マナーマスクの倫理観
「マスクはマナーとか言ってる人 馬鹿じゃないですか」。というのあった。いいえ、むしろカシコイ人に多い。学や権力ある人たちによるお金目当てのコマーシャルが酷いので。庶民の倫理観も狂ってきただけ。予防接種で、人が持ってるはずの自然免疫が狂気に陥る、それと同じ。権力とは、家畜を囲い込むオカネ特権のこと。それ信じて這い上がろうとあがいてる羊たちの、狂わせられた倫理は。特権を万人で共有できる、と思い込み始めてる。倫理というのは、道徳みたいな「万人向けのお題目」じゃない。私個人にだけ有効に、頭の中でコッソリ囁くもの。学や権力ある人たちにこれがわかってないので。特に、倫理社会という道徳否定のへんな戦後教育で、ぐちゃぐちゃになった。上昇志向の人たちはこれを、他人に有効に使えるんだと思い込み始めてる。グラフェン仕込んで、神経中枢に直接吹き込めるんだと思っている。金儲けに使える。だから、「マスクはマナー」なんていう、へんな主張になる。これは自分にだけ言い聞かせるべき、自分のための言葉なのに。他人へ、特許権益を主張してしまう。マナーは、道徳みたいに記述できる規制だ。でも、実際の暴力は持たないのに、持たそうとする。公共の理念なんかではないものを、社会通念として押し付ける。自分だけへの、暗黙の了解の力、倫理がモトだから無理なんだが。つまり、羊さんの頭に、ムリヤリ書き込まれた道徳なんだが。その人個人のこころに道徳を訴えかけて。これを倫理的に作用させようと図る人がいる。生命の規則で、自分が訴えかけられてるだけなのに。公共に対し、その制約を転嫁しようとするへんな人も出る。倫理と道徳の違いがわからない、サイコパスたちの特徴を示している。現代辞書はサイコパスが編纂してます。特に一神教徒金満家のサイコパスたちが酷い。自分ヌキにして、唯一神絶対で。この規則を万人に適用したいんだそうだ。多神教徒庶民の倫理観も、お金に釣られて狂ってきている。