日本庭園文化への疑問35 歴史
日本庭園の基本要素が地図的な意味でのバ-チャルな形であるとするなら、地球の反対側のイギリス庭園のそれは、暦としての見え方が基本要素となっている。つまりこころの景観といったものであろうか。 日本庭園の方では、この見る側の人のこころや個人の思想は一切の姿を隠す。それは提示されたこころの建て前の形の前に、全く無意味なものと化してしまう。 イタリア式やフランス式の整形庭園は、フォ-マルな装いとしての建て前の形を前面に押し出すものだった。しかしそれは同時に暦的な時間内用を含むものであって、決して中空のものやバ-チャルな違和感を含むものではない。 主張すべき意思や理念や趣味が厳然とそこにあって、決して幽玄な代物でも、無意味な形式でもないのである。 日本庭園に居座るこの幽玄なものは、当然のことながら、明快な形はあっても暦は持たない。父母も祖先もわからないのはもちろんのこと、明日も未来も見えないのである。 それは歴史記述ではありえない。単なる一回性の生起する出来事にすぎない。 日本庭園で常に強調される一期一会というのは、そういうことである。自己完結した、建て前としての身体化されたこころの形の主張なのである。 しかしどうだろう、「日本庭園文化史という歴史ならあるぜよ、」という方が居るかも知れない。 それにはこれまでも述べてきたとおり、「文化の意味が違うがぜよ」と申し上げたい。 西洋かぶれの文化の意味で考えるから、そうなるのだ。日本庭園においても、技術的な問題や思想的変遷といった意味での文化を捉え、主張するならそうかもしれない。実際に百済様式と江戸末期様式の差異は、誰が見ても歴史の変遷や経過といった暦的要素に満ちている。 だが思い出していただきたい。 日本庭園を日本庭園たらしめている基礎は、そういった意味での文化ではない。 むしろ仮山を置くということ、一期一会を創出するということ、そういった意味での建て前を置いて図示することが文化なのである。図示の形が、そのまま文化の本当の意味となっているのだ。 歴史の経過や、技術の進歩や、趣味の変遷、個々人の思想、そういった諸々を一切排除し、全く顧慮だにしない、全く異質な形としての文化なのである。 例えば「いわくら」、「石柱」、「須彌山」、「州浜」、「立花」、「刈り込み」、そしてそのようなものが組み合わさった「枯れ山水」。 ここにある諸々の形としての文化は、江戸期の園芸文化と同質のものである。それらはことごとく、今、理解されることなく滅びかかっている。 失われかかっていたコンソブリナ復活!