蛇足・科学技術 10
やってきたのはニヒリスムスの時代。形而上学である心理学が言うサイコパスたちの時代、かもしれん。 光る硬い抒情、と一般に表現される、この現代詩が「目指す抒情の地平」は、大勢の詩人たちを悩ました。 オイラは食えない哲学に走り、ミュウズから破門された。 エンターテイメンターである詩人が(共有)社会の風潮に逆らっていては、日干しにされるのがオチ。 長いものには巻かれろで、やがてみんな迎合してしまった。というより、迎合しなかった人は悩んだあげく、日干しにされて死んだ。朔太郎も、賢治も、トラークルも死んだ。 かくして無責任時代が来たのである。多様性の時代だと、誤魔化す人も多いが。 哲学は殺され、詩人も殺され、詩(ポイエシス)は、その抒情を変質させた。 科学技術は、過去の心構えでクラス立てられた技術である自分を偽装して、未来科学だと主張して生き延びた。今や、詐欺やらねば、誰も生き延びられない。宗教も、ありもせん未来志向のマトリクスに大衆を呼び込む、予定原理カルトと化した。 そのため今は、哲学をやろうとすると、今度は科学技術からも、ミュウズからも、宗教界からも追放される事態となるのが普通。 相互関係が見えなくなり、疑心暗鬼で、すっかり共有の場が崩れてしまっているからである。 オイラの大学の先生は、このことまで気がついていたのだろう。哲学論文のかわりに、下手な詩を書いて反抗していた。 ニヒリスムスの時代に迎合しないということは、追放の憂き目に会うということ。 これはヘーゲル研究をしてたオイラの友人も、言ってた。これに気がついたので追放の憂き目にはあわなかったが、過労死同然に、学内で殺された。 抒情は感情の流浪である。だから、その見えるクラス(型枠)には、ポイエシス(出ー来)の隠れた理由があるのである。感情ー出ー来の、理由がある。 その理由は、理詰めの硬い構造モノではなくて、リリスの狂気やデオニソスの酒乱、オルフェウスの破綻なのである。 出来の悪いオルガンの、存在理由、ということ。 これをムリに逆立ちさせて、予定勘定に迎合させられたら、酒乱も断酒で生きながら死ぬしかない。 できんやつは死ね、というわけ。 この問題は、日本のような全体主義組織社会特有のもので、民主主義は逆の理念だと、個人主義だ、と思い込んでいる人が多い。 だが、これを茶化した、ハイデガーのファスケース論議があるので、紹介したい。 ローマ帝国(初期には共和国)を支えていたのは、市民法である。そこに明記された兵士一人ひとりの、命の権利と権限の保障と、その義務の自覚。 宿敵カルタゴの、ハンニバアルの包囲猛攻から最後の砦を守りきったのも、大人がほとんど、アフリカ人やヒスパニア人、ガリア人、イタリキ人といった野蛮人傭兵に倒されて、いなくなって、最後に徴兵された若すぎる兵士たち。彼らの、痛みと血だった。 その法というのが、目に見える形で、軍団の指揮官に託されたのが、ファスケース。 力の托生(たくしょう=そんたく?)である1本のワラ、を集めたもの。 このファスケースは指揮官が、法に基づいて共和国から預託され、軍団を統率する。 これがファッシズム制度である。のちには皇帝から、に変わるが。 1票の重みが、軍団の力となる、のは同じ。 民主主義と、どこがちがうのでしょう? 抒情の質が、目的感情の勘定が、違うのです。