哲学史 11ー1 カント
カント先生に至るには、英国経験論を見ておかないと、と普通は思うだろう。 オイラは思わない。 それらはカント先生の項目の内部で十分。 ロックやヒュームは英国における形而上学的経験論の始祖であり、懐疑論者だというのが一般的な意見だが。 ロックは経験論ではおよそムリな形而上学を騙ろうとした、政治学者にすぎない。 経験論に形而上学などありえんと思うし、ヒュームは数学を唯一の論証的に確実な学問としたような人だ。 (うふぉ)のない形而上学には長けてた人かもしれんが、哲学者ではないので。 ただ、無神論疑惑の問題もあるのでカント先生の第2節で扱いたい。 カント先生こそ、西洋のデカルト哲学の継承者だった、と思う。 西洋はこの年代になって、はじめてヘラスの哲人たちと対等に会話できる哲学者を得たのだと。 じつはオイラ、ほとんどその裾野にも登れてない。 まず文章が煩雑で、長ったらしくて、ピリオド探すのが大変なほどで。 言い訳ばかりだが、まともに読めない。 オイラが語学力ないのは確かだが、それだけじゃない。 これ訳してる人は、ほんとにみんな、大天才。 そのためか、誤訳というより、ウソが多くて。 特にユダヤ人研究家の著作類などダメだとわかった。 オイラ長く、コーヘンとかいう研究者に、わからんままに騙されてた。 哲学史では、まず、カント先生は、1:どういう人物なのか見まわし。 次に2:業績を取り上げて哲学上の位置を明確にし。 3:さいごに先生の論議の核心へと入って、いきたい。 哲学入門の、コペルニクス的転回は、この1で述べる。 しかしすべて未定稿になるはず。 オイラのうちで、十分咀嚼、評価できていないためだ。 1,どういう人物なのか。 当時のヨーロッパ大陸の、プロイセン帝国生まれ。 例外中の例外の、平民出の人である。 裕福な家と、親戚にも恵まれて、勉学できたらしい。 だが師には恵まれずに、学資不足。 で、同窓生貴族相手にビリヤード・ギャンブルやって学費を稼いでたらしくて、お金には細かい上昇志向旺盛な人物。 一日一食主義だったらしい。 吝嗇家ではなくて、貴族と対等につきあうようになってからは、午後からヒマかけて客人たちと豪華なメシ食ってた、ということ。 客人招いても、トウガラシ擂るのだけは召使にはやらせず、必ず自分でやってたとか。 フリーメーソン組織にやっと入れて哲学教授の座を得るまでは、家庭教師やったり、かなり苦労もしてるようだ。 新進の自然学者として売り出し、大学の私講師になれてからも、けっこう人気だったらしいが。 聖アウグスチヌスと同様、「授業料踏み倒し」に悩んでたらしい。 先生は、差し押さえ、で正面から対抗。 稼ぐのや差し押さえや研究著作、論争で忙しくて、生涯独身だった。 哲学教授となれたのは、有名になって「陰謀組織に入れたから」だ。 本物の哲学者となったのは、もう晩年になってから、であるらしい。 これは自分で述べている。 「思惟のコペルニクス的転回」、として有名な出来ごと。 それが、自然学者であった先生を哲学者にした。 これをまず、最初に解説しておきたい。 先生が今日あるのは「純粋理性批判」という人類史上の最高峰の哲学著作のゆえなのだが。 難しすぎる本ではある。 オイラ未だに全部読めてない。 それが庶民にも広く読まれたのは、たぶん日本だけだろう。 翻訳者に感謝。 ウソ多いが。 認知度高いのは、若いころの科学技術啓蒙思想や、流行思想論評やって有名だったおかげ。 名の無い人が哲学書いてたら、誰も読まなんだと思う。 オイラなんか、これ読んでくれてる人なんて、たぶん10人もいない。 それでも10人近くもいるので、やめられん(という事情にしてる)・・・お客様は神様です。 カント先生が食えたのは、有名になってフリーメーソンという組織に入れて、その関係で、哲学教授の職を得ることができたため。 その後、自身の思惟の大転回があって、本物の哲学者となった。 思想、宗教的には、その生い立ち時期からの「敬虔主義者」であると言われている。 両親はルター派だったという。 知識人仲間の貴族たちと、聖書を読み合う会やってたエリートらしい。 まあ、聖書重視のトランプ派ということです。 初期のカント先生は、明確に白人優位主義を述べるkkk丸出しの人種差別主義者。 敬虔主義思想というのは、宗教家の主義主張のこと。 これは哲学と矛盾しないのか? 先生は、デカルトの思惟を忠実に辿っているが、「形而上学者」ではなくて。 どちらかというと、科学者たちと同様の「経験論者」のほうなのである。 客観を重視する。 純粋理性批判のしょっぱなには、場違いのようにベーコン卿が出てくる。 それも自分で、「経験的実在論者」だと言っている。 同時に、「先験的観念論者」でもあるんだが。 このバーチャリターな部分が、他人にはわからん哲学部分、なのである。 時間・空間を見出して、自分でも首をかしげてた。 てっとり早く言うなら、宗教的にもスコラ学的にも、聖アウグスチヌスを継承してた。 善人じゃなく、悪人の部類なのだ。 ひたすら、へりくだって、信仰の大事な部分は誤魔化してた、というのが正しいだろう。 聖書を読む会も、そのごまかしの一部だった。 形而上学とは必ず一線を引いていて、魅力は否定しないが、身を遠ざけているのである。 まあ、食うために形而上学のセンセエやってた、というのもある。 それ(形而上学)が問題だ、とは認めている。 だが、自分では一切それ騙っていない。 しかし聖書を崇め、政治の現体制を崇めてた。 長いものには巻かれたのだ。 自由を語りながらも、西洋の奴隷社会を、公然と認めてた。 ルソーに出会うまで、下層民を軽蔑してたそうだ。 そして悪人特有のバクチで身を立ててきたのだが、そんな過去にも拘らず。 スコラ学で学んだことを、デカルト風の自然学と哲学で、反芻していたのだろう。 経験と客観重視だが、同時に明らかに、感性重視の立場なのである。 そして「人間の思惟」重視の立場も、初期からある。 神の思惟、なんてのは、どこにもないのだ。 関心がないわけでもない、と繰り返し言ってるのだが、ない。 さて、天文学や星雲説で有名らしい自然学の業績など、これはぜんぶ無視して。 というか、オイラ知らんので。 もう晩年になっての、「コペルニクス的転回」から、始めたい。 コペルニクス的転回。 ミコワイ・コペルニク(銅屋のミコワイ)は、先生と同郷のプロイセン人である。 後のニーチェなどとも、同郷。 この先輩の人物がやったことは、宗教とは無縁な学術だった。 天文学への「数学の適用方法変えた」だけ。 メタバシスな時空ものを、メタバシスな「ありかた」にした、だけ。 この人物のやりかたを真似て、カント先生は自分の思惟の大転回をやった。 まるで科学技術のように企画実験し、大成功したのだ。 コペルニクス的転回とその思惟は、「形而上学思想とは無縁」。 これ、非常に大事な点である。 ここがみんな間違ってる。 コペルニクスの述べたことは、天動説、地動説といった宇宙論などとは、全くの無縁の、「単なる数学の方程式」。 あえて言うなら、オルガノンが導かれる非形而上学的「メタバシス領域」の、その「時空の物」。 人の感性的時空ではなく、「数学命題的時空」。 天文学上の、太陽と地球の関係を示せる方程式は、すでに世に存在してた。 但し煩雑で、使いづらいものだったらしい。 これを、極度にややこしい地球支点の観測点のものからの方程式ではなく、支点を太陽に仮に置いて。 「実に簡素な方程式に書き換えした」、というだけのことである。 既存の方程式とも、天文観測データとも、ムリなく値は必ず一致する。 なので、その簡素な方程式は、学者世間に、すんなり受け入れられた。 あくまで「形而上学とは無縁」。 なので、火あぶり処罰問題なども、起きようがなかった。 繰り返す。 天動説、地動説と大騒ぎをするが、そんな「形而上学的なものじゃない」のである。 地動説だなんて、ウソ八百言うんじゃない。 足元がゆらいだらコケるやないか。 方程式があるだけで、観測者も見えないし。 「宇宙論」も、「神学」も、「心理学」も、一切関係ない。 彼がやってたのは天文学。 繰り返す。 コペルニクスの述べたことは、地球の周りを太陽が回るだの、太陽の周りを地球が回るだのといった、そんな世界像問題ではまったくない、のだ。 地球と太陽の「関係を示すにすぎん数学上の(もともとメタバシスな)方程式」を。 しごく簡素なものにした、それだけだ。 さて、これとカント先生の、思惟の大ケーレ(転回)が、どう関係すんのか。 ものと心の関係という、デカルト形而上学の(うふぉ)問題で悩んでた先生は。 このコペルニク先輩のやった天文科学の新方法が、「もしかしてスコラ学にも使えるかも」、と思ったという。 目的を持つ科学技術の、メタバシスなカノンを適用、という意味ではなくて。 もともと、メタバシスな思惟を持つ数学方程式にとって「オルガノンは不動」。 とカント先生は最初から気が付いて見てたので。 その不動のオルガノンで形而上学の問題が片付かないのなら、自分の思惟の方向を逆転させてみればなんか見えるかも、と思ったわけだ。 「コペルニクスみたいな逆転発想が可能なんじゃないんかと思った」、という言い方している。 思惟の「視点」を、形而上学的に置かず、つまり神や宇宙論や世界像的に置かずに。 むしろその宇宙論や世界像のありかたを、これを自分のうちだけで逆転させてみた。 絶対の真実がどうか、真理がどうか、といった「形而上学的課題には一切触れずに」。 形而上学的諸問題は、脱ぎ捨てた。 メタバシスの核心部分の、神学には抵触させずに。 言うなれば、メタバシスなオルガノンのありかたを。 単に、立ち止まって反省してみたのだ。 近代科学がやるように、先輩がやったように。 「合理的に相互の関係を簡素化できないか」、と考えたのだ。 バーチャリターなはずの人のオルガノン(人間論理)を先生は。 もともと数学の方程式みたいなもん、として(メタバシスに)理解してたわけだ。 デカルトのはじめた、対象と認識者の形而上学的関係は、先生にとってもややこしすぎた、のである。 みるものとみられるもの、コギタンス(思惟主体)とエクステンサ(延長)の関係だ。 これはややこしすぎて、深く考えれば考えるほど、形而上学として泥沼になる。 いい例が、新プラトン主義者たちが落ち込んだグノーシス問題みたいになる。 そこで自然学の寵児カント先生は、天文学で業績上げたミコワイ先輩を見習って。 論理を逆転、ではなく。 逆転論理利用の新論理立てたんでもなく。 形而上学課題無視で、自分の思惟を逆立ちさせてみた。 単に、自分の思惟のモーメントを、逆向きにしてみた、だけだ。 つまり対象の前に「佇んで」。 自分の思惟を「反省」したわけである。 人の思惟と、神の思惟との「宇宙論的、その論理関係」じゃなくて。 モノとこころの、「オルガノンの利用位置を逆転をさせた」わけだ。 思惟は即存在。 ならば存在は思惟じゃろが、と。 こころでモノを捉え、考える、といった手の類のもんじゃない。 思惟を存在にする、んじゃなしに 単に、自分の心構えにある<モノとこころの関係>を。 一度、解体して、その手続きを科学がやるように、逆転させて、みたのである。 但し、科学がやる現実に掴んだ有用な、心理学的、神学的、宇宙論などの逆転じゃなく。 それはむしろ、不動のはずの<オルガノンの核心部分>の逆転回となるのかも。 「トピカで扱う部分の逆転」だった、と考えたほうがいい。 修辞学から哲学へのケーレ。 自由への、自分に由来する隠れ無き(自然な)誠実さへの、転向。 宇宙論や神学部分をぜんぶ取り除いて、経験的には科学がやるように純粋にして。 徹底したメタバシスやってみた。 (うふぉ)になりきる。 結果として悪霊に、好き放題させてみたわけだ。 それをホンマにやったのだ。 ひたすら、へりくだって。 心という思惟主体が、モノを対象として選び、「直観認識」する、というのが思惟即存在。 これを、感性で跡付けて、「存在がある」、と、オイラたちは同義反復で考えている。 だから(うふぉ)の心構えに対応の<オルガノン>が、つまり「論理的なナニカが」必要となってしまうのだが。 そうではなくて。 オルガノンの「必要も取り除いて」。 単にオルガン、やってみた、のである。 こころでモノを掴むんではなく。 逆に、モノで、こころを掴んでみた、のだ。 先生は、「過去の認識は、対象に従って規定されねばならんと考えてきた」という言い方をしている。 これを、対象が我々の(共有の)認識に従って、先天的に原則規定されておるんじゃあ?、と。 逆向きに考えてみたのだ。 純粋な(うふぉ)つくり。 だから批判せにゃあ、となったのだ。 モノというのは、先験的なみえん枠に、感性を経験的に演奏し入れて、できたモノ、と。 モノの発想を、常識とは逆転させて考えるのだ。 つまり何のことはない、佇んで、「自分を反省した」ということ。 先生は、ここで見出したものを(うふぉ)、とは言わずに、「ア・プリオリ」な、という言い方をしている。 トランツェンデンタールなものなんだが、超越ではないのである。 それは存在とはいいがたいが、感性のもの。 時間・空間の、「ありかた」のもの、なのだ。 だから(うふぉ)ではないものが尾を引いている。 あんよひもが。 オルガノンと、その時空があるかぎり。 その佇みの前には、「自由」と「無知」がある、と。 先生は自分で解った、のである。 自分に由来する感性の諸々と、「聖書に描かれた知識になる前の、無知」が、そこにあった。 つまり「哲学」が、自分の「無知を知ること」が、そこに鎮座して待っていたのである。 最初に聖書という知識ありきではなく。 大事にしてきた聖書の知識捨てたら、哲学があった。 これを「主体性の形而上学の克服」と、書いていた人がいたが、そのとおりだと思う。 デカルト問題を克服したのだ。 対象が認識に依存する、というのも近いと思うが、その依存を捌く「オルガノン」が問題のもの。 むしろ、モノという認識は対象選定に、あらかじめオルガノンを背負っている。 そこから、存在が成り立っている。 その心構え、先験性の共有が、オイラたちという共有認識の枠を作っている、と。 そう考えるべきなんだろうと思う。 オルガノンが世界の世界性を作ってんじゃなくて。 これはむしろ、「オイラのオイラ性」を作っているわけだ。 科学理論は客観論理のフリしてる。 だが、これはメタバシスなもの。 誤謬の形而上学。 そことは逆に、「時間・空間という先験性の共有が、オイラのオイラ性を享有させている」ということに、先生は気が付いた。 自分の無知がすこし見え始めると。 「認識」ということの、「反省」ができるようになる。 オルガノンなんていう世間共有の「論理」なんて、ここでの(先験論議の世界での)、その「無意味さ」が、モロに見えてくる。 それは、トポスが、あれほど膨大な世界を描きつくしても、尽くせない理由なのだ。 経験を伴わない純粋な、ということの前では、人の理性は「自由」。 経験的には、まったくの「無知」だからだ。 これ(哲学的思惟)は従って、心理学でもないのである。 自分について、その自分に由来する、「感性」と「理性」が見えるだけだ。 共有の認識ではあるが、中性的な形而上学的論議なんかじゃない。 正しいとか、正義とか、善とかとは、一切無縁になっちまうからだ。 目的から切り離される。 先生は、だからここでは法則というより、「原理」という言い方をしている。 この「先験的原理」を無知の知に立って見出すこと。 それが、理性が実践前の共有関係について論議することの、始まりでもあった。 だから「予備学だ」という言い方をしたのだ。 つまり哲学は、「形而上学なんぞとは、思惟がまるで逆回転したモーメントを持つ」ことがわかったのである。 これに気が付いて初めて、先生は哲学者となった。 哲学が「無知の知」だから、なんだが。 コギタンス(思惟主体)が対象ブツを掴んだり、認識したり。 そのようなパラダイムを形成して掴めるようにカルトにしたり、は。 まず哲学は絶対に、やらないのである。 たいがいの思惟主体は、あきらかにもともと「目的を持って」対象を選んでいる。 しかし先験性は、その「目的とは無縁になっちうまう」のだ。 中性になるんでもない。 無縁になる。 対象の選ばれていない対象なんてのは、だから(うふぉ)、なのである。 コレは形而上学課題を前にしたオイラの言い方。 そのかわり哲学的思惟は、対象を「あらしめる」。 当の出来事を、反省できるように、出ー来ている。 新しく、人々の間に、神々の視界を、出現させることになる、ようにも見える。 ロゴスとミュトスによる不可解な権能で、誓約(うけい)的に思惟が立ったのである。 同時に、ここで存在も立つのだ。 これがデカルトの言う「思惟即存在」、コギト・エルゴ・スム。 存在者の存在、論議ではなく。 思惟として、同時に存在として、儚い(先験的時空の内に)こそ立っている。 時間と空間の諸問題が、ここで初めて表に見えて来たのである。 これは思惟のモーメントの180度逆向いた反省行為、多神教的哲学の所以なのだ。 だから、この出来事を、「思惟のコペルニクス的転回」、という。