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誓約が必要なのは、それが個々人の安全を支えるから、である。
現代は防疫思想が支えていると、枠珍派は思い込んでいる。 だから、誓約の儀式は形骸化し、危険なものとなってしまった。 オイラも軽率にサーズ接種呼びかけに応じて、ガンになった。 これは哲学がないから、そうなるのだ。 防疫思想というのは、ナチス特有の共有もの思想である。 つまりファッシズムのもの。 ナチスのハイデガー先生によると、語源はイタリア語のファッショ。 ローマ帝国において、個々人がその命をワラクズに託して、指揮官に托生し。 その指揮官が兵の命をまとめて指揮棒とした、その指揮棒のこと。 一連托生の思想。 命をナチスの共有理念に預ける、そのことを言う。 享有していた自分だけの命を、軍隊指揮官に共有させる。 これがファッシズムの本質。 同時に、最近見られる防疫思想の強要のことに、あたるわけだ。 オイラたち西洋人は哲学を失い、日本人は誓約(うけい)を失った。 だからファッシズムに捕まるし。 それを全体主義だなどと、わけわからん表現で示そうとする。 ファッシズムの本質は防疫思想と同じ。 一連托生のこと。 組織のウソを個々人が引きずって、最後には破滅してしまうことだ。 これはナチスの、世界最高の頭脳が言ってたことなので、間違いおまへん。 いい例が、ウイルス思想。 集団で幻想して、危険を呼び込み。 これが安全だと、他人に共有させ、押し付ける。 ファッシズムそのものをやってしまうのである。 ウイルスは、人の血液からは、みつかりまへん。 死にかけの病理細胞培養して、おおざっぱなエクソソーム検出を ウイルス概念にすり替えてるだけ。 それを産学共同理念で、奴隷たちに押し付ける。 このファッシズムの理由は。 命という個人享有のはずのものを、防疫思想で見ているからだ。 ファッシズムで共有にし、一蓮托生の理念で見ている。 実際には、命は個々人のものだ。 自分だけのもの。 経済奴隷であっても、命は自分だけの命。 共有部分もあるかもしれんが、それは誓約(うけい)せねば、わからん部分。 明確にわかっている部分は、個人の享有物なのである。 命は個人の享有もの。 それをムリヤリ共有させて、利権にしてしまうのが防疫思想。 その本質としてあるのがファッシズム、ファスケース思想なのである。 指揮棒と、注射器、どことなく似てまへん? 誓約も見えなくされて、その場の主催(時空の意味)も、うすっぺらい契約と化した。 時間・空間が人の享有から奪われて、物理力や化学力追及の数学方程式と化してしまった。 自分だけの安全は、もはやなくなり。 産学共同体の、利権確保最優先事業と化してしまった。 有の意味が、その基礎から変わってしまっているのだ。 自分だけの・・・である、享有は、もはや枠珍派には見えてない。 積極的キリスト教の、奴隷思想布教があるのみ。 ナチスの本質は、防疫思想を持つ積極的キリスト教です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月04日 07時28分09秒
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