モンゴル・ウルス(思吉成汗 義経説 状況証拠考) 15
やがて金も南宋も、そして中央アジアの全域も、モンゴルの国土となる。 彼らは東欧に攻め込み、モスクワ近郊にいた傀儡種族と混血し、ロシア人が生まれる。 ロシアは帝国の徴税人として勢力を広げ、やがてシベリアから東欧にかけての揺ぎ無い地位を確保していく。 ロシア人が伝統的にウクライナや白ロシア人、ポーランド人などから疎まれているのは、彼らがモンゴル・ウルスの下部組織の一部であったからだという。 事実ロシア帝国の皇帝である歴代のツアーリは、モンゴルの白いハーンだと名乗って即位しているのである。一方で、純粋なモンゴル人に対する屈折心理もあるようだ。 そのロシア、ハバロフスクで、古い時代の記念遺構が見つかっているという。 裏受けが取れないのでウソかも知れないのだが、墓所と思えるその遺構には、笹リンドウの浮き彫りがあったといわれている。 ロシア時代ではなくソ連時代の出来事らしいので、意図的に破壊された可能性もある。 当時はソビエト連邦。何かが出て、隠した可能性もある。チェコスロバキア軍の撤退を援護するという名目のシベリア出兵で、大日本帝国の第五師団(広島)が、かって、その近郊まで進駐していたことがあるので、広開土王碑文同然、逆に、彼らの陰謀だと言われるのかも知れない。 ロシア時代になったのだが、ロシア人自らが、自分たちの出自とアイデンチチイを未だ確認できていない。モンゴル帝国の崩壊は、いまだ続いているのである。 私どもも彼らロシア人にも、モンゴル草原に住む一握りの遊牧の民がモンゴルだという思い込みがある。 過去に造り上げられたモンゴル・ウルスの巨大さが見えていないのである。 ***夏の花