陰謀の白村江 23
やがて唐も新羅も滅亡し、半島の王族は途絶えた。 辰王伝統の隠された意味を察した蘇氏の一門も名を替え、天皇家の外戚に甘んじて生き延びた。 倭人の最後の拠点であった金管加羅(もとの美馬那日本府のあった本国)の王族も、統一新羅と運命を共にして滅びてしまった。 倭人である金海金氏(韓族)は大一族として半島に残り栄えたが、列島に生まれた大和朝廷との過去の関係は途絶えてしまったのである。 死人に口なしで、大和に居座った王権もまた、これ幸いと新羅本国との関係を消しにかかる。その過去を書き換えてわからなくする。口述伝承者の多くも殺される。それで百済系の人々が復権できたのだろう。 天皇家の皇統も、伽耶が持っていた皇統だけでは具合が悪くなる。 但し、たぶん、最近までエチオピアが持っていた世界最古の皇統と同系統であっただろう12国の皇統は、大戦で失われた。辰国の伝統となると、これは古過ぎて、竹簡文書に残っていないし話にもならない。 伽耶に伝わるウラルトウや匈奴時代の伝承を元に、列島での高句麗王権の過去や、新羅や百済、倭国の伝承も加えて、ごった混ぜて書き替え、でっちあげたのであろう。 鳴り物入りで官選史書が編纂されたということは、それを作って意思統一を諮り、701年に国の体制の礎を築いたということである。 同時に庭が築造された。新羅様式でも、百済様式でも、唐様式でもない、須彌山を核に据え、仮山(かさん)を築いて、新しい日本庭園が造られたのである。これらが日本文化そのものの基礎となったのである。