時の意匠5
時の意匠5 本場の中国以上に、なぜか水墨画は日本庭園に大きな影響を与えた。 狭い国土のせいもあるだろう。国土が、滝や深い谷、湧水の多い土地であった点もあるだろう。しかしなによりも、水墨画が限られた領域に部分画を描き、その背後を空想させる形式であったことが大きく影響したのではないだろうか。水墨画は描かれた部分の箱庭であり、部分を持って一つの世界の全体を描ききるものだからである。 ともあれ、湧水から滝口を設け、流れをも構成して、入り組ん複雑な地形の池泉を構成することは、日本庭園の伝統的な形となった。水墨画の様式、その意匠は、日本庭園で諸々の石組みや流れの景色となって、そのまま日本庭園の意匠と化したかのごとくである。 奇岩、巨大石は使われはしたが、それらが主題となって好まれたわけではなく、意図的に立てられた立石もまた、単独で自己主張をするわけではない。どの石も、周辺の石組みとのバランスや緊張感を構成して使われているのが日本庭園である。中国庭園とは、あきらかにテ-マも設計思想も異なるように感じられる。そしてこの独特の思想は、曾我氏庭園の昔からあったもののようにも感じる。 中国庭園の意匠は、ことごとくが明らかに「神仙界の人間くささ」を持っている。人工的に、仙境を造るのだという、人間の意志や意欲が見え見えである。特に自然の造形した奇岩を、ほとんど擬人化して使う、その使い方に人間のこころが主題だという、欧米風の発想と似通った特徴を感じる。 ところが同じ現実には無い空間に置かれた意匠であっても、また、庭の規模がいくら大きいものであったとしても、日本庭園の意匠は、どことなく「ちまちま」しているのだ。それは、どうみてもちゃちな箱庭であって、人間くささなど微塵も無い。 過去にも、小生は日本庭園の基礎的な意匠を「箱庭」だと感じていたが、この予想は基本的には、ますます間違いが無いのでは、と思い始めた。 黒頭たち直系の文化を受け継ぐ私たちの庭は、「家」や「産む」といった基層言語(シュメ-ル語では、それぞれe,umu)同様に、必然的に太古の文化意匠を基層に持っているはずである。それはe-me-salつまり神殿の中庭((家-神々の力)=言葉、-女たちの)なのである。これは神聖な力が宿ることを念頭に創り上げられた、容れものの形の構成なのだ。抽象的に言うなら、こころそのものではなくて、こころ一般。こころの外的な形式の投企なのである。 その中心に宇宙儀を据え、海と島を配置し、草木を植える。水と岩が、その基本を整え、草木がその内容を豊かにする。場合によっては、そこに建物が寄り添う。これは箱庭、つまりこころの世界の天地創造なのである。 また、日本庭園において、建物は庭園と同列のものや一体のものではないような気がする。建物は、庭園の構成要素として、後から配置されていったのである。書院や方丈から眺める庭として後から設計された庭園があったとしても、その庭は建築物を失って後も主人でありえた。実際にそのようなことが多かったと思うのであるが、建物は庭の意匠の一部であっても、庭が建物に付属した存在であったことはないような気がする。 これはひとときの意匠・・・