トップにいた人は、失敗したら社会的責任を取れ
年明けに愚痴をこぼすのもどうかと思うので、今年中に不平不満をぶちまけておくことにした。 小泉のガキが構造改革だとか言って規制緩和をやった。 その結果が、新年早々、8万人を超えると言われる失業者になって跳ね返ってくる。8万人が職を失って、食いっぱぐれて、それで済むのだろうか。 この流れは、規制緩和で増幅されてしまう。トヨタを初めとする儲け過ぎた大企業は、その1年前の数分の一の損害が出たといって、あっさり、生きている人のクビを切った。 過去の日本社会では、こんなことは社会通念が許さなかった。だがアメリカの真似をして、小泉が許すルールを作ったのである。すでに自殺者が相次いでいる。不況が続けば、もしかしたら数十万、数百万人が職を失うのではないか。 再就職がほとんど不可能なこの状況で、職を失うということは、乞食をせよということである。乞食が嫌なら、死ねということである。 人々を乗せて走る運転手が判断の失敗で事故を起こし、1人でも殺したら重過失致死罪を問われる。 どれだけたくさんの人を殺すかわからないのに、この責任を、社長もt頭取も政治家も、司法のトップも問われない。これはおかしい。JRの若い運転者は死んで責任を取っても、社長や、その原因を作った政治家は、多額の報酬を得て、のうのうと生きている。 事故の根本的原因を作った人は死刑になっても足らないくらいである。それくらいの責任があることを、社会の規則を変革した人は自覚すべきである。本人が自覚できないなら、社会が制裁すべきである。大勢の人を過度に苦しめるという罪悪を犯した政治家は、たとえ引退しても過去の政治の責任を問われるべきである。 社会の末端にいる運転手や、警察官や、農民や、工員や、行政、司法官は、その業務上の過失を即座に問われて、ブタバコにぶち込まれる。しかし社長や、政治家や、裁判官や、検事は、その過失を問われることはない。 この差別は、おかしい。あなたもおかしいと思っているはずである。 数人を無慈悲に殺して死刑になるのなら、数千人を殺した人は極刑の死刑になるべきである。 裁判制度も、放送制度も、老人対策や保健も年金も、ここ数年の変化は、どこかおかしい。 要するに社会の底辺に居る大多数の人をいじめる方向の、変化なのである。 ある日、陪審員になれという呼び出し状が来る。まともに応じられる人は、比較的社会的地位の高い人だけで、残業しても生活が苦しいような人が、のんびり陪審員などやっていたら、すぐクビになる。自営の人なら、食いっぱぐれる。 ある日、突然にテレビが映らなくなる。対応できるアンテナやチューナーを買い換えるには、膨大なカネがかかるが、どこにもそんなカネはない。 自分は社会の末端にはいない、中流だ、という意識が、このおかしな現実を助長させているのである。 実際には、小生も含めて、社会の9割9分以上の人が貧民であり、末端の人なのである。労働収入や年金を一切あてにせずとも、安泰に食える人だけが、資本主義でいう有産階級、つまり中流なのである。それ以外の人が下層の庶民である。この下層民いじめが大手を振っている。 小泉が作り上げた、おかしな路線。 小泉はもちろん、陪審員制度やデジタル放送を決めた責任者も、極刑にするべきである。 写真はオバケ、なめくじら。