哲学史36-1 <アリストテレス>前384年 - 前322年
アカデメイア追放後にマケドニアの王室に拾われていなかったら、アリストテレス先生の業績は散逸していただろう。 デオゲネス・ラエルティオスの古典文献修辞学が伝わってなかったら、西洋の学問の基礎はまた違ったものだったのかもしれない。 イスカンダルの名声のおかげで先生の学問は世界に伝わり、韋駄天の、その先生かあ、で片付くわけだ。 オイラたちの極東にも韋駄天は伝わっている。 さらにヘラスを飲み込み殺したローマ帝国が深く、のちに関与した。 謹厳、実直、陰険なローマ人の横暴により危惧した後世のギリシャ人のおかげで、古典の文献学となった。 (ヘラス人と後のギリシャ人は、すでに違う人種になっている) いろんな人の講義録解釈がいっぱい残って編纂されて、ヘラス人アリストテレス全集が作り上げられ。 それが今日の西洋の、科学技術や諸学問の本当の意味での基礎とはなったのである。 但し、まっとうには伝わらなかった。 ギリシャ人はすでにヘラス人ではなかった。 哲学は滅んで修辞学化してたし。 科学も、アリストテレス先生の自然学とは、その基礎がズレて別ものとなった。 この事情については、哲学史上でずっと述べてきたつもりである。 学問の理念は、ほぼ受け継いでいるのだが、かなり異なって歪んでいるのだ。 特にアリストテレス風の科学技術は、基礎のカケ違いでコケて死んでいる。 どういう風にゆがんだか、どういう風に殺したか、それを中心に、これまでどおりダメなウイキをテキストにして、今一度、先生の哲学を中心にしながら見ていきたいわけだ。 <万学の祖> アリストテレス先生は、ソクラテスの孫弟子。 師プラトンの教えを受け、今日の西洋哲学を確固たる学問とした人物。 ウイキが言うとおり、「万学の祖」である。 とにかく<人は知りたがる>。 この事情を整理し、学問というものに築き上げていったヘラス(古代ギリシャ)のマケドニア人なのである。 ヘラス文化は、ヘラスの土地に完全には生き残れなかった。 その間の事情については自分で歴史を紐解かれたい。 アリストテレス先生の父はマケドニア王の侍医だったそうなので、庶民じゃなかった。 オイラ、親は商人だと思い違いしてたので、ここで訂正。 ダメなウイキが、オイラの誤りを正してくれた。 幼少にして孤児となり、義兄の後見人がついて。 後見人は小アジアのアタルネウスにいたようだが、詳細不明だと。 とにかくアテナイのアカデメイアに、無事留学できたのは確かなようだ。 親の遺産を食い潰すだけで、軍隊にも向いてないし商売根性もない。 それでアテナイに流れ出るに任せた、という説もある。 おらあ、東京さ、いくだ。 田舎もんだった先生の場合、これがよかった。 プラトンからは「学校の精神」と評されたほどの高評価を受け。 師の死去するまでの20年近くをアカデメイアで研究生活したが。 プラトンの甥が学頭に選ばれてのち、追い出される。 その後は、アカデメイアでの名声をもとに、あちこちからお声がかかり。 小アジアのアッソスの僭主ヘルミアスの招きに応じて、アッソスへ。 僭主の姪にあたるピュティアスと結婚できたという。 しかし紀元前345年に、アッソスがペルシア帝国にヤラレてしまい。 アッソスの対岸に位置するレスボス島のミュティレネに逃げて。 その後、紀元前342年42歳頃に、今度はマケドニア王室に拾ってもらうわけである。 ミエザの学園というのを作らせてもらって。 マケドニアの貴族の子弟がこぞって、彼のもとで学んだ。 プラトン仕込みの格闘術を始めとする、諸学問。 貴族だけだろうが、教育が国を強大に、コスモポリタンにした典型だったと言える。 のちに、アテナイに舞い戻ってリュケイオンを立てる。 アカデメイアとは方針の違う、青少年の基礎学力からの育成に努めたわけである。 <フィレイン・ト・ソフォン> さて、思い違いも解消してくれて役に立った、そのウイキのダメな点を見ていこう。 「人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた」。 という、この誤りが、さらなる誤りを生んでいると思える。 「「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり」、という誤解につながり。 さらに「現在の学問のほとんどが彼の「哲学」の範疇に含まれている」、という誤解ともなった。 「現在の学問のほとんどが、彼の「哲学」の<範疇>に含まれる」ようになったのは、もちろんアリストテレス全集がローマ帝国で作られたため、であって。 特にそれは、優れた修辞学者たちに負うことが、おおきいのである。 修辞学の功罪はいずれ述べるとして。 <範疇>という、翻訳の誤りあたりから、指摘しておきたい。 これは些細な問題ではなく、根幹にかかわる事。 とにかく人は知りたがる、とアリストテス先生は述べるのだが。 それはフィレイン・ト・ソフォン、ということなんだが。 これは、「知を愛する」ということではないのである。 フィリアは、知りたがることや知ることへの、若干執着的な親しみの意味を持つ。 それは確かなことなんだが「愛する」ことなんぞではない。 ソフィアも、知恵とか、知る、ことだが。 知識を「得る、獲得する」ことではないのだ。 古典文献学に通じたニーチェが、ヒントを語ってくれる。 彼は愛を、「惜しみなく奪うことだ」、と述べたが。 知識や愛を奪えても、親しみは奪えない。 このニーチェの意見は古典文献学的には正しいんだと思うし、ローマ帝国時代のメ・タ・モルフォーゼなどを読んでも、奪う愛や与える神の愛はいっぱい出て来るが。 親しみは稀だし。 兄弟愛や草木の変容として命の源ではあっても、これは愛ではないとして分類不能。 もともとフィリアに、惜しみなく奪う愛の意味などは、一切、ないのだ。 ニーチェはルサンチマン的態度を批判して、不可解な古典文献学における現実を騙る。 古典と哲学との、ねじれのようなものを指摘して表現してけなしているわけだ。 アリストテス先生が述べた<フィリア>だけでなく、実は、<ソフィア>のほうも誤解されている。 まったくの別ものになってしまってしまっているのである。 その理由が、自分なりの哲学史を書いてきて、オイラかなり、わかってきた。 フィリアは、エロースでもアガペーで、もない。 ニーチェが言う、奪う愛でもない。 ソフィアもまた、絶対の知恵ではない。 <ない>、が絡んでいる。 アリストテス先生は宗教は持たないのだが、無神教ではないから、なのだ。 先生は多神教徒の一人であるし。 神の愛とも、唯一の知恵とも、まったくの無縁である。 まずフィリアというのは。 <エロースを伴うかもしれんが、親しみ的な愛>のこと。 プラトン先生が公然と「男色家」であったような、性的エロース倒錯のことではない。 フェチシズム的な、ごくありふれた原初的な、<親しみ>のことなのだ。 これについては先の章で、これを述べている哲学者ド・ブロスを見つけて確信した。 オイラだけの、独断偏見の思い込みではなかった。 ソフィアについてもまた、認識が根本的に間違っている。 知恵として<恵まれるナニカ>ではあっても、知識そのものではないし。 そもそも、人の力では獲得できない<神々の、その一柱>、なもの。 変貌、変身ではなく、変容の物語的なものなのだ。 絶対の知恵なんぞではないし、唯一の神や造物神とも無関係。 ロ-マ帝国における、メ・タ・モルフォーゼ神話を思い浮かべてください。 同時に、否定形の認識を持ってください。 <無知の知> この、・・・でない、という否定形が理解されないと、そもそも<哲学的認識>自体が不可能なのである。 オイラの多用する、否定形変容物語、というべきか。 フィロ・ソフィアは無意味な命題ではなく、その否定形の神々の変容物語なのだ。 人が自分のネガチブな「無知」を知らないことには始まらない。 そして哲学は、ネガチブなものの認識の上にこそ成り立つのだ。 だから、無知を憎悪し締め出そうとする宗教的な輩は、哲学にあらかじめ自分から拒否されてしまう。 プロテスタント諸派は享有を締め出すし、ポシティブ志向オンリーであって、ネガチブなものを一切締め出そうとする。 だから彼らは哲学を自分から締め出す、と言っていい。 特に親しみの変身物語やってたら、すぐに悪魔にされちまう。 哲学は「無知の知」である。 自分で享有する無知を、自分で知る事、だからだ。 知識や知恵への愛、などではない。 惜しみなく奪うべきものも、得る実務のものも、実は何もない。 無知ゆえ生じる、未知の知恵への<執着的な親しみ>があるだけ。 つまり、自分が頼る感性があるだけ、なのだ。 その感性は外部から来る、必ず他力だ。 こころの内なる光、なんぞではない。 「知的欲求を満たす知的行為と、その行為の結果全体」なんぞではないのだ。 ウイキの、この表現も、誤りなのである。 こころの内なる光はむしろ、ルシファーというフランキストたちのの悪魔だろう。 親しみを拒絶せしめ、惜しみなくすべてを奪おうとする、悪魔。 そんな悪魔とは無縁に。 無知が要求する、とにかく「知りたいがやき」、という、不可解なフェチシズム的な、<知る事への親しみ>が、ある。 これは他力とともにある。 それが哲学である。 だからオイラみたいなアホでも、じつは誰でも、自分の無知にさえ気が付けば哲学できる。 選ばれし者である必要なんんか一切ない。 おいらはこれを、享有と共有の感性にやっとのことで見出してるが、アリストテレス先生では至るところに見られるのだ。 「現在の学問のほとんどが彼の哲学の範疇に含まれている」、というウイキの表現も大ウソ。 現在の学問のほとんどすべては、先生の学問とは、袂を大きく分かったのである。 特に科学技術は自分の基礎をすら胡麻化して、スキエンチアで、チョン、とやってきた。 基礎が形而上学という、非実務の問いなのに。 これを誤魔化して、基礎は錬金術だと、魔術にしてみたり。 非実務の、実務的なものへのすり替えも顕著である。 その理由の一つに、アリストテレス全集そのものが、アリストテレス作の著作ではないからである、という事実がある。 これは修辞学を哲学と誤認させた。 さらに宗教家が形而上学を信仰確保のために導入したことで、決定的に怪しくなった。 その形而上学の上に、科学技術が成立してたためだ。 これについては過去にも何度も述べて来た。 <カテゴリーの問題、範疇はダメ> アリストテレス先生は、他人の書いた自分の全集を「哲学の範疇に含まれている」などとは思えないだろうし。 特にこの<範疇>という訳語が、まるでダメなのである。 カテゴリー、と書くべきなのである。 これも、書いたようには思うが、超重要なので今一度やる。 このカテゴリーの意味自体も、世界規模で書きかえられてしまった。 日本だけの特殊事情ではないのだ。 範疇というのは、中国思想の<洪範九疇>利用の略語。 修辞的な世界を採り込んでカルトに固めてしまいたい、政治思想なのである。 九は九州のこと、世界を意味する。 カテゴリーとは確かに似てるが、性能もすぐれた思想ものかもしれんが。 全くの別門なので、使ってはならない。 範囲を定め世界として鋳造利用可能にするのは、政治思想ゆえのこと。 時間手順が哲学とは逆なのだ。 カテゴリーは、政治思想用語ではなく哲学思想用語だというのが、範疇つかってダメな一点。 今一つの理由は。 共有論議に使うのだが、カテゴリーのその範疇にあたる疇の範囲は、共有に働くのではなく、<享有>にのみ働くもの、だからである。 カテゴリーは倫理的なもの、なのだ。 これはオイラだけの意見ではなく、オッカムのやったメタバシスを批判するすべての人と共有できる、政治的意見といっていい。 倫理は、享有のみに課す牢獄の縛り。 牢獄を見ることのない、いわゆる倫理観のない享有観の持てない人には無縁な問題。 倫理観がないから、オッカムは政治思想だけのカミソリで、バッサバッサやれたのである。 しかしこれらも、最近は書き換えられはじめているようだが。 カテゴリー尋ねても、アリストテレス先生やプラトンのそれが、容易に出てこないんだが。 古典を書き換えちゃダメ。 <カテゴリーの定義> アリストテレス先生は、カテゴリーを、<実在の証(あかし)>、としていた。 実体、分量、性質、関係、場所、時間、位置、状態、能動、所動の10個をあげている。 何度でも上げておきたい。 <実在の証>、これが、カテゴリーの倫理的定義。 プラトンは<魂の証>、としてた。 ついでに。 カント先生は、<純粋悟性概念の図式>として4つのカテゴリーを挙げた。 誰もが享有のものであることを強調していた、のだ。 共有だけのものではなく、同時に必ず享有なんだと。 カテゴリー論議のさいには、この定義が真っ先にくるべきなのだが。 昔はそうだったが、今はプロテスタントたちが、これらを消しにかかっている。 自分がカテゴリーの意味をつかめないからといって、二人の哲学者の意見を書き替えてはいけない。 特にアリストテレス先生も、「実在」を出すことで。 これが単なる鋳造された用語、つまり無意味な単なる命題ではなく。 証(あかし)である、倫理に働く鍵なのである、と。 そのことを明記してるわけである。 <心理学の問題、現代の心理学は全くの別門> ほかにもウソがあった。 「現在でいう心理学なども含まれており」、とあるが。 現代の心理学が<全くの別門>であることは、前節で確認した。 アリストテレス先生の心理学は<心身合一>のもに論議されており。 現代の心理学の<心身分離>機械構造とは、まったく違うカテゴリーの学問なのである。 <自然学の問題、自然学は物理学とは無関係> また「自然学(物理学)」とあるが、何じゃのコレハ? 自然学は物理学とは関係ない。 これでは自然学の意味すらも、おかしくなるやんけ。 自然学は星々や気象や生命、生物、地質の諸々や社会や人間界の諸々の博物誌学的な興味もまた自然学領域のもの。 物理や化学といった概念は、未だない、というか、科学的概念が基礎から違うので、数学はもちろんあったが、数学的に扱うことなどは考えてない。 物理学は、対象ブツの認識とそれを数学的に科分類し実務的に操作しようという意図がなければ成立しない。 この成果はアリストテレス先生ではなく、自然学者にはもともと怪しげな人は多い。 先生は自然を対象ブツとして数学的に扱いたかったんではなく、身の回りのウーシアに一意にカテゴリーのよって見出される隠れ無き様と見ていた。 身を守るくらいは考えてただろうが、実務に利用する意図もなければ、物理現象として原理を探る、なんて考えていないのである。 物理実験みたいなこともいっぱいやってるようだが、意図が違う。 それをやったんは、後の修辞学者たち。 修辞学の成果を先生の業績に載せようと言うのは、まるでポエチカを詩学と訳しポエムの学問だ、とするような横暴、というべき。 <ポエチカは詩論ではない> ポエチカは、市井の非劇と観衆(感情の)諸関係を論じた講義録、これをもとにした哲学であったし。 公共の意味で叙事詩の分析にはあたるかもだが、いわゆる詩論ではなく哲学書。 カント先生などもニーチェ同様、この学問上の古典的な扱いにおける詩学と哲学の世間で使われる怪しげな関係には、戸惑わされてたようである。 先生の窮状を見かねて、その業績を評価する当局からあてがわれた大学での教授職、詩学の教授の空きを、ちゃんと先生は辞退している。 暮らしが維持できなくて困ってたのに。 古典の詩には先生通じてたと思うが、哲学で詩学は、倫理的に論じられんのである。 そもそも詩人は、哲学者の敵なのであるからだ。 詩は歌って感情を流浪させ、ミソもクソもごった煮にして命を高揚させる文学だが。 哲学は、より分け批判し、基礎すらブチ壊して掃き清め、整地するのが目的の学問なのである。 今日のウイキの扱い見てると、学問諸学の掃き清めが必要なほどだ。 だから太古のアリストテレス先生に舞い戻ったんやけど。 先生の諸学の体系観は、全集の表題で、そこそこ、わかる。 しかしローマ帝国の一流の修辞学者たちの多くはすでにキリスト教に毒されており、カルトにヤラレていたのである。 だから以下は、オイラの独断と偏見に満ちた分類となる。 哲学は、ヘラスの自然学の盛んな伝統の中で生まれてきたのだが。 自然学というこれは物理現象を含む考察だとしても、修辞科学における物理学とは全くの無縁なものだ。 自然学と物理も、すでに別門であったし。 <自然学の裏表> どういうことか、というと。 その自然学自体が、もともとは二分されていた。 これは<自然>と言う言葉が、<こころのかくれない実在の様をいうもの>なので、そのありかたの裏表だった、のである。 自然と言う言葉は、ヘラス語でフュシスという。 対象ブツとして科認識されたモノ自体ではない。 単なる現象のことでもない。 ヘラスにおいてはア・レ-テイア(隠れなきこと)を意味したと、これはハイデガー先生に教えてもらった。 もともと形容詞や動詞などで、我が国においては、なんと副詞だった。 名詞となったのは、現代に至ってはじめてである。 その表裏の、形容詞や動詞、副詞で表現できる命題は、ヘラスで。 <一にしてすべてだ>と説く、パルメニデス系統の思想と。 <万物は流れる>と説く、ヘラクレイトス系統の思想に、見分けられてた。 知的で時空間を気にしない、表しか見ないポシィブ人たちと。 背後の時空ばかりを気にする、ネガチブな傾向の人々がいたのだ。 ソクラテスが出て。 これら自然学とはまったく別に、表裏一体の哲学を立てた。 ディアレクチークにした。 名詞を立てたんじゃないし、無意味な命題を立てたんでもない。 おいらが、なんにもしらん、無知であることを知る、学問を立てたということ。 そして自然学の方ではまた逆に、そこから、無知の知からの論議研究が進んだんやろ。 人は生きもの、心身自然で一体なので。 太古からの自然学も、なんと哲学の一分野にすぎないことがわかってきた。 そういった人々の中から、<(感性論を伴う)唯物論>がうまれ。 (これは異論もあるだろうが、感性論を導いたのは哲学である)。 おいらたちの扱うモノが、時空という、単なる外面の問題ではないと、感性の形式も、問題なんだと。 それに気づいた人々の中からは、<倫理>や<道徳>重視の見解も生まれたし。 哲学にまい進するあまり、すべての修辞学的要素を取り去ってしまい、単細胞になってしまった人すらも出た。 <修辞学> しかしほかならぬその哲学なるものが、広義の<修辞学>に属すること。 そのことに気が付いていた、アリストテレス先生のような人物もいたのである。 先生自身は実務力が欠けていてほとんどなかったので、むしろそれで気がついたようなのだが。 だからアリストテレス先生は、哲学を際立たせるために諸学や伝統の自然学と峻別したのだが、修辞部分は曖昧に残していた。 これが悪用されてしまったが、伝承、継承のためには、それでいい方に働いたとも考えらる。 修辞部分と言うのは、<実務、実用の学のこと>、である。 人が生きていく上で欠かせない、最も重要な学問のことである。 儲け話や、おまへんよ。 哲学は実務関係の知識も心構えも一切ふくまないので、あえて区別は不要、と先生は考えたのだろう。 アリストテレス先生はよもや、<享有を理解しない人たちがいるとは>考えてない。 ローマ人やヴァイキングは野蛮人なので、ぜんぜん気にしてなかったのだろう。 しかしそんな連中はいたのだ。 サイコパスまるだしのやつらさえいた。 後にローマで大いに興隆したこの修辞学のことは、今日、レトリカというが。 いわゆる英語のレトリックとは無縁なので、注意されたい。 レトリックでは、どうしても、小手先のご都合主義のように見えてしまう。 特に詐欺師が儲け話に多用するので。 そうではなくて。 修辞学レトリカというのは、人の日常の暮らしを背負った、生きるための最重要な学問分野のことである。 今日では、政治家センセエのカネ集めのネタになっているんやけど。 ウソが積み重なって、言葉の意味が変わってしまったのである。 修辞とは、命題を飾り修飾して賛辞するだけのことのように見えているのだが、ウソを積みかさねることではなく、<修辞して暮らしを立てる>ことなのである。 <形而上学の問題> われながらシツコくて嫌になるが、アリストテス先生に形而上学は、<ない>。 <タ・メ・タ・タ・フィシカ>は、形而上学と訳してはならない。 これは自然学におけるメ(の付け所=神々の力)、つまり第一の哲学であって、哲学の最重要要点でもある。 繰り返すが、神々の力への論述であって、一神教のカルト的形而上学ではない。 しかしアリストテレス全集が組まれた当初から、この第一哲学は形而上学だった。 誤って認識されてきたのだが、編纂を担った人々が一神教のカルトたちだったからだ。 形而上学の中身は。 なんのことはない、キリスト教徒たちの信仰心が、どうしても納得しえない、心理学、宇宙論、神学、など、全貌が不明瞭な、しかし全体論議のできる分野への<根源的な疑問>の集大成なのである。 (これを明確に示してくれたのはカント先生) 心やモノとはナニカ、宇宙はどうなっているのか、神はいずこに、社会の成り立ちは、不死はいかに得られるが・・・などという、(先験的に誤った)問いのことである。 突き詰めれば<時空>という、<感性の形式への問いの体系>になるのだが。 形而上学論議上では必ず破綻する運命にある。 アリストテレス先生自身も、「命題には拘ってはならない」と、自ら戒めつつも、あれこれ自分では考えてはいたようである。 エンテレケイアがどうのこうの・・・。 この、命題と・・・である、という実在との関係を明晰判明に示してくれたのがデカルトである。 しかもその問いが立つ様は破綻せざるをえないことも、自身の形而上学で同時に明晰判明に示していた。 そしてこの形而上学が立てる問いの命題が、先験的誤謬に陥らざるを得ないことを根源から明快に示してくれたのが、カント先生。 つまり西洋の形而上学は、その基礎から破綻し先験的に誤謬しており、さらにハイデガー先生に言わせると、特有のゲシックを背負って病んでいるのだが。 おいらは、その根本原因が。 <形而上学という病んだ命題>にあり。 その<核は、信仰である>こと。 しかも<カルトの一神教的信仰ゆえの、哲学史が抱えた病人だ>と思うのである。 ヘーゲル論理学は虚無主義に立つ一神教カルトが核なので、この病にあるが。 哲学には、この病気は、ない。 形而上学はキリスト教特有のものであって、<自然学のメ>の読み違えにすぎない、と思うから、こんなことが言えるわけである。 ハイデガー先生、逆らってごめんなさい。 自然学のメ、でアリステレス先生は何を述べているのか、は次回に回したい。 **自分用コピーご自由に。