i 群の探査(メモランダム)
とりとめのない詩論を書いていて、イメージという日本語の持つ不可解で危険な力を見つけてしまった。それについては27節で披露したいと思っているが、お仲間であるi 群の言葉を、これは欧米の言語の方から探ってみたい。 過去にvirtual, virtu, vision, などといったvi群の言葉の成り立ちに興味を持ち、日本語でもミ群の探査というのをやった。 今回は i群である。image,という英語。そしてin, Ich, ihr, irren, Illusion, Idee。 日本語には i-e, (x)ismがある。 容易にカテゴリー類推が可能なのは、これがアイデンチチイの確立や対象的認識のための権能と繋がりがあるのだろう、ということである。ihr(汝ら)でさえ、i 群の中で呼びかける。 irren,(迷い)も、illusion(幻影)も、Ich(私)が関わって起こることである。 そしてイデーは、ドイツ語でもアイデアや観念と訳されているのが普通である。ギリシャ語のイデアとは基礎から断絶がある、ということである。 image というのは、ドイツ語ではBildとなる。描かれる(形のある)絵や観念のことである。i 群のイデーとは距離を置いている。イデーは故郷を喪失した空虚な思いつきにすぎないが、ビルドは形成された具体形を眼前に持つ「形成されるモノ」なのである。 さて日本語の「家」と、・・・イズムである。 日本語で言う・・・イズムというのは、英語で言うとPrinciples、(原則)となる。主義主張の意味ではないのである。むしろ主体確立済みの自分が見出して持つ、原則の意味である。 日本語では自己を喪失しても原則を貫くことが・・・主義となる。しかし欧米では自己が確立した主体が単に原則を持つことを、語尾変化で示すにすぎない。そもそも個々人が集団でそれに従うような、・・・主義などは、欧米には無いのである。 語尾の動詞で、意味自体がひっくり返ってしまう言語ではないのである。 そしてi-e 。 これは「え」というもとの言葉に、欧米系のi 群の言葉がくっついてできた、言わば主客対象化された結果出来た言葉だと思うのだが、飛躍しすぎだろうか。 実際に家という言葉を思い起こしてほしい。それは住まいの建物(hause)のことを言っているのではないのである。むしろ、主体的私が関わるべき、居場所や価値観や血統のことを言っている。 極めて観念的なことを述べ始めている。まるで心理学用語のi-dである。