パイデイアについて1
この古代ヘラス語は「陶冶(とうや)」と訳される。あたかも粘土で陶磁器がこねられ、焼き固められるように、知識や人格が形成されるのだという、ヘラス人の教育を念頭に置いた言葉である。子供という言葉を含んでいるらしい。 この言葉の解釈に異議を唱えて、小生は30年以上の昔に、教育原理の単位を棒に振った。 言わば教育者としては失格であると判定されたわけである。その時は、教育原理の重みなんて、その程度のものかい、と思っていたが、最近になって当時の考え方が懐かしくなり、じっくりと思い出してみたい気にもなってきた。 理由の一つは、文化についての長年の疑問が、自分で説明できるようになってきたことである。同じバーチャル・ガーデニングの手法で、教育についても何か説明できる事柄がありそうであること。 もう一つの理由は、教育の原理について、どのような原理なのか、本当に知りたくなってきたことである。 但し、過去に受けた教育原理の授業のように、パイデイアのきまりきった解釈をオーム返ししたり、中国共産党の第何回大会で何が採択されたといったような授業を反復するつもりはない。 自分勝手に、気ままに、無責任に、ガーデニングしてみるだけである。