哲学史12ー2 ドイツ観念論という疑似哲学2 シェリング
フィヒテの後を継いだのがシェリング教授だ。 ヴュルテンベルク公国シュヴァーベン出の人で。 やはり敬虔主義者だった。 20歳規定のあるテュービンゲン神学校(大学付属機関)に15歳で入れたという、こちらも神童。 5歳年上の、ヘーゲル、ヘルダーリンと寮が同室になったそうだ。 フランス革命に、不平不満分子が自由の到来を見てた時代。 貴族階級にも、そうみえた?。 彼も本物貴族ではなかったようだ。 大学行けたのは、やはり組織の後押しと思える。 家庭教師時代の著作は「悪の起源について」、「神話について」など。 ライプツィヒ大学聴講生のころ書いた「世界霊について」がゲーテに認められ。 それでイェーナ大学の助教授に就任。 だからイルミナティの組織員にもなったのだろう。 フィヒテの、跡継ぎの正教授となって。 のち、ヘーゲルをイェーナ大学の私講師として推挙した。 やがてそのヘーゲルが、イルミナティ組織を統べていくようになるのだ。 イェーナでは、どうも保守派の薔薇十字団と対立してたようだ。 たぶんシェリングも、イルミナティー組織の中心人物かと思える?。 「人間的自由の本質」「自由論」「世界諸世代」「神話の哲学」「啓示の哲学」といった無数の著作がある。 エアランゲン大学哲学教授、ミュンヘン大学創立に伴い哲学教授、ベルリン大学哲学教授などをも歴任。 バイエルン王国で国政にも参画し、ついに本物の貴族にもなっている。 貴族って、すごいんだよ、領地も持つ殿様。 わが国で馬鹿にされる上級国民のこと。 シェリングは自分を「あるものがなんであるか」にのみかかわった消極哲学の前期と。 "das Dass"(これは、コレハ?と訳すのもまちがいじゃろし、イストが無いので命題として立たない)の後期哲学に分けるそうだ。 彼の論議はまた、「古代への関心と、理性への志向の緊張と差異が、高次の同一性に支えられている」、という説があるが。 初期の、この、ものが「ナニであるか」、は形而上学なのであると見た方がいい。 イストがあればだが。 信仰はあると思う。 Dass,と佇む後期のは、こっちは哲学の特徴なんだが。 スピノザ、ライプニッツを深く学んでいるのは間違いなくても、カント先生からの影響については、シェリングの場合、かなり疑問符がつくらしい。 彼が学んだテュービンゲン神学校は、とくにルター派正統神学の牙城だったらしくて。 神学から哲学へと転向したこと、フランス革命に熱中して学校から指導されたことなど、が指摘されてるんだが。 学んだ哲学というのが、ぜんぜんよくないのである。 ほかならぬ「ルター風形而上学」なのだ。 これはまったくもって、哲学のはしくれでもない、のである。 哲学名目の神学であることは、こっちは間違いなし?。 おいら神学は、皆目に近い程度に、わからん。 善悪に関心があったという事から見ても、「ぼくはスピノザ主義者になった」と宣言していることからも。 シェリングが学んだのは、神学を含む「形而上学」なのである。 古代ヘラス伝来のデカルトやカントの哲学(無知の知)ではないのである。 世を上げて、自然学や形而上学を持てはやす時代だったのは、これもまちがいない。 「イデーン」(1797年)などの「自然の形而上学的根拠付けについての著作」に熱心。 彼の自然観の中心概念が「有機体の理論」なんだという。 哲学的関心からではなく、形而上学的関心から、シェリングはこれらを思索した。 心理学も、今でいう心理学ではなく。 これがスピノザ主義的な形而上学で。 つまり、ある種の「観念論」なのである。 つながりました。 フィヒテもシェリングも、やはり「ガチの観念論で形而上学者」解釈でいいと思う。 ヘーゲルの手で筆記された、原作執筆者不明の草稿がある。 通称「ドイツ観念論の最古の体系計画」 ヘーゲルが、オレがコレを最後に完成させた、と言いたいようだが。 たぶんこれはシェリングの作か?。 イルミナティの彼らが担った観念論は、こうやって証拠になって残っている。 形而上学的アジェンダ、みたいなものなのである。 ヘーゲルも、この頃は未だ形而上学者なのだ。 この草稿に出てくる概念を「新しい神話」というそうだ。 それはシェリングの大著「超越論的観念論の体系」(1800年)として実現するわけだ。 形而上学の、体系論議、なのである。 しかも若干アジェンダ的(投企的将来計画ビジョン持ち)。 初期のシェリングは、いわゆる「同一哲学」修辞の時代だった、といえる。 「一意な、絶対者の自己展開の叙述の学として遂行されるもの」だ。 彼はしかし、自分を脱ぎ捨てて脱皮していくタイプのようなので、外面の身代わりは早い。 但し、哲学がないのは不変のようだ。 自然学への傾倒から、フィヒテとの決別が生まれ、やがて批判し合う仲になっていくそうだが。 この自然学の自然、というのが曲者なんである。 カント先生の、「(自分に対し)隠れなき現存在」、なんぞではない。 そもそも、無知の知の主題ではないからだ。 神話とか歴史とかといった、「聖書の主題」のようなんだが。 「実在的な自然」に対し、「観念的な優位性を持つ自然の像が先立つ」。 それらの認識を可能にするもの。 ある種の将来的「統覚」投企なのであると思える。 つまり時間・空間的な制約の常につきまとう、実在の自然ではなくて。 「絶対的な哲学」に対し、「人間の最高の精神的所産かつ生産活動として対像として、その完成の姿に予示を与える、<もの>」。 これが、語られ目指されるのが実践。 実践の意味が、過去系ではなく未来形なのだ。 これは実は、キリスト教の特徴でもある。 たぶん、ミトラ教の影響を濃厚に受けている部分。 つまりシェリング教授の自然は、その主語に未来が来て。 将来的「芸術」がふさわしいんだ、とされるわけだ。 この哲学というのは、だからスピノザ風の形而上学の事だとわかる。 コナトゥスか?。 この、観念的現存在=自然、に主語を与えるべく。 シェリング教授のドイツ観念論は、超越論的統覚への導きとして「将来芸術」を持ち出したのである。 カント先生の美学エステチークには、感性の意味でのエステチークはあっても、芸術のゲの字もおまへんので。 これはスピノザ研究からシェリングが、自分独自で導き出したものやと思う。 これをさらに発展させ、数学とつなげた連中が、のちに居るのだ。 学問に「筋を通して」主観・客観の一元化を図ったフィヒテ。 それに対しシェリングでは。 観念を導く実践や判断の主語に、無知の知ではなく。 「芸術」が持ち出され、投企されたのだ。 もともとなかった目的主語が、そこで未来へと跡付け、投企される。 これが宗教実践部分。 「芸術は、超越論的哲学の系列の終極だ」と、彼は言う。 超越論の主語に無知の知は無く。 形而上学という、「将来の目的が」あるのみなのだ。 形而上学は目的論だ、ということが、これでわかると思う。 神という目的を持つ学問。 「芸術は、哲学の真のまた永遠の証書であり機関」、となる。 この哲学はしかし。 形而上学あるいは修辞学と、読み替えるべきである。 完成の姿に、予示を与えるもの(像)が、導くのである。 神の目的がその像で、予示してんだと。 1806年にシェリングは、名指しでフィヒテを批判した。 「芸術の宇宙において、全を展示する」。 つまり、観念論における「現存在の像化」が、ここにすでに見られるわけだ。 見えてない筋を通すより、見えて導く偶像が大事だ、としたのがシェリングだろう。 これがやがて、隠れた構造になっていくんだろうが、それは先の話。 超越論的観念論の体系において。 芸術は「超越論的哲学の系列の終極」、「哲学の真のまた永遠の証書であり機関」と、なる。 シェリングは、神話の理想的な姿をギリシア神話のうちに見出したという。 だが、本当だろうか? まだ生み出されていない「新しい神話」を、彼はそこで偶像的に要請した。 偶像を直に言うのは間違いかもしれん、ところはあるが。 <新しい神話を求めた>、そのことは間違いない。 アジェンダ的な面が、あるのだ。 彼の身代わりは、まだまだ続き。 「哲学と宗教」といった、まるで後のハイデガー先生がやるようなテーマが出てきたりもする。 よく注目されるのが、頽落 (Abfall)という概念である。 「有限性の生起は、本来同一であるものの頽落 (Abfall) による」。 これで人のアナログ性を、十全なシステムにならんことを説明すしようとするのだ。 モトが神のシステムであって。 人は、頽落によってシステムにならん、そのことが説明される。 だから、「生きた自然」を把握し表現するべき、<その将来的遇像に従うべき>である、といった意見になる。 自然(物)が、すでに<観念上に十全なシステム>であり、偶像になってそこで立っている。 そのことがわかる。 1809年の「人間的自由の本質」が、思想の大転換点とみなされているそうだ。 極端に言うなら、コレは悪への目覚め。 事実彼は、悪への積極的な可能性を、人間のうちにみる。 「人間は悪を行う自由をもっている」。 さらには神にも、コレを言うようになっていく。 神の人格性だとか、神の存在様態について考えたりもしているのだ。 蓋然性の概念だとか、ロックの確率論に似たテーマなのだが。 基礎が哲学ではなく形而上学なので。 むしろ、新プラトン主義者のグノーシス問題が出てきた、と言えるのではあるまいか。 形而上学者がアリストテレス風にプラトンを解釈して、イデアを志向すれば出てくるデミウルゴス。 シェリングの哲学なるものは、かくのごとく、まったくもって、観念の形而上学なのだ。 これはやがてヘーゲルによって、コテンパンにやられてしまうのであるが。 やられたこと理解してないと思う。 晩年には、同時代人にも理解されず、彼の講義にはほとんど聴講者がいなかったというこれはヘーゲル主義者が言うウソだろうが。 今でも、シェリングへの根強い支持者は多い。 オイラは、この「観念論の形而上学」継承者をヘーゲルではなく。 フッサールだと見る。