哲学史16ー1-1 マルクス
ヘーゲルの論理学主張を、一見したところ無視してるように見えるのが、マルクスである。 トリーア生まれの彼は、ヘーゲルを「あたまでっかちだ」と頭ごなしに批判してたので、これに騙される。 マルクスは、これも徹底したヘーゲル論理学の利用者。 つまりヘーゲル主義者なのである。 マルクスには、じつは有限で無力なデカルト風な享有者も、脱存の雰囲気も見えるのだが。 ヘーゲル思想でもって、無限の可能性を秘めた共有の種族だけを見ていた、のがマルクス。 「人間は個人としては有限で無力だが、類としては無限で万能である」 と言っている。 無限で万能,というところにヘーゲル主義者の特徴がある。 ヘーゲルに学んでいるし、無神論者ではなくて。 <唯物論形而上学的な、論理学者>なのである。 個人享有に属する無を、見ようとしないからだ。 客観ばかり気にする。 物質に特化したヘーゲル主義者というべきかも。 ヘーゲルは、まだ無を見て、それを忌避していた。 後にヘーゲルは、自分から<自覚してヘーゲル主義者になった>のだが。 モノ自体などない、といいつつも、初期には無意識に無を遠ざけていた。 ヘーゲルは、初期にはヘーゲル主義者ではない。 しかしマルクスは、その初期から一貫してのヘーゲル主義者なのである。 マルクスは、ヘーゲルと同様、最初は哲学の門から入ったようだ。 そして資本論という、有産資本に特化した論理を見出した、と言うべきかも。 無産階級の論理ではなく、有産資本階級の論理。 これが、ユダヤ人とカトリックの切り離せない関係を、見事に隠すこともやった。 知識による人工時空の拡張と、自覚によるマトリクス把握によって、隠すのである。 それらのことごとくが、まったくのヘーゲル風なのだ。 ただマルクス初期に、ある種の脱存、のようなところが感じられるのは事実。 形而上学が語る弁証法なるものを、観念論的にではなく。 唯物論から語ろうとしたのがマルクスだ、と言われている。 そのとおりだろうとは、思うし、そこが哲学なんだろうと。 しかし唯物論の適用されるのが、共有に特化限定は問題だし。 マルクスの唯物論は特に、史観が絡んだそれで、はじめてつながってるのだが。 この筋を追求してみたいのだが。 それがまた、論理学とすぐ手を結びたがるのが問題。 「世界は観念的な神や絶対知に向かって発展していくのではなく、物質、自然科学に向かって発展していっているとする」。 世の歴史の流れから出ようとしていた、なんていう命題がすぐでてくる。 この命題は。 「唯物弁証法」という新しい思想らしいが。 極めてヤバイ思想だと思う。 弁証法というこれが、誰か別人のウソ混入であると思う。 マルクスの哲学ではない、別人作のプロパガンダが、共有の顔して入り込んでいる。 それをマルクスが、社会主義運動に利用したため、厄介なことになっただけであると思う。 唯物弁証法というこれは。 ヘーゲル風の論理を悪用した、浮いた政治命題。 哲学とは無縁にも思える。 弁証法が単独で出てくるし。 唯物論が、まるで軽薄な形而上学丸出しで、見える。 安っぽい人造物になっちょる。 そもそも、唯物弁証法なんて、ありうるんだろうか。 只のモノが、勝手にモノ自体で客観の言い訳してくれてるなんて。 感性の関与無いそれだと、無神論になっちまう、だろうし。 信仰がないまま、一神への<目標だけ>持つ、という。 実にへんなもんになる。 そんなん平気で主張するのは、信仰の無いまま一神教徒を装う日本人だけかも。 マルクスの出身種族はユダヤ人。 なので、一神教徒であって。 無神論者ではない。 共産主義者だから無神論? 共産主義者ももちろんだが、論理学者は、そもそも無神論ではない。 これはフランキストも同様。 無神論者ではなくて。 マルクスは、単にヘーゲルの信奉者だった、と考えるべきだと思う。 弁証法信奉ではなく、論理学信奉者だった、と。 つまり彼の属した組織は別門であっても。 <イルミナティ思想の持主だった>、と。 それだけでいいと思う。 唯物論に弁証法は、馴染まないのである。 なぜかというと、哲学的唯物論は必ず、<「感性論」を持つ>のだから、である。 そのマルクスだが、これは若いころに哲学への自覚的変節があるようだ。 こころの総入れ替えが、あって。 そこで脱存的に、(享有の)哲学を始めている。 感性を、唯物論的に捉えることを、実は先に学んでいたのだ。 どうやら、無頼漢の自分が学んできた西洋の歴史が、ことごとく嘘らしい、と、はっきり自覚した頃のようだ。 ユダヤ人の共有歴史もウソ八百なんだが、そこまで気が付いちょらんかっただろう。 それは、唯物論議の論理を、哲学として自覚した頃のこと。 歴史という時間・空間に目覚めて、脱存し。 「唯物弁証法」ではなしに、「史的唯物論」を立てることができた。 つまりキリスト教やユダヤ教の史観ではなく、唯物論で史観を持てた。 それがマルクスという、これは粗野であっても哲学なのである。 「唯物弁証法」と「史的唯物論」というこの両者命題は、全くのべつものである。 唯物弁証法などはヘーゲル主義風であっても、無理だと思う。 史的唯物論は哲学。 オイラの騙りたいマルクスは、無神論者の日本人が騙る「唯物弁証法」ではなく。 「史的唯物論」の、無頼漢な哲学者なのである。 資本主義を研究してた、ゴロツキ。 そう、彼は若いころから普通じゃなかった。 マルクスの親父はフランキストだった。 それが遠因だろうと思う。 これがナニカは、自分でしらべてください。 父はトリーアという土地の公職にあって、弁護士だった。 ユダヤ人生まれでありながら、住んでいる地域がプロイセンに併合されて居心地が悪くなり。 表向きはとっくに、ユダヤ人という特権階級であることも、やめてた。 カトリックの公会議で、遠い過去からずっと保護されてきた特殊権益から出て、すでに出て、表むきは庶民となっていたのだ。 ルター派のように考える、プロテスタントを装ってはいたが。 彼らは改宗した種族ぐるみで、英国へ移住しようとしていた<フランキズム信奉者>。 つまりマラーノという潜伏者だった。 マルクスもまた、幼いころ母とともにプロテスタントに改宗して以降は、ユダヤ人ではなかったはず。 しかし一家の家系は代々、<ユダヤ人のラビだった>のだ。 アシュケナージ種族を導く、指導者階級だったってこと。 それはたぶん、ユダヤ人やめても、ずっと生きていた。 彼の一家は、マラーノ(豚)たちを率いていた小殿様なのだ。 跡取りの子にラビ職を継がせ、組織内部から改革派推進、のつもりだったのだろう。 そんな親父の種族的方針も、世相の変化で変わらざるを得なかったのか? いや、彼らの種族的意図は、貫徹された、のである。 フランキストの別名を、ユダヤ教「改革推進派」という。 スッキリした用語のわりにはドロドロの、メシア思想を持つ。 世間を欺いて破滅させて、メシア呼び込んで改革推進、という怖い怖い思想。 現代の今でもやっちょるニューワールドオーダー、世の立て直し、というやつ。 マルクスの家系自体が、指導者階級ラビだった、のである。 こういった、改宗しても世間に潜むユダヤ人の草のことを、マラーノ(豚)とよぶらしくて、まるで忍者だが。 それに対する世間様の侮蔑の言葉が、草ではなくてブタだ。 マルクスも親父の影響下で、セーヤンのように翻弄された人のようである。 普通ユダヤ人は、タルムードとユダヤ教聖書以外の、中心的書物を持つことはない。 だから超賢い種族であっても、非改宗者以外には決して哲学者が出ない。 出ても偽物が多い。 なぜなら改宗しないユダヤ人には、必ずラビとシナゴーグがついて回り。 幼いころから周りも含めて共有で、心身の指導を怠らぬからである。 朝飯前の祈り、シュルハン・アルーフが、付きまとう。 世の中を自分享有認識で自由に解ることなど、一切許さない。 しかしフランキストの一家は違うのである。 彼は自由に書物が持てた。 一家は改革推進派のラビとして、マラーノに交じり英国へ入る準備をしていたのだろう。 種族の意志が、何も知らぬ彼の愚連隊的な行動の背後で働いていて。 彼の素行の悪さも、こういった親父の影響が大きかったとみなすことができる。 親父の死で、マルクスにもすべてが開かされ。 親父のできなかったことは、彼がやりとげた。 そして彼の思想が、やがて資本で(資金力で)大勢の人を巻き込んでゆく。 そのことは後世の誰でも知っていることである。 どんだけ多くの、ムダな血と悲鳴が流れたのかも。 ナータン・マイアー・ロートシルト、つまりネイサン・メイアー・ロスチャイルドと結婚したハンナ・コーエンと、マルクスの祖母ナネッテ・コーエンは従姉妹関係にあたるそうだ。 このナータンが、フランキズムに関わるといわれる。 彼は、幼いころからすでに暴君だったと言われる。 学校の成績も、ぱっとしない。 きらいな先生は相手しない、自分勝手な暴君。 ピストルで決闘もやって、負傷したりもして。 時の人ハイネといった、ユダヤ人の流行詩人にも憧れた。 ハイネをロマンチックな恋愛詩人だなんて思ってたら、足元、すくわれまっせ。 ロマンチックのモトは、貴族のミンネザンゲだが。 これは若い騎士と、上司の貴婦人の<浮気を謳った>世辞のもの。 マルクスは、そんな貴族世界に憧れる、血気盛んな類の、暴力的な人なんである。 ピストル不法所持で勾留もされてた。 文章も、酷いものだったようである。 落ち着いた学究派学者なんぞではない、のである。 無頼漢と呼ぶにふさわしい人物。 本物の零落貴族の女をモノにして嫁さんに迎え、これを後々まで自慢しているような、嫌味なタイプなのである。 表向き、すでにユダヤ人という特権階級ではないので、徴兵が来る。 徴兵検査も父の意見汲んで、裏で手を廻して忌避したらしいが。 その父も「金遣いが荒すぎる」と、こぼしてたほどだった、らしい。 ボン、ベルリン、と、大学を転々と遊びまわり、もっぱら法学研究の触れ込み。 病気をした時に療養地でヘーゲル哲学と出会ったという?。 ヘーゲル左派の、エドゥアルト・ガンスの授業を熱心に聴くようになったのが、学術への転機らしい。 この人物は、「歴史主義的な法学から、ヘーゲル哲学を元にした哲学的な法学へと転換を主張」した人。 ここで哲学と言うのが、哲学ではなくて、ヘ-ゲル論理学のこと。 文字通り、史学的な弁証法を唱えたのかも。 この人については、オイラ知らない。 ただ、マルクスの歴史観やヘ-ゲル論理学への先生は、この人物からの影響だろう。 マルクスは、ヘーゲル主義者のその最左翼を、以後は過激に突っ走るのである。 父の病死後は、やりたい放題? このころが変節点のようだ。 父からの手紙。 「おまえはおまえの両親に数々の不愉快な思いをさせ、喜ばせることはほとんどないか、全然なかった」と記されているそうだ。 心を入れ替えたかどうかは極めて怪しいが。 以後は見事に、ブタとしての任務遂行に邁進、というべきか。 プロイセンで地道に編集者やったりして、左翼活動して。 旧体制には危険人物、社会主義思想者とみなされるように持って行って。 亡命者として、見事に、新興の資本主義国家英国への潜入を果たす。 それも偶然ではあるまい。 当時の英国はゴロツキ国家だったから。 イェーナ大学で「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」を提出して、ここで博士号を確保している。 しかし組織が違うので、大学教授職は狙ってもムリだったらしい。 親父はユダヤ人組織のフランキストであって、キリスト教徒のイルミナティではないからだ。 この頃、つまりユダヤ魂や哲学に目覚めたころに。 マルクスは、社会主義者のラビであるモーゼス・ヘスに見込まれるという。 やがて本物の、種族のブタとなっていくのだ。 ヘスというこの人物は、政治的シオニズムの創設者である。 このシオニズムというのがまた厄介な思想で。 ユダヤ人の界隈は、ホンマに薄汚れて汚い。 こんなもんに関わりたくない。(じつは知らない) マルクスは検閲に引っかかったりが多くなり、やがてプロイセンには居場所がなくなり。 大陸を転々としてのち、英国へ亡命したことになっている。 この学位論文にある「デモクリトス」と「エピクロス」についてのみ、少し語っておきたい。 フランキストという言葉や、「サバタイ・ツヴィ」と「ヤコブ・フランク」については、メシア思想が絡む超重要人物なので、話としては極度に面白くなるんだが。 哲学とは関係ないんで、勝手に自分で調べてください。 <デモクリトス> デモクリトスは、古代ヘラスの高名な思想家である。 知恵者として、哲学者ではなくて自然学者に分類される。 しかし有用狙いの修辞学ではずっとウソ言ってた。 哲学者として、一般に扱ってきた。 これは間違いで、彼はソフィスト。 トラキアの人。 アナクサゴラスの弟子でもあり、その高度の博識ゆえに、知恵(ソフィア)とも呼ばれたらしい。 いかつい、おっさんだが。 原子(アトム)という、<自然学の対象とみなす最小粒子>を考え出した人で。 現代で言うなら、究極の素粒子論か。 物理学のアトムも、時代の変遷で、意味も定義も変わってきた。 経過追えば面白いと思うが。 デモクリトスは、モノの起源なんかは騙っていないようなのだが。 なぜか「唯物論者」に入れられる。 アトムはあくまで、自然学の、対象に<みなして観念立てる>最小粒子。 「原子(アトム)」は不生・不滅・無性質・分割不可能な自然の最小単位であって、たえず運動し、その存在と運動の場所として「空虚(ケノン)」の存在が前提される。無限の空虚の中では上も下もない。形・大きさ・配列・姿勢の違うこれら無数の原子の結合や分離の仕方によって、すべての感覚でとらえられる対象や生滅の現象が生じる。また魂と火(熱)とを同一視し、原子は無数あるが、あらゆるものに浸透して他を動かす「球形のものが火であり、魂である」とした」。 と、ウイキに言う。 モノの起源、世界の起源(宇宙論)なんかについても騙っていないように思えるんだが。 実は、分割不可能概念を、共有として提示したので。 これで騙っちょること、には一応なる。 彼は、「いかなることも偶然によって起こりえない」と述べた自然学者(ソフィスト=知恵者)。 あらゆることに、その存在理由が必ずある、というのだ。 ホンマかいな。 どうやってぜんぶ確認したのかは、知らんが。 この人物に対しては、プラトンが密かに、彼を(アカデメイア経営の)ライバル危険視してて、世の中から抹消しようとしてた、という説すらある。 その話は、ありえんことじゃない。 無知の知やディアレクチークを語る哲学と、アトム論議をする類の自然論者は、極めて相性が悪い。 そう見なされてきただけではないのだ。 哲学は形而上学ではないんやけど、そうみなされてしまうので。 同じ穴の、敵対するムジナだと、思われてしまう。 アトム論議は形而上学。 「自然の根源についての学説は、アリストテレスが完成させた四大元素説が優勢であり、原子論は長らく顧みられる事は無かった。」 とウイキに言う。 マルクスが、これを持ち出した理由を、本人に尋ねてみたいものである。 これ実は、文献学のパラダイム世界観崩壊とも、直接の関係がありそうなのだ。 つまりニヒリスムスと、である。 ヘーゲルが、その弁証法でではなく「論理学」でやってしまったとてつもない問題が、大きく絡んでいるのだと思う。 若いマルクスは、それを敏感にかぎ分けて利用しようとしていた。 唯物論、特に原子論は、形而上学とはまた異なった仕方で。 人間について、感性について、知性について、そして宇宙とその体系についての問を、享有者に投げかけるものだから。 パラダイム的世界観の形成に、大きな役割を果たす。 形而上学が要求するものと、極めて似た、先験的要求みたいなものをも、浮かびうあがらせる。 論理学を降臨させる、そのようにも見える。 宇宙論そのものではないし、モロの神学でもない。 心理学なんて、お門違いだ。 しかしアトム論議は、宇宙論神学に似たコスモス理論とも一体になっている。 マトリクス秩序の、体系論議のモトとなるのである。 つまり、「唯物・論理学」ともなりうるということ、なのだ。 感性論が消えてたら、これはもう、哲学ではない。 唯物論と論理学を合体させると、論理ー知識、なのか?むしろそれも唯物ー原子、じゃないのか、といった。 究極命題的な、しかし破滅的な問いを導くことになる。 「そもそも、なぜゆえに存在者の存在なのか、むしろ無ではないのか」? これは、フォアソクラチカーについても研究熱心だったハイデガー先生の問いかけである。 ハイデガー先生が唯物論者であったことは有名だが。 じつは哲学徒の末席に居るオイラも、先生真似て唯物論者やってる。 主義者ではありまへん。 ディアレクチーク論議に参加して、日寄ってみてるだけ。 そう。 唯物論は、その論理と異様に馴染みやすいだけでなく。 存在と、無、神といったものにも、感性で問いかけてくるので入門しやすい。 形而上学的な信仰なくても、とっつける。 ホンマに唯物論的命題は、形而上学的問と同じような深刻な問を投げてくれるのだ。 <一意にモノを感性立てるから>、なんだろう、が。 逆に、感性論議のない唯物論などは、ウソである。 論理学では無感性かも知れんけど、感性論議飛ばすと、哲学では、<ありえないもの>となるんで、ご注意を。 感性論抜きの唯物論は、ありえない。 その感性を、モノとしてみなすのだからだ。 マルクスの唯物論はアトム論議ではなく。 労働の享有者を、奴隷利用する。 その享有感性を、「疎外された者」として登場させる。 無産階級の大衆である彼らは、まあ、羊。 その独特の史観の内部でも、無産者羊はマトリクスから生まれる。 有限な感性となるわけだ。 これが労働によって、資本を生み。 その資本が、歴史を動かす。 資本とは、その<有限な感性の共有>を言うわけだ。 要は、神の無い形而上学や存在論をも、マトリクス風に仕上がるように、原理を騙って、そそのかした。 そのように、基礎で誘導したのがアトム論だ、と。 そう考えてもいいだろう。 一意に考えさせるから、<一意命題>、なのである。 この一意ってのが、先験的に間違っちょるんで、形而上学ダメ問題と同じなんだが。 表向き、誤謬は見えん。 論理学的唯物論も、信仰やアウフヘーベンで、ちゃんと固有の時空を持てるようには見える。 史観があるので、そう言える。 ある種の、数学観念にすぎないものなのだが。 普通は(一神教徒には)、唯物論は時空を持たない世界観のように思われがちなのだが。 実は唯物論は、世界観でも、パラダイムでもおまへん。 究極のモトの概念を考えて、仮に置いただけ。 自然物、みたいに、カント先生がやった先験性みたいに。 一意になった唯物論議は、必ず独自の世界像を持ち、世界像のマトリクスを持つ。 これは現実にはねじれて特異点を生むのだ。 つまり、背景となる、その享有時空についての論議をも、共有論理は必ず持つはず、なのである。 この享有時空としての自然物を、認識対象に仮立てしたのが自然学者。 自然学的唯物論は、形而上学類似の問を持つので、扱いがむつかしいし。 カルト化し易い、とも言える。 カルトには、必ず教祖様が出てくる。 <エピクロス> エピクロスは、サモス島の生まれの哲学者。 哲学者というよりむしろ、新興宗教の教祖様風ではある。 彼が、マルクスの唯物論哲学の先生だと思う。 但しマルクスは、忠実な弟子ではない。 エピクロスはアカデメイアでクセノクラテスを学び、リュケイオンでテオプラストスの講義を聞いたと言われる。 政変で小アジアのコロポンに避難し、デモクリトス派のナウシパネスの門下生でもあったという。 紀元前311年、エピクロスはレスボス島で自身の学校を開くが迫害を受け。 小アジア北方のラムプサコスで弟子たちと暮らし。 その後、紀元前306年に弟子たちとともにアテナイへ入り。 小さな学園を開いて万人に開放するようになった。 いわゆる「エピクロスの園」を開いた御大。 「数学知識なくても、ええで」。 「古武術が出来んでも、来てもろうて、かまへんでえ」。 そこで御年72歳、紀元前270年に没。 オイラより若死に。 ディオゲネス・ラエルティオスが併記している哲学者列伝の名簿には、何人もの売春婦の名前が将軍たちと揃って、出てくるそうだ。 当然、無頼漢であっても弟子入りできたはずである。 時代がちがう? 弟子入りには時代など関係おまへん。 「露で必要な欲望のみが充足されている、そういう生活が、えーわい」。 というのが、この太古の唯物論教祖様の思想だ。 酒池肉林大好き!と思ってしまうが。 過剰なものも、特別なものも要らん、必要十分条件がオッカム風。 不用品は、そぎ落とす。 快楽主義と言われるのは、やはり嘘なのである。 「快楽こそ善」だし、「幸福は人生の目的」だが。 「放埒あるいは性的放縦な享楽的生活では、快がもたらされない」として、否定。 アタラクシア(平常心)のほうを追求した。 「死によって人は感覚を失うのだから、恐怖を感じることすらなくなるのであり、それゆえ、死を恐れる必要などはまったくない」 と教えてくれる、平常心すでに持った、えらい教祖様なのである。 それらの思想の根源にあるものが、「イデア論」ではなく。 「唯物論」なのだ。 但しイデア論が哲学の基礎(無知の知)ではないように、唯物論も論議命題。 普遍的な<もの>として人はある。 精神も、精神と言う、(感性の)もの。 そう考えるのが唯物論。 主観の主観も、客観の客観も、要は享有も共有も。 唯物論的に考えさえすれば片付く、掃き清めることができる、とする。 これが無知の知に立つ、エピクロスの思想だ。 時間・空間などという、見えない直観の形式に下手に出会ってうろたえ、自分で身の回りを泥沼にすることさえやらなければ、これで十分。 エピクロスは無神論では、ないはず、なのである。 平常心優先なら、蛇の体だとか、角のある鬼みたいな神々なんかは、気にせんほうがええ、という思想だろう。 ご先祖や豊作をお祭りする際とか、戦争での危機の時に、神頼みする程度にして。 長いものにもまかれて。 あくまで、日常の共有時空優先でいけばいい。 哲学(無知の知)の基礎の上に立つ、この平常心優先の思想が、「唯物論」です。 これから哲学を取り除けば、まあ日本人の平均的な思想ですナ。 「原子と、空虚というモノから世界が成り立っている」とか。 「存在してる」などと、そんなとこから唐突に世界像考えるなんつうのは、おかしげな一神教徒連中で。 最初に出会うのは、誰でも必ず自分の「感覚」なのだ。 感覚と言う、これは享有の感性。 享有では時空はそれとして見えないが、客観把握できる「時間・空間」の別名だ。 存在を把握する際に用いられるのが感覚だから、これは信頼するしかない、なんてわけじゃなく。 存在、把握、なんてのは、さしあたり唯物論のテ-マには、ない。 単に、そこから考え始めればいいだけの、入り口はあくまで。 「感覚」。 そこに、アルケー(最初のもん)という「源泉」がある、ためだ。 逆に、感覚を無視で論議しても、<唯物論とは言えない>のである。 人の認識に誤りが生じるのは、「この感覚経験を評価する際に行われる思考過程によるもの」、とエピクロスは考える。 そいつが泥沼作ってしまうだけなんや、と。 仮に泥沼になっても、責任転嫁すれば助かることも、教えてくれる。 純粋な心を追求するあまりに。 平常心消えて、十字架に掛けられたくなる人などは、まったくの別門だ。 痛みからくる狂気や、死への絶望心を志向し、そっちを優先するんやから。 エピクロスはそうではなくて。 <幸福、平常心を人生の目的とした>。 一方、人生の目的を「徳」として。 幸福はその結果に過ぎないとしたのが、ずっと後の時代のローマのストア派だという説が、これとの対峙で、よく挙げられているのをみる、が。 これも変な意見だと思う。 市場の雑踏に紛れる小心者であるにすぎないストア派を、徳の人間にしちまったのは、修辞学者たちの修辞、なのである。 エピクロス派は、哲学徒の内部にできた新興サークルであるが。 ストア派は、修辞学が生んだ。 哲学者たちの隠れ身の、呼び出し術にすぎんと思う。 この二派は、そもそも比較のしようがないんである。 ローマの詩人ルクレティウスの「事物の本性について」によって、エピクロスの思想が紹介されてたそうだ。 原子の偏り運動だとか。 時間・空間が絡んでくる感覚の問題だとか。 絶えず物体から分離して感官のうちに流入するエイドーラだとか。 について、ルクレティウスのそれらから、エピクロスの論説を詳しく知ることができたようだ。 マルクスは、これらを採り上げて、本格的に論じたようである。 幸福、平常心を人生の目的としとらんのに、である。 狙いはたぶん、別のところにあった。 それが唯物論・論理学へと、マルクスを導いていったんじゃろう。 エピクロスの「アトムの偏差」論を採り上げて論じ。 そこに「自己意識」の立場を認めるヘーゲル左派の思想を踏襲していると、みなせる<もの>があるという。 委細は知らないが唯物史観だと思う。 ヘーゲル論理学が出て、古代からのアトム史観は崩壊寸前だった。