再審
一所懸命、証拠調べをしたが、思い込みに囚われて誤認してしまったというのなら、まだ許せると思う。 無罪の動かしがたい証拠が出ているのに、すぐに再審への道を開かなかったというのはなぜか。DNAの鑑定がどうのこうのという前に、その問題の方が重要である。当時の担当裁判官は、出世したかったのである。 一度判決が確定してしまうと、それを覆すのは容易ではない。先任者の仕事を、あんた間違っていますよ、というに等しい仕事となるからである。 つまり、再審の裁判で裁かれるのは、前の裁判の誤認の事実である。被告の有罪か無罪か、では無い。それを間違ってはいけない。 それにしても、前の裁判官が、自分の誤った判断の罪を裁かれないというのはけったいな話で、これが彼らの特権意識を生んでいる。民主主義ではないのである。 バスや鉄道の運転手も、警察官や自衛官も、業務上過失致死で、かんたんにブタバコ入りとなる。下級の公務員だからである。 しかし、検事や判事は、人を裁く最高級公務員だから業務上過失は無い。 こんなおかしな制度がまかり通っているようでは、法のもとの平等とか、個々人の人権などというものは絵空事にすぎないわけである。人にもともと、高級とか低級は無い。 警察官や自衛隊員が、たとえ公務中といえども誤って市民を撃殺したら、即座にブタバコ入りとなる。 同じように、検事も裁判官も、誤って無実の人を死刑にしたら、ブタバコにぶち込むべきである。民事賠償もさせるべきである。 給与ベースは高く、それだけの危険手当も払われている。 したがって陪審員制度も同様である。あれはド素人が裁判にかかわる事で、冤罪をひき起すかも知れない、実に危険でおかしな制度なのである。即座に廃止すべきである。 小生の兄の一人も、今は退官して久しいが、裁判官だった。 ネット上でその業績を探る限り、死刑を乱発したと、名前の似た某私立大の教授に批判されている記事ばかりが目立つ。 ずっと過去に有名な冤罪事件に再審の道を開いた事実があるはずだが、いくら探しても何処にも出てこない。 関った人も大勢なので当然だろうし、当時、新聞で見たから間違いないはずであるが、再審への道を開いたことよりも、無罪判決を下した裁判官の業績が表に出てくるのは致し方ないことであろう。 ともあれ、多くの救いがたいゴロツキに死刑の引導を渡した兄は立派な仕事をしたと思う。そして過去の裁判の過失を断じて再審の道を開いたことは、もっと尊敬に値すべき勇気ある判断だったと思う。 上司を裁くことにもつながり、多くの裁判官は、それで出世を棒に振る。理不尽で、危険であるが、名誉ある仕事なのである。 いくら賢くても、再審と出世を天秤にかけるようなやからに、裁判をさせてはならない。