趣味について2(切手の魔力)
切手の魅力はどこにあるのか。あるいは魔力は。 使用済みの雨傘美人1枚から始まった切手趣味は、猫も杓子も郵便局に列を作るという時流に乗って、稼ぎの大半を注ぎこむところまで行き、やがて歳とともに先細って来た。この衰退には多分に金井オークションの解散が影響している。そして世間の郵趣趣味の衰退も、からんでいる。最大の悪要因は小生の場合ポンド下落だったが、ほとんどの子供たちにとっては、使用済み切手でボランチアという、あれであろう。 仲介者が責任放棄し、なおかつ世間人気がなくなって評価額価値が下がれば、切手の魅力もまた衰退するのである。魔力はなくなる。 その昔、ハマーショルド国連事務総長を描いた米国の切手が出たとき、一部に印刷のエラー品が誤って売られた。 当局は買い主に買戻し交渉したが、高価な主張に埒があかず、同じ印刷エラー品を大量に売り出して報復したらしい。小生もうれしがって1枚手に入れた。当時は裾野が広かったので、これで逆に喜ぶ人が多かったのだが、切手の魔力の特徴を示している事件であった。 大量にインスタンスされる製品で、なおかつ時代、クラス、例外の変容が見られること。 これが切手の物質的特徴なのである。 大勢の人々が底辺の価値を支え、時を越えて時代を窓化した建て前としての収集が可能、なおかつ例外的な希少品にも稀に出会える。まさに趣味的収集品としての代表的性格を備えているのである。 郵趣家が減った結果、良いコレクションが安く作れる時代が来たのだが、逆に魅力は減ってしまった。 切手という、この紙切れの趣味を支えている最大の要因は価値である。仲介者の存在なのである。しかもそれを国が支えることで、さらに価値は堅固になる。その仲介者が姿をあいまいにし、価値が目減りし、さらに国まで手を引くようでは、この趣味に未来はない。 子供の頃の、こころ踊る新鮮な発見の時代に戻りたいものである。そこに趣味の原点がある。 古手紙の束。 いずれ書いてみたいテーマ 古手紙の束 パケットの夢 時代の描く価値 郵趣家たち