タ・フィシカ第4章 (自然な社会規範としての文化)4-59カルト
カルトというのは有機的な組織の堅固な立て組み、ということである。 要するに、倫理・道徳を外部からモノ化対象化して裏返しに見た有様の言葉である。 もともとは、崇拝、礼拝を意味するラテン語 Cultus から派生した儀礼・祭祀などの「宗教的活動を意味する」言葉である。なんと、有職故実なのである。 しかし宗教に特有のものではなくて、科学技術もそのカルトであるし、哲学もまた、特有のカルトであると思う。 カルトは宗教団体という意味ではない、と述べられることが多いが、宗教的活動を意味する限り、個人の活動には留まり得ない集団活動を意味する。まさに「凝り固まった宗教団体の活動」という意味なのである。 むしろ個々人の活動であるCultusが単数化することで表現しているように、堅く構築された宗教的秩序の方を、秩序の立て組みをこそ、言い表している。 個々人の契約が生む崇拝や礼拝はCultusであるが、カルトはその個々人がコンクリートされ、一つに凝縮した集団のことである。 およそ理念を投企し、自動で立て組んでゆく運動は全てそうである。 契約は個人個人のものだが、誓約(うけい)は、かならずカルトなのである。 哲学の場合は、自らの思惟の運動がカルトという悪霊の指導によって執り行われていることを自覚している。したがって、これを取り去っていく、言うなれば自己の堅固な基礎構築された立て組みを潰していく、デカルト的な根気の要る思惟の作業なのである。 今日の社会は、経済学も法学も、そして心理学も社会学も宇宙論も、さらに倫理学や美学まで揃っている。 すべて形而上学という名の堅固なカルトであり、しかもそれがカルトであるという部分や形而上学であるとという部分をも隠して、最前線でキーウィリザティオー思想に基づくスキエンチアの切り取り支配に励んでいる。 目覚しい成果を上げながら、同時に人々をより不幸に、欲望追及に駆り立て、破滅に誘い込んでいる。 口をあけて待っているのはニヒリスムスである。 有機的な組織の堅固な立て組みは、モナドロジーとして近代のテクノロジー技術者の巨人が構想したようには十全に機能していないのである。