憧れの田舎暮らし22
本当の田舎の本物の自然は、剥き出しの自然である。 この事実を認識すべきである。 多くの都会人が認識している自然環境というのは、数値化され管理された人間社会向きの居住に適した周辺素材のことであり、日本的意味で言う自然とは何の関係もない場合が多い。里山の自然と言われるものなども、過去の人々が営々と作り上げ、育ててきた豊富な周辺素材でnatureであっても、それは自然ではない。 剥き出しの自然だというのは、田舎では人間の行動に対し、じかに自然が直面する、という意味である。インターフェイス抜き。自分がインターフェイスになると思えばいい。 具体的にどんなものか。 端的な例が、暴風、洪水、雪崩、豪雪、地すべり、噴火、などの災害である。 山道で出くわしたクマやイノシシは遠方であれば向こうが逃げるが、直面したら、そのまま通り魔のように襲ってくる。地中にスズメバチの巣があることを知らずに木の根元に近寄ったら、あっというまに数百匹のスズメバチに襲われて殺される。ムカデやマムシも、痛いという程度では済まない。 そんな極端な例でなくても、人為で開いた空き地の無農薬作物は、翌年には信じられないほど増えた害虫たちによって猛攻を受ける。じゃがいもの畝は、サルが根こそぎ引き抜いて、大きいやつだけ少しずつかじっていく。天候には一喜一憂、渇水期には谷水もかれてしまう。 春に一月もほっておいたら、頑固な根を張る雑草が多い尽くすし、野生のつるに蒔きつかれたら、果樹の苗など、あっという間に枯れる。 要は、田舎の自然というのは、人間の暮らしに直結する猛威なのである。素材として確かに使えるが、人造の物のようには便利ではない。 風土の自然、暮らしに直結する自然を楽しむ、などという余裕は一切無くなるのである。 むしろ時節に乗り遅れまいと必死になる。花芽の立つ前に収穫しなければ食えなくなるし、サルや鳥にやられる前に採るのだという意思が要る。自然の摂理も知らねばならない。人為の手が入った交配種のタラの芽は採りほうだいでも、自然のやつは芽を全部採ったら枯れる。無農薬野菜も冷蔵庫に入れたら、防腐剤の散布がないのですぐ腐る。 要は自然ということの意味が違ってくる。場合によっては根本的に覆るのである。