普段は自分のために何かをすることしかない生活である。 人間というものは 誰かのために(何かのために)必要とされていると感じることが 生きるエネルギーになっていると感じている。 もしそれを感じることができなかったら、 自分の無力感が際立って自分の生きる価値を見失うのでは、と思っている。 おばあちゃんの場合は いつも笑顔で多くのことに感謝をのべる生活なので私の推測は当てはまらないかもしれないが それでも、私たちの力になってくれたこのときは いつも以上の笑顔でいつも以上にたくさんの感謝の「ありがとう」をくださったので もしかしたらこのことがいつもより少し違う形で 彼女の気持ちを満たしたのじゃないかなと思う。 「きみが必要だ」というのは私の恩師の著書の題名である。 この言葉の重みをいつも深く受け止めている。 今回のように誰かの役にたつということで自分の存在意味を確認できるかもしれないし 病床にある方にこのメッセージを伝え続けることでそれが支えになるかもしれないし まだうまく言葉にまとめることができないのだけれど 自分が一人で生きているわけじゃないってことがいい意味で感じ取れたらいいのかななどと つらつら考えるわけで。 とにもかくにも長く難しくなっちゃってなんですが こんなテーマを社会的文化的医学的宗教的・・・と いろんな角度から深く見て臨床にいかしていきたいなと思っていまして そしたらそれに近い研究をしているところを発見したので 来月ちょいと覗いてこようと思っています。 私の頭でついていけるかなぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月24日 23時42分08秒
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