粉雪に埋もれて
先日ほぼ50年ぶりで、古い映画を見た。 ブッダという、遠い過去の日本映画である。中村玉緒が若くてかわいかった。 小6のとき見た記憶がある。貧者の一灯という挿話が記憶にあり、記憶とかなり違っていたが、仏教に興味を持つ契機として、再度感動した。 映画そのものは、ブッダと何百年も後の時代を混交した駄作だとは思うが、クシュ族が独特の金の宝冠を被って出てくる風俗には、ただただ感動モノだった。高松塚古墳で出てきたような宝冠と、大勢のクシャトリヤの人々。彼らはモノホンだからだ。 日本人が作った映画だから当然なのだが、バラモンを中心とする現代のインドの人々がサカ族の物語を作ったら、どんなになるのだろう。 日本人のような、チマチマした物語にはならないだろう。 クッシャラの一員であるサカ族は、最早インドには居ない。だが、インドという風土が作るスケールは、日本とはケタが違う。聖者も悪人も、である。 今でも大勢の、階級を無視した出家者たちが、家も地位も捨てて苦行に身を投じている国なのである。バラモンもシュードラもである。聖者なんぞ、ガンジスの流れを辿っていけば、ごまんと出会える。しかも掛け値なしの本物に、である。ガンジーは有名だが、今でもオックスフォード出の聖者だって、居る。 小さな列島に安住の地を見出して、クシュシャラの末裔たちは落ちぶれたのである。 サカ族の雄牛の教えどころか、その母体であるジャイナの教えの片鱗すら、聞く耳をもたない。路上のアリを踏み潰すことなんぞ、何とも思わない。 貧者の一灯は見失われ、消えてしまって久しいのである。 今年も寂しい忘年会で年が終わった。株価はずっこけて、年末は雪の帳で閉じようとしている。部屋の掃除もできないまま、画像が突然消えたり画面がまたたいたり、ぶっ壊れる寸前のデスプレイを前に、すでに冬ごもりである。 ゴボウ以外の夏野菜の顔をロクに見なかったし、とうとう一冊の本も仕上げられず、日の目を見なかった。予定は変更のためにある。来年こそは、と。