新・ユダヤ人 2-4-4 バビロン開放後2
選民思想と一神教を持つ、奴隷業者・金融業の人々が、イエスの時代に自分たちの国を作っていたらしい。 それは、パレスチナの地?。 これすら明確でないのだ。 バビロンから開放後、「42,462人のユダヤ人がペルシア領となったイスラエルの地に帰還し、サマリア地方にサトラップ(総督)が置かれた。 」と言う。 だが、コレ、ほんと? ウソだと思う。 ユダヤ教を持つユダヤ人なんか未だ、世界のどこにも、「ただの一人もいない」のに。 だから、この記述は、ハッキリとウソだとわかる。 サマリア人は、思い出していただきたい。 その昔、アッシリアが派遣した奴隷人種である。 そもそも庶民階級というのは100%、ユダヤ教を持つユダヤ人、ではない、のである。 ユダヤ教も、まだできてないのだから、ユダヤ人なんて、この時代には、ほんとうは、ただの1人も、いない。 紀元前515年頃に、アケメネス朝廷に取り入って、ゼルバベルという人がエルサレムに第2神殿を建設した、というのは、案外事実かもしれない。 ユダヤ教の神殿建てた、んじゃなくて、宗教的な集まりができるように、神殿を建てた。 ネヘミヤという人が(ユダヤ)総督に任命されてエルサレムを修復し、「紀元前458年に預言者エズラの指導のもとで2度目の集団帰還が行われた。」というのも、ありうること。 ()内は怪しいが。ユダヤ人は居ないので。 しかもそこに移住した主人は、ほんとにユダ族なんだろうか? ユダ族の領主様連中が何人か、「自分たちの奴隷や配下の種族を大勢連れて」、赴任した。 それだけじゃないの? しかもパレスチナの地には、大勢の非ユダ族が、「すでに入り込んで住んでいた」。 庶民はすべて、非ユダ族なのである。 王族ももちろん、未だ、ユダヤ人ではないのである。 契約宗教なんてのを、この時代には持ってないのだから。 サマリアにいた庶民はもちろんイスラエル人ではなく、アッシリアのもと奴隷たちである。 パレスチナにずっといたパレスチナ人庶民の方は、奴隷に落ちていたペレセト人などという認識の人が多いみたいだ。 このペレセト、ペリシテ、がパレスチナの語源。 それは間違いないにしても、ペレセトは海の民の奴隷として、ユダ族となって消えた種族。 つまり庶民のパレスチナ人は、武人階級のペレセトなんぞじゃなくて、後に入り込んだもっと別の種族なんである。 先に述べたように、ペレセトというのは武士階級である。 エジプトで奴隷に落ちた人々。 彼らの子が、むしろユダ族となった。 パレスチナ人が、ここでも、奴隷として連れてこられた人に摩り替えられ、入れ替わってるわけである。 ベニヤミン族はハッチ時代からこの界隈にいて、ベネ・イアミナ族と呼ばれていた、やはり武人種族の御領主様だが、ここへ帰還した事実などは無い。 実は、ユダ族の赴任先は、ここエルサレムに限らんのである。 それどころか。 ユダ臭い連中が、国の中枢に納まっていた雰囲気は、このパルサワ世界の随所に見られる。 すでにバビロンに虜囚の頃から重用されてた、ダニエルのようなユダ族もいた。 という事実もある。 ダニエル書は、後世に書かれた偽書の可能性もあるが、アラム語で書かれた部分は昔のだろう。 陰謀書でなければ。 エルサレムは、パルサワ人たち「アケメネス朝廷の」前哨基地の一つである。 忠実なユダ族を利用した。 彼らユダ族は領主、主人筋。 ユダ族のほうは、上司のパルサワ人を上手に利用して「世界に雄飛した」のである。 民族や宗教でまとまり、父祖の地に帰還する、などという認識は、皆目なかったはず。 そういった記述の部分は、すべて現代のユダヤ人学者たちの、思い入れ(いや、陰謀)にすぎんと思う。 聖書に書いてある? 聖書って、いつ出来たの? ユダ族の領主が赴任して、1千年後でしょ?