情報とデータ (41 アカシャ・レコード)
昨日見た東北新社の番組がいけなかったらしい。夜中に悪夢でうなされた。 当局に情報公開を要求したら、担当の役人がこちらの手続き不備を指摘に来ただけでなく、公安がついてきて事情聴取という口実で脅された、という夢である。 夢はともかく、ヒストリーチャンネルの番組のほうは、情報というものについてのインパクトがある内容だったから頭の奥で消化しきれず残っていたようだ。それはエドガー・ケイシーというリーディング・予知能力者に関するレポートだった。 日本のほとんどが海に沈むとか、アトランチス大陸が浮上するとか、荒唐無稽な予知予言で有名な超常能力者であるが、小生がうなされたテーマは予言の内容ではない。 ケイシーが、常にそれを瞑想で読み取って予知していたと言われる、アカシャ・レコードという名の、すべての人の記録がまとめられているという記録の方である。確かインドの奥地にも、占い師たちが使う、ヤシのように広い葉っぱにびっしり書かれた同様の文書の存在がある。 あらゆる人の運命を記したような、言わば出来事の遺伝子のような、そんな情報がありえるだろうか、というのが、悪夢の原因である。夜中まで頭が繰り返していた呪文である。 あらゆる情報には媒体が存在する。そしてあらゆる情報は、情報として記述されたデータ記録なのである。つまり、アカシャ・レコードなのである。記録されていない情報というのは存在しないし、コピーされていない情報というものも存在しない。どんな情報も、まず人のこころによってコピーされ、記録されて伝えられていくのである。日本沈没も、アトランチスの浮上も、である。 生命や運命の問題と、記録や記憶の媒介・伝達の問題と、双方が重なる怪しげな地点で、このアカシャ・レコードというのは意味を持ってくる。つまり、うなされるに足る存在なのである。 キャベツとブロッコリは、まったく同じ花。