ユダヤ人 レビ
ネットの検索機能が、なんかおかしげなものとなり、最近ウイキも変わった。 その、以前は頼りとなっていたウイキを利用し、再度、ユダヤ人像を描いてみたい。 最近、なんかへんな動きが感じられるからだ。 「日本人とユダヤ人が同祖だ」といった。 オイラ、この動きに危惧を感じている。 宗教種族で、新しい種族ユダヤ人と、言語と血筋部族の超古い日本人を同列で論じる。 このこと自体が、「いかがわしい」、のだが。 日本人のD遺伝子と、ユダヤ人のE遺伝子といった、へんな捉え方を示そうとするものも数多くある。 カナン人やユダ族に、Dから古い時代に分かれたヤップ遺伝子の人が加わっているのは、彼らがウル出のシュメールの末裔と考えれば、当然なのだが。 それは、のちの時代の宗教種族のユダヤを考えることとは全く無関係。 当時のアラム人を考えれば、済むことのはず。 ところが、そうせずに、ユダヤを出してくる。 これは、まったく別の対象選定と捉え方で、別の隠した目的がある。 特に、全貌を見せないウソ統計技法のようなものなのだ。 問題をややこしくさせ、見えなくさせ、狙いに誘導する。 ユダヤ人は、そんな血筋での捉え方ができない種族。 人工の、宗教かつ陰謀的な種族だ、ということを、そのハシリの種族、レビを描くことで、示したい。 彼らユダヤ人の居住範囲も今は広くて、そもそも血筋の検討など、できっこないのだ。 そのことを脳裏で明確にするためにも、ハシリの時代のユダヤ人像を、まず描いてみたいと思うわけだ。 ここで描きたいのは、歴史から消えて見えないアラムなどではない。 見えにくいレビ族についてである。 まとめると、ウイキは、こういっている。 まるで血筋の伝統が生きているかのように。 「ユダヤ人とは、親から受け継いだ宗教信者のこと。イスラエル民族のみを指した。イスラエル民族のひとつユダ族がイスラエルの王の家系だったことからだ。ユダヤ教という名称は、ユダヤ教徒の多く信仰してた宗教のこと。」 これ全部、ウソです。全部。 レビ族のみならず、すべてのユダヤ人に、この定義は当てはまりません。 対象にしたい今日のユダヤ人概念というのは、正しく言うならこうなると思う。 「ユダヤ人は、シナゴーグに通い、タルムードと宗教指導のレビを持つ。唯一の神に選ばれしことを自覚している民集団の自称」。 あくまで共有集団の、「自称」。 他称享有のjew血筋じゃないのである。 本気の信者かどうかも、本人申告なので、まったく不明なんだが。 イスラエル民族の血筋、などに至っては、そこと全くの「無関係」となる。 無関係どころか、本当は無いかも知れなくなる。 血筋ならアラム人を考えれば、済むことだからだ。 しかし西洋史は、聖書でユダヤを選んだ。 なので、アラムの痕跡を消すこととなった。 アラムは聖書ではワキ役で、ちょろっとだけ出てくる。 遺伝子がおおっぴらに出てきて、大さわぎしてるが。 イスラエルの王ダビデもソロモンも、実在してたかどうかは、実は不明。 無関係なんでかどうかは知らんが。 ダビデは、シュメール語の軍司令官の意。 ダビドウム、のこと。 シュメールでは征夷大将軍にあたる、エンシが務めるのが普通だった。 むりやり王や主人とみなされるエンが務めたのではない。 ソロモンは、名前などの状況証拠が、いろんな地域に残ってるので、ほんとに居たのだろうと思える。 でもユダ族が、イスラエルの王の家系だったその証拠なんか、ないのである。 アークも一切、残されてないからだ。 列島では山のように出てくるのに? ダビデがユダ族の王で、ソロモンの母は、寝取ったハッチ族だと旧約聖書は言う。 が、これはキリスト教の聖書に、そう書いてある、というだけの話なのである。 アラムの痕跡は消えていて、見えてないのだ。 オイラ読めないが、ユダヤ教の聖書にも、ユダヤと書いてあるんだろうか? 旧約聖書がユダヤ教の聖書、ではない、ので、これは間違わんように。 ユダヤ教聖書には、オイラたち異教徒は、近づけないというのが正しい。 そもそもユダヤ教という名称は、ユダヤ教徒の持つ宗教だから、という他称ではないのである。 選ばれし民が、キリスト教徒から自分たちを区別して、自分たちの宗教を指して言う「自称」のこと。 キリスト教徒は、自分たち以外の宗教は一切認めていないのだから、彼らとしては自称するしかないのだ。 ユダヤ教徒の宗教のことを、ユダヤ教とよぶのは。 彼らユダヤ人の、「自称」。 宗教教義は門外不出、らしいので、他者には一切、わからんはずなのである。 毎日のお祈りに使ってたシュルハン・アルーフみたいに、漏れ出てしまって騒ぎになったモンもあるんだが。 ウソは実は、ユダヤ人の周辺について回る普遍のできごと。 多数派の世間常識にも、ひろく、ひろまっている。 ユダヤ人のウソ、と、西欧では、いつの時代にも常に言われ続けてきた。 最近、このユダヤ人を自称する人々が、世界中で指導的地位についていることが、これまた広く、世の中のオイラたち下層民にも知られてきて。 彼ら支配者のウソにも、磨きがかかってきた。 そう、現代世界を牛耳っていて、随所でへんなかじ取りしてる。 それは、ユダヤ人なのだ。 日本も、ついに世界と同様様となった。 日銀も財閥もメジャーも大学も、ことごとくユダヤ人。 政治家、学者や教師、金満家、芸術家、あらゆる組織の幹部たち、国家の貴族たち。 この支配者たちはしかし、札付きの、ウソつきだと呼ばれている人たちなのである。 実は日本人も、世界有数のウソつき人種と、外国では呼ばれているんだが。 ウソに根本の違いがある。 ユダヤ人のウソは、他者大衆を騙すウソ。 日本人のウソは、自分自身に向けられたウソ。 世界の基準で言えば、日本人のウソのほうがずっと罪深いらしい。 おおっぴらに自分の信仰を騙しているわけだから、許しがたいんだ、と。 このウソが重なってきて。 ユダヤというウソが、「アラムという日本人の血筋を」ウソで覆い隠す役割を果たしてきている。 そのことに、薄々、気がついた。 これは専門家ほど、ひどいのである。 彼らには、アラムが全く見えてない。 そのことに気が付いて、はじめてわかった。 「」を述べても、誰も、何のことか理解できない。 トンデモ論に付き合うほど暇じゃない。 そんな状況になってしまっているのだ。 理解できなくしてしまっている、このウソをひっぺがす必要がある。 アラムの本拠地ビバイナに至っては、宿敵のアッシリア読みに頼るしかない始末なのだ。 「ウラルトゥ」というのが、それなんだが。 メジャーな歴史には普通、登場しない。 この世間的にマイナーな帝国名も、じつはアッシリア語。 世界帝国アッシリアに、正面から立ちふさがってた巨大帝国の名なのだ。 初代の女装した征夷大将軍の名が、アラム。(自称はアラメア、太陽の女神) 混血の小さな種族だが、自分たちのことを、彼らはアラ人と呼んだ。 このアラ人の持つアラ旗、つまり阿羅の持つイシンの軍旗である旭日旗の痕跡を消すために、ユダヤというウソが使われているのだ。 これらのウソを振り切るためにも、まず。 「古代イスラエル国」、 「ユダ国」、 「ユダヤの王」、 この、三つの概念を、きっちり分けて、押さえておきたい。 これが、ウソが積み重なって途方もなくややこしいユダヤ人理解のための、第一歩となるはずだ。 ユダヤ人と、この三つの概念は、「まったくの別物」なのだからである。 知れば違いが、わかってくるはず。 1、古代イスラエル国というのは、 ダビデ、ソロモンの、12支族の帝国のこと。 だが、実在の証拠は、「ない」のである。 一切ない。 旧約聖書に書いてあるだけで、物的証拠皆無。 エルサレム神殿というものの礎石すら、イスラムのものである。 イスラムは、その歴史をキリスト教の聖書に奪われかけたとも言える。 礎石は一切、表には出てこない。 2、ユダ国というのは、 カナン地方にあったとされる、古代の王国名。 アッシリアの外圧で、古代イスラエル帝国から分離独立した、ユダ族、ベニヤミン族の国だ、とされている。 だがこちらも、アッシリア従属国であったらしいこと以外は、ほとんど不明。 というのが正しい。 但し、のちにこの国が、宗主国アッシリアなきあとバビロンに攻め滅ぼされた。 それは若干事実味があるのである。 他国のバビロンに、資料がいっぱい残ったからだ。 初期ユダヤ人のアイデンチチイも、このバビロンで生まれた、とされている。 だが、これはかなり怪しいのである。 恣意的に、その傾向の文書ばかり拾えばそうなるかもしれん、という程度。 旧約聖書に出てくる人物なども、バビロンの高級官吏であった人物などが、でてくるのだ。 ほんとうに虜囚だったのか、疑わしいほどなのである。 ここバビロンで生まれたのは、無数の道徳や宗教的文書類であって。 まちまちなもの。 それも、バビロン文化特有の、一神教か多神教かもわからんようなもの、なのである。 これをミシュナー群と呼ぶ。 エルサレムやアッシリアの一神教の教義、では断じて、ない。 このことを覚えておいていただきたい。 バビロン文化のもの、なのである。 なのに、タルムードがここで出来たとするのがユダヤ史観なのである。 3、ユダヤの王 ずっとのちのローマ帝国の時代に、このバビロン虜囚者の血筋だと名乗る、カナン地方の王がいた。 これは確かなものなのである?。 ユダ族を名乗るエルサレムの支配者は、確かに、いた。 但し、ユダヤ人たちの王、ではないし。 ユダヤ地方の王、でもない。 つまりユダヤの王というのは、民のいないユダ族の王という意味になってしまう。 実在したのは確実で、ローマ帝国に資料がいっぱい。 で、それは、ただ一人の混血ユダ族のヘロデ大王だった。 ユダヤ人の王かというと、「ユダヤ人なんていう概念自体が、まだ、ない」。 ユダヤ地方というのも当然同じで、「まだ、ない」。 カナンとか、もっと小地域のガリラヤとかいう。 ユダヤというそれが、この後作られていく。 目新しい概念なのだ。 ユダヤという概念が、紀元0年頃には、なかったものなのである。 あった、と書いてあるのは旧約聖書のみなのだ。 ヘロデ王は、近隣のユダ族の血筋のものを、ことごとく危険視し、誅殺した。 そのことがわかってきている。 長子だけを殺そうとしたんではなくて。 ユダの血筋の(王族の)男を全部、皆殺しにした。 ユダの血筋のみんなは、つまり武を尊ぶ遊牧の民は、逃げ足も速い。 当然、みんな一目散で砂漠に逃げた。 だから、カナン地域には彼以外、ただの一人のユダ族も、いなかった。 あとは多民族のカナン人か、サマリア人の奴隷ばかり。 実は、アラムも少数いたらしいのだが。 歴史から消された。 ローマ帝国の領土となったこの地域に、遊牧の民が戻った時期は、ずっとずっとのちの時代なのである。 それは十字軍の時代になってからだ。 この三つを押さえた上で、「ユダヤ教徒の宗教」という代物を見てみたい。 ユダヤ人を成立せしめる最初の要因は。 それはどこで見つかるか。 シナゴーグ(らしきもの)がたてられ、最初のユダヤ教徒の宗教らしきものが出てくる時代がある。 その時代は、バビロンではない。 ずっとずっと後の時代の、ローマ帝国、それも後期なのである。 実は、キリスト教がローマ帝国で国教となった、そのあとの時代、なのである。 だから聖書が描いた常識とは、ここであっさり、手を振ってお別れしておきたい。 ユダヤ教からキリスト教が出てきたのではなく。 キリスト教がローマ帝国の国教として成立するとき、同時に、ユダヤ教の教義もできた。 そう考えるべきではあるまいか。 つまりユダヤ教は、キリスト教より、ずっとあとの時代になって生まれたのでは?。 じつはオイラ、キリスト教は、キリスト生誕よりもっともっと古いんではという疑問をずっとあたためていて。 その疑問とも抵触してくる。 古いキリスト教から、新契約のキリスト教が分離したのは、ほぼ間違いおまへん。 そのとき、運命的に、必然的に、できた副産物モノではないのかと。 ユダヤ教という概念が出てくるのは、キリスト教の新旧聖書の成立より前の時代では断じて、ないのだ。 後の時代。 そもそも旧聖書がもともとあって、あとから新契約ができた、んじゃおまへん。 コレに勝手に自分で騙される人が多いんだが。 神との新旧契約は、同時に、できた。 ローマ帝国において、それを国教にするさいに、新旧同時に、契約として成立した。 そのとき、ユダヤ教聖典も同時に出来たんではあるまいか、と考えるのだ。 ローマから遠く離れたオリエントの中心地、バビロンで出土する文書を、ミシュナーといううのだが。 これも、聖書みたいな特定の宗教教義書ではない、のである。 道徳書等や詩歌、いろんなプロパガンダ文書、ともいうべきもの。 いろんな。 歴史記述や伝承も、まとまりはなく、まちまちのものだ。 こういう、いわゆる「聖書」、なるものが、オリエント各地には、いっぱいあった。 それが突然、官選のもの以外は焚書に会って消える時代が来る。 受難の時代が来るのだ。 国選教科書ができた、みたいなもん。 その時、歴史の多くも埋もれた。 しかしその受難の時代に、ユダヤ教と言える、宗教らしきものが、でてくるんでは?。 ローマ帝国では、そうなっていくんでは?。 シナゴーグらしきものがでてくる。 それも、キリスト教の新旧聖書が編纂されて以降の、かなりのちの時代になって。 あたかも、新旧契約が導き出したかのように、でてくる。 紀元では、200年頃のあたりだ。 ハシリはもう少しと古いのだろうが、キリスト教同様に、その古さを証拠づけるものはないのだろうか?。 古いキリスト教なら、アッシリア方面での、血生臭い皮むき伝統と一神教の歴史が、太古からあったとわかっている。 その後、文化の中心地バビロンで、今のキリスト説話も、できる。 キリスト説話は、ローマ帝国で新旧の契約ができる、一つ前の時代のものだ。 しかし聖書は未だ、ない、のである。 マニ教というのが、バビロンで興った。 それは近隣地域に一世を風靡した。 キリスト説話も、そのとき生まれた。 これはもちろん、キリスト生誕い以降の話だ。 しかしユダヤ教の当時の文書モノは、バビロンには一切残ってない。 だから、もっと後のローマが、ハシリだろうと思うわけだ。 聖書と名のつくものは逆に、各地に、いっぱいある。 溢れてたミシュナーだが。 中身は、まちまちの道徳書や歴史書。 一貫性なく相互に一致しないらしい。 古いユダヤ教からキリスト教が生まれたとされる、それが常識なのだが。 この常識も、バビロンでの、別の宗教教義、マニ教義の一部なのだ。 それが、イエス・キリスト説話、なのである。 アラム人の歴史を消した元凶ともなったもの。 しかしイエスの実在を示す証拠は、これもまた。 何もないのである。 この説話を広めたマニ教は、ローマ帝国領土へも広く普及していった。 修道院政治を確立し、カトリックの屋台骨を築いたと言われる聖アウグスチヌスなども、もともとマニ教を深く信仰する修辞学者だった。 古い紀元前後の文書が、ぜんぜん見つかってないわけではない。 死海文書というものが、カナン地域で発掘されて、でてきた。 だがその中身は、キリスト教徒にもユダヤ教徒にも、期待外れのものだったようだ。 中身はロクに公表もされてないし。 ヘブライ文字といった、ありえない偽文書ばかりが喧伝される。 紀元0年当時、口語のヘブライ文字を書けるのはヘロデ王しかいないわけなのに、へんなの、と思わないようだ。 キリスト生誕頃のカナン地方の文献であれば、すべてギリシャ語かアラム語のはずなのである。 口語のヘブライ語も、紀元後は、ユダ族の離散を裏づけるかのように消えてゆく。 だからユダ族の離散は真実味を帯びる。 ポグロムじゃおまへんよ。 しかも「ユダ族はユダヤではない」のである。 そして文語のヘブライ語なんて、ずっと後の時代のもの。 200年頃を境に、ローマ帝国の官選史書、宗教図書が出た。 新旧約のキリスト教聖書が、公的機関によって編纂され。 世に出たのである。 これは、ほぼ間違いおまへん。 ローマ帝国内にアラム人はすでにおらず。 カナン地域にはユダヤ人がいたことになった。 たぶん、最古のものはギリシャ語である。 ラテン語が洗練されてくるのは、もっとずっとあとの時代。 文語体の、ヘブライ語文書が出てくるのも、この時代以降、のことだ。 聖書と同時に、ユダヤ人に関する、王族相手の黄表紙めいた半娯楽のプロパガンダ文書も出回ったのだ。 特にそれが、カナン地域で反乱が相次ぎ、従軍した王族も多かったので、人気が出た。 文書が読める、なんてのは、日本と違って王族だけだが。 ここにユダヤ史観が、実に感動的に提示されていたのだ。 ユダヤ史観は、当時から根強い人気があったらしい。 カナン地域の反体制文書としてローマ帝国内に広く出回り、ローマ人王族には好意的に受け入れられ。 大いに読まれた。 その、日本風に言うなら黄表紙にあたる文書が、ヨセフス本なのである。 著者はユダヤ人を名乗っている。 しかしこれは、ウソやろ、と思うしかない?。 最初の、偽ユダヤ人登場なのである、と思う次第。 当時のカナンには、未だユダヤ人は、いない、はずだからだ。 しかも、当時のカナンの知識人なら必ず、アラム語を使うはず。 ヘロデ王の死で、その後帰ってきた人もいたかもしれないが。 本物のユダ族なら、文語体のあるアラム語で書く。 そんなもの残ってない。 文語体のヘブライ語がボツボツ出てくるのは、もっともっと、ずっとずっとあとの時代なのである。 ローマ帝国第10軍団に攻められてのマサダの玉砕なども、扱いが、おかしい。 カナン人の反乱があったのは間違いないだろうが。 玉砕者はいただろうが、ユダ族ではないし。 アラム系の、生き残り武人連中のはずなのだ。 それをユダやベニヤミンだとして、アラムを重ねて消して、ユダヤにした。 煽情的に描いてあるのだ。 アラビアには、ユダやベニヤミンの血筋の人なら、いっぱい、いただろう。 だが、当時の警備厳重なローマ帝国領内に、彼らがいたはずはない。 それに彼らはそもそも、アラム語を使っていたのだ。 ローマ人王族は、征服地の学術言語ギリシャ語を使っていた。 ところが自称ユダヤ人、つまり偽のユダヤ人が、当時からローマ帝国内には大勢いたではないか。 文語体ヘブライ語を持たずとも。 それは事実。 当然、彼らはユダ族ではないのである。 これが、レビ族。 イスラエル12部族に、しかし、そんな名の連中はいない。 聖書にも出て来ようがない、はず。 なのに出てくる。 だから「偽物」と、ハッキリわかるのである。 現実にいたのはまちがいないのに、偽者。 彼らはローマ帝国の王族なのである。 スカウト者を中心に、帝国の高級官僚として採用された異教徒の人たちだからだ。 ユダヤ人の教導種族であるとされる、つくられた文人種族のことだ。 レビ族は、キリスト教徒ではない。 当初から異教徒として、仕立てられた種族。 但し、同じ一神教徒として帝国に正式採用された。 選ばれし者たちなのだ。 軍需品、金融、教育、学術、そして奴隷家業などを担わされた、小領主階級なのである。 殿様階級というべきだろう。 彼らレビ族が、科学技術の黎明期を担った、ローマ帝国のエリートの人々なのである。 キリスト教徒に惨殺されたとされるアレクサンドリアの女学頭アパメイアなども有名。 ファラッシャの血筋だろうとする意見が多いが、違うと思う。 ローマ帝国の市民には有色人種も多くいたのだが。 彼らは違う。 市民ではなく、王宮に出入りする王族。 聖書とプロパガンダ黄表紙を読みすぎた、ローマ帝国の末席王族なのである。 このレビという血筋自体が、王族の有識者から作らたスカウト階級、だったのであると思う。 正しく理解するなら、ローマ人の、ローマ人による、ローマ帝国のための官吏、なのである。 当然、白人であって、E遺伝子などは持たない。 有色人種のファラッシャではないのだ。 出来たばかりの修道院に入って、王族は軍事や政治を担った。 その下で、高級官僚、各地の小殿様となった、スカウトされたエリートの人々。 ボ-イスカウトみたいなもんだ。 宗教上、キリスト教徒が扱えない、奴隷業務や金貸し、学術科学研究などを、彼ら高級官吏が担当した。 ユダ族の名は、ヨセフス本で、すでに表に出ていた。 キリスト教の旧約聖書が、併せて歴史書としてウソの正史を仕立て、伝えた。 日本書紀と古事記、みたいなもん、と考えればよい。 彼らレビの聖書にも、同じような内容の、少し別の視点のものがあるのだろう。 だが、それを名乗る、ユダ族を名乗る、ほんもののウソつきは、未だ、ほとんどいない。 ギリシャ語しか書けない偽物の天才小説家、ヨセフスくらいだ。 アラム語のものが出てくれば別だろう、とも思うが。 ない。 ユダとベニヤミンの血筋は、この時代から整備され、作られていく。 「ユダヤというのは、人工の血筋」なのである。 レビが最初。 が、ベニヤミンは、また別の結構古いハッチ時代からの種族なので、わからないと。 一応、そう言っておこう。 古くは、ベネ・イアミナといった。 いずれにせよユダ同様、シナゴーグでの、レビ族が管理していく説話が育んだ血筋、といっていい。 アシュケナージもファラッシャも、もちろんガリチア人も、未だ、いない時代なのである。 それら主力が世に出てくるのは十世紀ごろ以降、ずっとずっとずうっと後の時代のことだ。 場所もぜんぜん違うし。 そっちは十字軍以降の陰謀話、となるのである。 イエス・キリストという人物が、もし本当にいたとしても。 カナン人かアラム人であって、ユダ族ではない。 当時のガリラヤには、ユダ族は、いなかったからだ。 ましてや、ユダヤ人などいなかった? いなかったのである。 アラム人は居たけど、消えた。 聖書のユダヤ人が、過去を消した。 いや、レビ族は自称ユダヤ人。 流布された歴史はウソであっても、白人の人工の種族ユダヤ人は、200年頃には殿様階級なのである?。 彼らはラテン語を日常に使い、ギリシャ語を学術用語に操る。 偽ユダヤ人のハシリだった?。 いや、旧約にある歴史とは附合しない偽者だが。 ユダヤ人の定義で言うなら、レビ族は、本物の人工の種族なのである。 この後、彼らは北アフリカやスペインで、古いイスラエル時代の文化や血族を採り込み、ユダヤ人の一角を占めるようになっていくのだ。 いわば、ユダヤ人の教導団グループなのである。 しかし主力グループではない。 主力が出てくるのは、はるかずっと先、十字軍のころなのである。 それはまた、まったく別の話になる。 かくして、みえにくい自己主張のないアラム人は歴史から消えた。 聖書と偽ユダヤ人のウソが、アラムの過去を抹殺したのである。 アラム人の国ウラルトゥは、対峙した敵からのみ語られる始末。 が、その滅亡の時代すら、定かではなくなった 生き残りウラルトゥ人も、今残っているのは、生き延びた帰化人のアッシリア人のみだ。 聖書では、アッシリアと刺し違えた、この種族は語られない。 バビロンは漁夫の利を得たので、これまた語らない。 メディアは十分儲かったし義理も果たしたし領土も得たので、語らない。 アッシリアから解放されたイスラエル10部族ともども、すばるの民と混血したアラムたちは消えた。 国名のみ敵が語ったので、美しいコニーデの火の山の山容となって、現地に残った。 アラの軍旗は、シルクロードに消えた。 東方に逃げた、イエスと同じ道筋をたどったのだと言う人もある。