情報とデータ49(バーチャルなクラス1)
現実のなかには、バーチャルな事柄が溢れている。というより、私どもの現実認識というものは、もともとバーチャルなものをあらかじめ(先験的に)含んでいるのである。 ドウンス・スコトウス先生は、経験的なものの中にあらかじめ含まれている、という言い方をしている。 これは純粋理性として対象化可能な、単に純粋かつ本質的なクラスとして含まれているのではなく、ましてや実質のクラスでもない。単に「仮置きされた実質の衝撃」として、未知のクラスとして含まれている[何か]、なのである。 現存在(人間)としてある私どもの自己の全てが、確実に対象把握でき、認識できているわけではない。先験的に把握可能な対象化の出来ている部分と、そうでない(数量的にあいまいという意味ではなく)仮置きされて先験的な何かでのみ、把握されている、光学的仮像のようなものとしてのみ、見えている部分があるのだ。 同じ現実に対してある、この確実な把握意識と、先験的な何かをのみ感じている部分の落差を、私どもは「バーチャルな何か」だとして把握しているのである。だから自分を疑うことが無い、合目的な思考しか出来ない人には、これを単に[本質的な何か]だとしてしか考えられないのだろう。 しかし同じ合目的思考であっても、これを主意識と、それを観察する副次意識の分裂という風に考えることも可能である。その方がわかりやすいかもしれない。 リアルな操作性を得て、ほとんど自己同一化してマリオを操るゲーム上の自己身体意識と、それの一部始終を見ている別の自己意識という風に、考えてもいい。 バーチャルである事柄の何かには、必ずこのような分裂感と同一感が伴ない、それが激しいほど、リアリティは増す。それはもともと、自己認識とか現実とかいったものが、このような分裂した構造で成り立っているからではないだろうか。 現実の中に隠れているバーチャルな部分が、この現実を利用したバーチャル・リアリティという技術においては、強調されて表に出てくる。リアリティ(現実)を導き出すカギとして使われているのである。つまり、この技術は、リアリティを形成するバーチャルなクラスであるところの、こころの形をも、直接に操作するのだ。 書き込んだ記憶がないのに返事がくる。指定サイトはアダルトサイトである。不気味なので、当分の間、xn--n8jl9eqc関係の記載がある掲示板は消させていただいてます。あしからず。またyahooサイトネームでの書き込みは、ここ数年行っていません。メールもyahooやeonetから送られることはありえません。小生の送るメールは現在iij4uからのものだけです。