時事短観・真の支配者?
FRBの”十大株主”大公開!”歴史は教えてくれる” あなたはアメリカの真の支配者を知っているか!?http://blog.goo.ne.jp/1shig/e/7899dd0aaa98e0d4d588acb27b1363b9*「・ロスチャイルド一族 ロンドン・ロスチャイルド一族 ベルリン・ラザール・フレール パリ・イスラエル・セイフ イタリア・クーン・ローブ商会 ドイツ・ウォーバーグ家 アムステルダム・ウォーバーグ家 ハンブルク」これにアメリカの・リーマン・ブラザーズ ニューヨーク・ゴールドマン・サックス ニューヨーク・ロックフェラー一族 ニューヨーク で 合計10です これらの金融が世界を仕切っていますアメリカでも中国でもありません」 金融は確かにそうだし、こいつらがヤバイのは間違いない。けど、金融が国際政治をも軍事も、すべて仕切っていると言えるだろうか。カトリックやプロテスタントやイスラム、ユダヤ教など、宗教の力や伝統の権威を無視しすぎでは? それに、偽ユダとユダヤの関係が一切見えてこん。こいつらが全部偽ユダは間違いないにしても。 オイラは、これらの株主は単に他人の生き血を絞る守銭奴で、サンヘドリンではないんじゃあ?、と疑問視している。フリーメーソンを操るイルミナティ、さらに奥の院のサンヘドリンhttps://ameblo.jp/ktaneda/entry-10448068705.html* ??? 読んで、もっとわからんなった。 サンヘドリンは「最高法院」「長老会」などの訳で新約聖書に登場する。 イエスを裁いたのはサンヘドリンである。当時はローマの配下だったが。謎の真相http://asvaghosa.blog.fc2.com/blog-entry-129.html* こちらがもっと偽ユダ問題に踏み込んでいる。しかし、サンヘドリンは闇。世界の真実】 裏NASAとブルービームプロジェクトのお話August 29, 2017 23:30http://check.weblog.to/archives/3530032.html* 闇を追うより、つい、こっちに目が行ってしまう。【報道されないニュース】 天皇家の真相 ※天皇家はユダ族・神道はユダヤ教であるhttp://check.weblog.to/archives/3127903.html* ユダヤ教というのは、ウソ。ユダヤ教ができたんは、ユダ族がバビロンから開放された後なんで。 だが、ユダヤ教より古いユダ族(秦人)の祭祀がまざっているのは、事実だと思う。 また、天皇家が、世間で言われてきたような、また陛下が自らの口から述べられたような、百済系統ではなく、新羅の秦人系統の聖骨から出たものであることは間違いなかろうと、オイラは思っている。日本神話に背のりしたんだろうと。 天豊財重日足姫天皇(アメトヨタカライカシヒタラシヒメノスメラミコト)が自らの手兵として率いてきたのは、新羅人(秦人)や新羅軍ではなかった。 金官加羅や耽羅の新羅海軍の軍船に乗った、日本人と日本軍だった。 百済に攻め込まれて収穫ができず、滅亡寸前だった配下の阿羅人を、種族ごと宝姫が救い出した。 だが、同時に、この天皇が手を引いてきた自分の義理の息子の弟、金多遂は多羅系(百済系)の倭人。今一人、溺愛してたがすぐ死んだタケル王は、金官加羅出の倭人、宝姫の義理の兄、金ユシンの子。 新羅という、ソラボルに拠る秦人の国が、チヌン大帝以降の当時は、倭人系(加羅系)の王族を戴いていたことを知らないまま日本書紀を鵜呑みにすると、コトを見誤る。 そして列島に、倭人とは異なる種族の日本人と日本軍がやってきて背のりしたのは、曽我氏を出した大加羅の漢人や、多羅の百済系人が列島に上陸したのより遅く、この7世紀の時代だと知るべきである。天武天皇の謎 その正体は朝鮮から渡ってきた新羅王!?http://historivia.com/cat4/emperor-tenmu/4549/* 新羅王じゃなくて、渡ってきたのはその弟。まだ小さな子供だった。 朝鮮から、というのもいかん。李氏朝鮮などは、ずっと後の時代の、しかも別の野蛮な種族であって、新羅や百済とは一切無関係。 新羅王金春秋は、日本軍を率いてきた宝姫の、義理の息子なのである。 宝姫は新羅女王の座を捨て、ヒドンに殺されたことにして自ら冥府の旅に下った。 後を託された金春秋と金ユシンが、二人三脚で統一新羅を作り上げた。まるで天智と鎌足のように。 だから強大な超大国となった統一新羅王国はその後、宝姫の手で列島にできた、新興の大和朝廷に臣従したのである。 天皇というのも、唐帝国で、この時代に初めてできてた、流行もの。 鎌足は架空の人だが、天智天皇は実在した。(たぶん、新羅王(春秋の息子)より人望も権力もあったという金ユシン、その人だろう)。 だが、葛城の皇子と呼ばれた彼は、一度も列島には足を踏みいれていない。大津京で政務を執ることはなく、高句麗征伐で新羅軍を率いて飛び回っていた。 山科に造営された、お墓にも入っていない。 金春秋の弟、多遂は、吉野を地盤に、大津にやってきた金ユシンの二人目の息子を殺し、列島での実権を握った。 それが壬申の乱である。 多遂に従った日本人と日本軍は、彼らに先行する大勢の倭人たちや百済人、唐帝国人、秦人をも押さえ込んで、主人筋となった。 唐帝国の軍人と密議したその陰謀の書が、日本書紀である。多遂の名も、その中に隠されて記述されている。これはしかも、唐人が書いたことまで、わかっているようだ。