ユダヤ人絡みの陰謀 64-6 ノモンハン事変2
事実はたぶん、ソ連側は3万余の日本軍に、全軍で襲い掛かってこれを全滅させた。 次々と増員されてくる5万近い軍も、次々撃破して壊滅させた。 ところが当初に前線に出したソ連戦車部隊はあっさり壊滅、446両配備した作戦部隊の430両を失っているので、事実上の全滅である。 戦車だけの全滅はありえない。歩兵も全滅したのである。 日本側の被害は29両というが、もともと配備がロクにないので、たぶんこれで全滅。 最終的にソ連側は戦車装甲車800両と航空機1464機を失ったらしい。 これを見ると、ほぼ侵攻用に準備した全軍が壊滅も同然の状態だったのだろう。 戦車はBTだけで、大戦中まで5000両近く作られたのだが。 実は日本側も、陸は負けでも航空部隊は勝った勝った、と言っていたらしい。 だが、未帰還兵が多すぎた。 97式戦闘機など、ロクに帰ってこない。 公表されていないが、たぶんこちらも全滅同然。ほかのもいれて221機喪失とあるが、 ウソがいっぱいある、ということ。 97戦の製造数2,079機は、大戦末までの生産なので、たぶん当時は300機もあればいいほう。 1万機作られたゼロ戦なども、大東亜戦争開戦時には300くらいしか、なかった。 双方とも、現地に派遣できる部隊も航空兵力もなくなってしまい、やむおえずというか、喜んで和睦したのではあるまいか。 これはレビの企みで、日本軍への、報復だったのだろうと思う。 ところが逆に、侵攻したソ連軍が壊滅し、あわてた彼らは日露戦争の悪夢が蘇り、和睦せざるを得なかった。 しかもこの戦争は、予定外のものを、多くつれてきた。今度は彼らに。 重装甲のBT戦車でさえも、日本軍のチャチな対戦車砲に至近距離からあっさり打ち抜かれ、火炎瓶の夜襲や竹の先につるしたアンパン地雷で、やられてしまうこともわかった。 彼らの戦車は、外からカギをかけられていたことが大きい原因のようだが。 敵前逃亡防止構造だったために、砲弾を一つくらっただけで、損害が、いたずらに増えた。 被弾や火炎瓶で燃える戦車の中での、自殺者が無数に出たらしい。 一度逃げておいて、ガソリンの火が消えたら、また使えたであろうに。 また、督戦隊が、膨大な数の、逃げてくる味方兵士を射殺したということも大きい。 兵士は血を流すべき奴隷、というソ連側共産主義者たちの思想が、いたずらに損害を大きくした。 督戦隊が不要だったのは、たぶん世界中で日本軍だけである。 日本側も、捕虜を嫌っての無意味な銃剣自殺突撃や、絶望的な包囲下での玉砕が相次いだのだが、この戦訓は生かされていない。 むしろ銃剣自殺突撃が、当時のソ連軍に対してものすごく効果的だったために、賞賛はされても批判はなかった。 ソ連側では、この戦訓から、日本軍の対戦車砲を跳ね返すT34が生まれ、ジューコフの極東軍に優先配備されたし、銃剣対策も考えるようになった。 皮肉にも、これが後に彼らの政治経済体制を救った。 日露不可侵条約で、極東軍が首都に移動することができるようになり、T34を装備して関東軍と対峙していた最精鋭の部隊が大挙移動して、モスクワをナチスの包囲から護ったのである。 不可侵条約を自ら結んできた当の松岡が、今こそ絶好のチャンスだと、悪魔のように、いっしんにシベリア侵攻を説いたが、無駄だった。 しかも日本側は、全滅部隊が多かったこともあって、この戦争からの戦訓を一切学んでいない。 もともと、学ぶ気もなかったのだろうが。 軍中枢は、自分たちの責任を全部タナ上げして、負けた師団長や連隊長に自決を強要した。 すでにフグ毒(ユダヤ人の陰謀を、彼らはこう呼んだ)を食らって、腐りきっていたのである。** さっそく、次の動きがでてきた。というか、これも予定であったらしい。 今後民間企業に就職した若者は、2年契約で自衛隊に送られるらしい。 いやなら、会社やめて餓死せよ。生活保護は受けられんよ。 いくら自衛隊員がやめても、現地で死んでも、兵士不足にはならない。 https://www.youtube.com/watch?v=woOoJylJHMU 非道を暴露する右翼が、今や左翼に見える不思議さ。 【茨城洪水】鬼怒川の堤防決壊って人災だったの?(画像あり)http://gossip1.net/archives/1039652027.html カネの亡者が起こした人災との疑惑も、もう出てきた。【茨城洪水】イッヌ「すまんな」 自衛隊「ええんやで!」(画像あり)http://gossip1.net/archives/1039662135.html