10隻の戦艦 10(陸奥)
長門と瓜二つの二番艦として建造された陸奥は、全世界で7隻しかない、ビッグ7という最強クラブの一員だった。 英国のネルソン、ロドニー、米国のコロラド、メリーランド、ウエストバージニア、などと同期なのである。 ワシントン条約では建造中の戦艦は破棄の約束だった。 だから建造中の陸奥も破棄されるべきだった、のだが、査察官を買収して、ごまかした。 これで逆に、英国や米国の同クラスの5隻にも、生き残りの口実を与えてしまったのである。 艦内神社は岩木山神社。巨体を陸奥湾に映して停泊したときは、青森県の県民が、こぞって見学に訪れたという。 長門同様、連合艦隊の象徴的存在であり、温存された。というより、鈍足で使い道がなかった。 というより、使うつもりがなかったようだ。燃料備蓄もロクにないので。 ミッドウエーでは長門同様、あとからノコノコついていっている役だし、第二次ソロモン会戦でも後方、第三次のときも出ていない。 霧島と比叡のかわりに、司令長官自ら長門と大和で出ておれば、40cm級の砲を持つサウスダコタやワシントンとも、互角以上に戦えただろうに、である。 昭和18年6月8日、広島湾沖柱島泊地に停泊中、長門の目の前で突然三番砲塔に大爆発を起こし、一瞬の後、船体が二つに折れて爆沈した。 乗員1,474人のうち助かったのは、わずか353人。 ナゾの爆沈事件と言われ、諸説あって、砲塔部分が引き上げられて判明したミステリーもあり、小説になったり、映画化もされたのだが、原因は未だにわからない。 爆沈事実は隠蔽されて、死者の家族にも給与支給を続けるといったことをやったようだが、口コミですぐに、国民の誰もが、帝国最大の戦闘艦陸奥の喪失を知っていたようである。