唐突に記憶
記憶は過去から、唐突にやってくる。 マトリクス世界の、外側の記憶のような。 おぼろげであっても、確信的なものである。 記憶によって見通す。 その主体のものが、三つ目特権ではなく、どこからか来る「見つめ」だからだ。 記憶によって見ている、んではなくて。 記憶のほうが、見ている本人、なのである。 感性のこさえた記憶のほうが。 つまりオレという知性が判断してるんじゃなくて、 知性で判断して、その結果オレがいる。 これが、エゴ コギト エルゴ スム だ。 そのエゴという主語が、記憶の同義反復なのだ。 それもマトリクス世界のものではなくて、外側の記憶のような。 うすっぺらい知性が見ているんではなくて。 重厚で感性的な記憶が見ている。 知性を使って見比べて、その差異と同一性を確認している。 時間・空間は、だから世界を形成する、わき役だとか素材とかじゃなくて 感性的にみる、ための主人公。 時間的、空間的にみるんじゃなくて 時間・空間が、その空っぽの隙間が、見る主人なのだ。 これが、エクスタシーを超越した、無知の知のありか、だ。 統覚的な三つ目に囚われると、絶対に出会えない貧者の灯。 この記憶は、おぼろげであっても、確信的なものである。