ヒッタイトなどという「民族国家」は、存在しない。
ハッチという「多民族の犬が作った軍事国家」なら、紀元前の遠い過去にあった。
小アジアのヒッタイトは、今日、鉄の種族として有名であるが。
単一種族の民族が作った国家ではないし。
その国名もヒッタイトではないのである。
王族の血を引くらしい、ずっと後の時代のドイツ人によって発掘された。
そのことが、ヒッタイトというドイツ風呼び名を作ったといえる。
トルコにあった遠い過去の国が、ずっと後の時代の聖書などを通じて、ヨーロッパ人に知られていったにすぎないのである。
ハッチは、多言語、多文字を持つという変わった国である。
しかも超古代には大帝国であったこともあった。
いつでも強大なわけではなく。
パンクシュという全体会議と、諸民族の神権や祭祀、さらには庶民の通商によって成り立ってもいた、最初は小さな国だった。
単一民族国家ではない。
また王権絶対の国家ではないのに統一が取れている、という不思議な国。
なのに、その風変わりな点はあまり話題とならない。
どこから製鉄技術を得たのかも、わかっていない。
最近、ギョペクリテペが出て来て、大騒ぎしているが。
季節風利用の、大規模な製鉄作業だったようだ。
時代離れした「鉄製武器の使用」は注目される。
世は鍛鉄の刃を埋め込んだ青銅器時代。
ハッチでは、それと違い、製鐵していた。
しかし彼らが嫌っていたアッシリアのようには、飢饉の時代を乗り越えられなかった。
この帝国は、血筋のはっきりしない、いや、種族が代わっていくかのような王族と。
帝国の範図をそれが支えるかのような、ダイナミックな通商や遠距離外交の流れと。
周辺国の動きに迎合する、その政策や大胆な軍事作戦によって名高い。
しかも変貌していく国家なのである。
最初期の王の名はシュメール語で「アニッタ」といった。
名前にはなぜか語尾にシュを付けて、アニッタシュと呼ばれる。
彼は、ネシャという通商都市の王の飼い犬だったようだ。
要衝都市ネシャの王権を奪い取り。
市を略奪させず父母のように扱うことで、この国家は成立したのだ。
しかし傑出した通商都市ネシャ(カネシュ)は、なぜか首都にはならなかった。
王の出自である都市と思われるクシュ・シャラも、その父ピトハナとともに、これも詳しく語られていない。
彼の軍はしかも、他の大勢の犬たちと同様、飢えていた。
仲間同士食いあうほどに。
ハッチの時代そのものが、飢えと戦いの過酷な歴史なのである。
大帝国となっても、彼らの飢えた暮らしむきはほとんど変わらない。
好きなだけ飲み食いできるのは老人だけだった。
彼は、この飢えの時代に、雇犬の身分。
地域で一目置かれる古都アリンナ市や、ハットウシャという城砦都市が敵だったようだ。
新興のルウイ人山賊が支配する領域へ、彼はネシャから討伐に派遣されていたようである。
無謀な小人数での特攻作戦で、敵アリンナ市の攻略に失敗。
彼は、囚われの身となる。
しかしなぜか、その都市の「太陽の女神」と同盟契約を果たし得て。
犬たちの軍に復帰でき。
しかも、そこで更に主導権を得たのである。
滞りがちだった捨て犬たちの給与を、たぶんアリンナ市が出したのだ。
彼はまず、通商諸都市の飢饉時の捨て犬たちの、その主導権を、確保した。
彼の父祖の地は、クシュシャラ(もしくはクッサラ)と記されている。
クシュは、アフリカのクシュかもしれないが、わからない。
つまり父祖の地でも、たぶん「名のない太陽の女神」が祀られていた。
そして突如、彼は全軍を率い、勝手知った都市ネシャに夜襲をかける。
その都市ネシャ(カネシュ)を、諸都市の犬たちとともに占領。
飼い主だった王を裏切って、アリンナ市側についたのだ。
但し軍には、通常起こるだろう略奪を一切許可しなかった。
逆に、「市民を父母のように扱え」と命ずるのである。
多分、彼はこの都市に育てられたのだろう。
しかしこの態度は、この地域最大の軍事拠点だった首都に対しても同じだった。
天候神が支配する、ルウイ人の山上の都市に対しても、同様だったのだ。
総勢1500名もの(大軍と彼は記している)軍で。
彼は、盗賊たちの拠点ハットウシャ市を攻撃、攻め落とし、占領する。
一度、怒りで略奪を許可したようだが。
なぜか思い直して。
その山の中腹にある都市ハットウシャを、彼の<新王国の首都>に定めるのである。
ルウイ人山賊たちの城砦があったその都市は、ハッチ王国の首都となった。
世は、飢饉蔓延る乱世。
たぶん手勢の中に、大勢のルウイ人がいた。
パン・クシュの合同会議で、彼の決定は全軍に支持される。
彼の一門は、やがてラー(太陽)・ヴァルナ(色=諸族の)と呼ばれるようになっていく。
ハッチはこうして多民族をまとめ、地域共栄圏とパンクシュによる全体主義国家の一歩を踏み出し。
その庇護を求めて流入し増え続ける国民を食わすために、王族の奮闘が始まるのである。
この、民衆に対して食わせる義務を王族が負う、というのは。
彼ら王族の日常の立ち居振る舞いと同様、近隣の種族や国家とは違っていた。
彼らは庶民に対してもお辞儀をする、風変わりな王族であって。
これは当時から、近隣諸国で話題になってた。
当時の、そして現代の、多くの国家の支配層とも、全く違う思想であったようだ。
所有する国土や王権を守るのではなく、民衆を守る軍隊だったのだ。
ただ、このお辞儀の風習や配下へのへりくだりは、古代シュメールの文化では普通の事なのである。
ハッチの庶民文化の多くにも、言語のみならずシュメールの影響が色濃くみられる。
木戸のある閉鎖した街並みと、高床式住居、イグサの多用、女性の地位が高いことや女神官がいること。
火の用心の夜回り義務があり、凧揚げや、すもう、猿回し、庶民による神々の像のお身ぬぐい、神輿のお祭り、天幕張っての祭礼や、アンタースームの小枝の芝刺し、など。
そして女たちの井戸端会議。
エンシ(シ(枝)を持つ主人=都市の知事の事)たちや、古いエジプトのファラオの王権とのつながりを思わせるものも、多くある。
そもそもハッチの大王が、大王と名乗ったかどうかは、怪しいのである。
主人「エン」は、シュメール語だが。
主人は様々な名を持つ天候神や名の無い太陽の女神などだったから、ハッチ王ラバルナは、単に将軍だったのかも。
彼らが嫌っていたアッシリアでは副王が実権をにぎっていたのに、ハッチは神々と異なる独自の首長を立てていた。
基本的に多神教で、王は祭祀者の一人にすぎない。
王権がその神々に伍したのは、もう帝国の末期である。
彼の一門は、代々、ラー・ヴァルナ、「諸族の太陽」と名乗ったのだ。
しかもこれは、印欧語である。
それも、アーリア人の古い時代のものと一致する点を多く持つ。
バーラタで出来たカースト制度などは、持たないのである。
神殿住まいの王族はいたのだが、貴族らしき人物も出てこない。
紛争の多い同じ領域に多民族が暮らす以上、盟主は必要だった。
それを推したのが、パン(汎)・クシュという、クシュ・シャラたち戦士の全体会議なのである。
王族は特別だったようだが戦士階級ではなく。
流入した市民がイコール、戦士に徴用、だったようだ。
つまり最初は国民皆兵。
地域の諸民族に擁立されての、統一王権、だったのである。
だから政治体制としては、挙国一致の全体主義となる。
断じて民主主義ではない。
但し絶対王権ではないし、民族主義でも、特定階層の共和制でもないのだ。