聖アウグスチヌス 神の恩寵と鍵4ー2 ドラゴン
聖アウグスチヌスの尽力で、普遍宗教カトリックの骨格はできた。 それは修道院の清貧な暮らしと厳しい戒律に基づくもの。 修行を重ねて得られる、共有カルトのはずだった。 へりくだった官吏が、その宗教を運営し、それでもって帝国の共有組織骨格を維持する。 しかしそのカルト組織カトリックが、すぐに、悪魔に捕まってしまったのである。 なぜかあっというまに、征服して得する、の対象が、古代ギリシャ語から受け継いだ三つ目の怪物ドラゴンとなってしまったのが、その証拠。 徳が利益になった。 竜は、ラテン語ではドラコ、となる。 今流行のドラコニアン宇宙人の、前身だ。 これはe-din(家ー光り輝く)でアダムを誘惑する蛇(サーペント)のこと。 自然の力を象徴する、大地のスピリッツ、だとする説もある。 竜殺しの騎士聖ゲオルギオスを迫害した、ダディアヌスという名の統治者をも指すという説もあるそうだ。 ドラコは、derkomai「(はっきりと)見える」の意)からの派生語であるらしい。 三つ目を持って特権を得たドラコたち。 彼ら宇宙人が、修行カルトを迫害したのか?。 いいや、聖職者たちまでが三つ目探しに熱心だった、だけだろ。 それ(三つ目という賢者の石)を得るために悪魔に魂を売り、堕落してしまったのだ。 この典型は現代のナチスに代表され、普通に見られる。 積極的キリスト教や、わが国の731部隊が見せてくれる、優生学という思想なのだ。 別名、疫学予防接種思想ともいう。 ギリシャのピュートーン、ラードーン、テューポーン、オピーオーンといった竜は、未だ鋭い目で注視する」見守り、であった。 つまり、多神教特有の、みつめ、だった。 オイラがよく取り上げるウロボロスなども、この竜の眷属。 それに対し、キリスト教世界に代表される一神教の竜は違う。 常に、特権者としてのドラコなのだ。 三つ目を持つ、支配者階級となってしまうのである。 聖アウグスチヌスの普遍宗教は、みつめとともにある。 だが、カトリックとして生まれたキリスト教は、その一神教ゆえの何かで。 最初から、この三つ目的性格を持つのだ。 さらに粗野な下層民たちのミスラ教の影響もあって。 三つ目の力を組織力で勝ち取り、支配体制を堅固にしようという、竜殺し騎士の優生学思想が生まれたのだ。 彼らは三つ目に、極めて敏感だったと言える。 奴隷制度で自然をも名詞にし。 つまり対象化認識して、三つ目を探した。 ギリシャの自然学者の中にすでに、その萌芽が見られるが、それを真理宗教にして徹底化させた。 聖アウグスチヌスの、共有普遍宗教は、どこかで、見つめのドラゴンではなくなったのだ。 三つ目特権の、ドラコとなった。 グノーシス定義問題やマニ教との関係を隠蔽する体質が、そうさせた。 かくしてドラゴンスレイヤー(竜殺し)の騎士が、キリスト教の聖人となったのである。 優生学から見て、宇宙論的悪すなわちカオス(混沌)であるもの。 それをコスモス(秩序)へと変えること。 未知の素材を切り取り、純粋化して対象認識し、再現素材として使う。 スキエンチアの力で環境を変える、という思想となった。 形而上学の成立で科学技術が生まれて、なおかつその根源を錬金術というユダヤ魔術で隠す情報操作、なのだ。 つまり科学技術とキリスト教(的ユダヤ史観)が基礎になっているのは間違いない。 聖アウグスチヌスの、みつめ、ではないのだ。 これらは共有物に対する史観として、同じこと、の表現なのである。 つまり、科学技術とキリスト教は、へりくだるユダヤ人がつなげているのだが。 そのつながりの根は、ドラゴンスレイヤーにあるのである。 享有のみつめが共有になる。 そのことに使った史観が、なぜ三つ目を生むのか、検討が必要だろう。